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思うままに表現できる自分の居場所。 誰にどう思われるか考えず、感じたままに書き綴る徒然…

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思うままに表現できる自分の居場所。 誰にどう思われるか考えず、感じたままに書き綴る徒然日記。

マガジン

  • saunaと私。

    MARUMORI-SAUNA。 ここでもらうもの、感じるもの、私の心模様。

最近の記事

息をしているだけでいい

小さく小さく生まれたこの子 生まれてからずっと一緒に過ごしたからなのか 治療が必要になり離れ離れになり 急に自分の魂を半分持っていかれたような気持ち 毎日聞いていた心音計の音や 冷える手足をさすっていたことや 夜中猛獣のように泣きじゃくる姿 小さな口でおっぱいに吸い付く顔 それは当たり前のことじゃないんだ、と 急に突きつけられた気がする 小さくて頼りないおぼつかないその命が どうか未来へつながりますように

    • 私がSTORIAに関わる理由。

      2018年春から参加しているNPO法人STORIA。 震災を機に浮き彫りとなった、子どもの貧困、という社会課題。 STORIAは、環境を理由に子どもたちの可能性が閉ざされることはあってはならない、そして、世代を超えて引き継がれてしまう貧困の連鎖を断ち切りたい、そんな思いで2016年に設立されたNPO団体。 STORIAは子どもたちがどんな環境下であっても自ら考え自らの人生を切り開いていく、いわば「生きる力」を育むための環境を作り、子どもたちと関わる全ての方々が"共に育つ"

      • 日常という非日常。

        5年ぶりの海外。 前回とは全く違うこの感覚。 あーこのままここに住んでしまいたい。 そう思った5年前。 今思うこと。 あ、ここにもただただ、日々の暮らしがあるんだな、ということ。 私の非日常は誰かの日常なんだ。 それでも、ここに来なければ出会えなかった日常がここにはある。 そんなここにある日常を感じることそのものが非日常で愛おしい。 ちょっとだけ遠くから自分を見てみた。 きっと自分がいなくても色々なことは進んでいく。 それでも私は 自分を取り囲む日常が大好きなんだと気

        • I was born I am loved I am supported すべては受身形から始まっていて 命をくれた人がいる 愛してくれる人がいる 支えてくれる人がいる そう思えてはじめて 誰かに何かを与えられるのだなあ 自分ひとりの限界を知ることってたいせつだ。

        息をしているだけでいい

        • 私がSTORIAに関わる理由。

        • 日常という非日常。

        • I was born I am loved I am supported すべては受身形から始まっていて 命をくれた人がいる 愛してくれる人がいる 支えてくれる人がいる そう思えてはじめて 誰かに何かを与えられるのだなあ 自分ひとりの限界を知ることってたいせつだ。

        マガジン

        • saunaと私。
          2本

        記事

          立秋って、夏の果てと言うのね あ、蝉が鳴いてる あ、夕暮れに遠くのビルが霞んでる あ、湿った風の匂いにふわりと包まれる 夏の果てのこの瞬間 ブルーとオレンジが交じり合うところ あ、今の私はそこなんだ ブルーでもオレンジでもない私 それはそれで嫌いじゃない

          立秋って、夏の果てと言うのね あ、蝉が鳴いてる あ、夕暮れに遠くのビルが霞んでる あ、湿った風の匂いにふわりと包まれる 夏の果てのこの瞬間 ブルーとオレンジが交じり合うところ あ、今の私はそこなんだ ブルーでもオレンジでもない私 それはそれで嫌いじゃない

          イロトリドリが愛おしい

          世界中のあらゆるものが 元々必ず持っている可能性を発揮しようと一歩踏み出す瞬間に立ち会いたい。 そして、あらゆるものの可能性や素晴らしいところを表現して 勇気を持てないヒトモノに伝えたいんだ。 あらゆるものがその可能性を開ける世界になってほしい。 そうしたら世界はもっともっと幸せで彩られるはず。 自分にとっては、 ヒトも動物も虫もモノも、この世に存在するあらゆるものが並列なんだと気づく ありのままの自然にとてつもなく惹かれるのは その自然こそが自分の憧れる世界観そのものだ

          イロトリドリが愛おしい

          ワクワク。

          私の原動力はワクワク できるかできないかは置いといて こんなことできたら面白い! こんな世界観ステキ。 そうやって面白い世界観を描く 描いた世界観を伝えるとさらに面白いアイディアがもらえる そうやってワクワクがリアルにリアルに くっきりと、ありありと映像化されると もうやりたくてやりたくてたまらなくなる だからここに私のワクワクをアウトプットしちゃう <わたしのココロが喜ぶこと> ・リスペクトの気持ちを持って大自然の中に身を置くこと ・大自然を五感で感じること ・大自然

          ワクワク。

          ドとド♯のあいだ

          2時間のドライブで 音楽を聴きながら思ったこと 音は線だ 流れるように連なる 鼻歌でゆるやかに奏でるメロディーが その時だけの私の音 楽譜にするとドの次はド♯ でもドとド♯のあいだの音もある そんな事をどこかで聞いたな 型にはめると 本当の姿が隠れてしまう ただ鼻歌のように ドでもド♯でもない音を 思うままに奏でたい こうして言葉を連ねながら思うこと 私の奥底で渦巻くあれを 言葉にした瞬間 私はその言葉に囚われてしまう あの気持ちはなんなのだろう 悲しさでもない

          ドとド♯のあいだ

          あなたのように。

          わたしの小さなココに するするするっと しずかにあなたは入ってくる どこからきたの? どこへいくの? わたしの小さな声にかまうことなく あなたはただ過ぎていく やわらかく、 やさしく、 しなやかに、 あなたはただただ流れていく あなたに満たされながら知る わたしでしかないわたし 小さなこの手であなたに触れながら思う まどうことなく。 あらがうことなく。 あなたは ふわり わたしの手を撫でる

          あなたのように。

          旅する滴。

          柔らかな熱に包まれて ポツリポツリ カラダ中を旅した滴が 小窓の微かな灯りの中で つるん 滑り落ちる 静かで透明なあなたは どんなわたしも知っている 気がつくとあなたは わたしの視界を ぼんやりと彩り 小窓の微かな灯りの中で 柔らかな熱の中で するりと 頬を撫でる ゆらゆら わたしはわたしに還る

          旅する滴。

          ゆり籠に抱かれて

          とある森に出かけた今日。 色とりどりの緑に目を奪われ ふと足を止めて 目を瞑る 雪解け水がさらさらと耳を打ち 葉のささやきに耳を澄ます 風がカラダ中を通りふわりと私を包む ひだまりの中でざわめく木々 母のように揺るがない存在がそこにあり 思わず身包みのようなふわふわの幹に身を委ね 深く深く森の薫りを吸い込む 何百年、何千年と息づく森の声を 全身で味わう。 どんなに考えても、どんなに言葉を繕っても 叶わないほどの壮大さに打ちのめされ 私という小さな小さな存在を知る 言葉

          ゆり籠に抱かれて

          今年もツバメさんが巣を作ってくれた ようこそ我が家へ 今日は雛鳥たちが近所を飛び回ってる 彼らには国境がなく ただただ自由な空を飛び歩くのだね 広い広い世界を見にいくのだね 私なんかよりもたくさんのたくさんの世界を見るのだね

          今年もツバメさんが巣を作ってくれた ようこそ我が家へ 今日は雛鳥たちが近所を飛び回ってる 彼らには国境がなく ただただ自由な空を飛び歩くのだね 広い広い世界を見にいくのだね 私なんかよりもたくさんのたくさんの世界を見るのだね

          涙だけが知っていること。

          心が震え、言葉にならない想いを感じる時、 いつも涙が止まらなくなる。 同じ時を過ごす中で 自分に向き合い、見違えるように変わった人たち。 目が眩むほどに眩しい人たち。 その変化に立ち会えた嬉しさと同時に 自分の声が聞こえる。 「おまえはどうなんだ」と。 思いに向き合い、「実践」している人に囲まれた時に感じる、 自分が透明になっていくような感覚。 これまでいつもそう。 透明な自分を、 スペックで隠し、会社の看板で隠してきた。 すべてを脱ぎ捨て、 ごまかしの効かない今。

          涙だけが知っていること。

          登山、限りなくゼロに戻る場所。

          15年来の仲間から手紙が届いた。 思い出の写真を添えた手紙。 そうか、二十歳を迎えるその日、私は山の中にいた。 そんなことを思う成人の日。山の魅力を綴ってみる。 私が山に出逢ったのは、 昨今の「山ガール?」ブームのはるか昔の話。 毎年夏休みには3週間かけて北アルプスを縦走する。 一足2キロはある登山靴を履き、食料、燃料を詰め込み、 20キロ超にもなるザックを背負い 新宿からの夜行列車で信州へ向かったものだ。 いわゆるキラキラ女子の多い大学だったこともあり クラスの友人から

          登山、限りなくゼロに戻る場所。

          近くて遠い、母への想い。

          ここ数年、見ないようにしていた自分の心の燻りに 今日不意に出くわしてしまった。 小さい頃から四六時中仕事で家にいない父に代わって 母がいつもそばにいた 4歳の頃、 わがままを言った私に愛想を尽かし 母が家を飛び出した。 私は夜通し泣いていたと言う。 それから、 長女の私は、 手のかからない優等生のお姉ちゃん という着ぐるみを着ていた 幼稚園のお道具箱がクラスで一番綺麗です と先生に言われた時 初めて 母が褒めてくれた 私は嬉しくて、嬉しくて、 もっと褒められたくて、

          近くて遠い、母への想い。

          冬の夕暮れに思うこと。

          田んぼの真ん中の田舎道を走る。紅の空にうっとりしながら走る。 「あー盛岡に帰りたい」 そう思えることがなんだかすごく幸せ。 帰る場所だから愛しいのか、愛しいから帰りたい場所なのか 盛岡の風景に昔の自分が重なって見える感覚。 そうだよね、私が心動くのは、 変わらないその場所と、そこにいた自分が蘇る瞬間なのかも。 同じ夕焼けも、 盛岡で見ると、汗だくで自転車を漕ぐ高校生の自分が見えてくる。 そうそう、山の上の学校から、友達と自転車で、 真っ赤な大きな夕日を見ながら、歌い

          冬の夕暮れに思うこと。