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ゆり籠に抱かれて

とある森に出かけた今日。

色とりどりの緑に目を奪われ
ふと足を止めて
目を瞑る
雪解け水がさらさらと耳を打ち
葉のささやきに耳を澄ます
風がカラダ中を通りふわりと私を包む

ひだまりの中でざわめく木々
母のように揺るがない存在がそこにあり
思わず身包みのようなふわふわの幹に身を委ね
深く深く森の薫りを吸い込む
何百年、何千年と息づく森の声を
全身で味わう。

どんなに考えても、どんなに言葉を繕っても
叶わないほどの壮大さに打ちのめされ
私という小さな小さな存在を知る

言葉は無力と知ると、できるのは
静寂の中で森を感じることだけ。

言葉を持たず
煩悩を持たず
そこに居続けるあなた。

衣服も髪も体も、煩悩すらも脱ぎ捨て
あなたという揺りかごに抱かれながら
小さな小さな自分という存在を慈しむ。

この星に生まれて
揺るがないあなたの中の小さな自分を知り
自分であり続ける宿命の中で
必死に向き合う

無力な言葉を使い
無力な道具を駆使して考えてしまう。
私は何のために生きるのか。

あなたというゆり籠に抱かれて初めて知る
小さく無力で、愛おしい自分。


(memo)
大きすぎる自然を目の当たりにすると、人は丸裸にならざるを得ない
衣服や化粧や髪型、自分のカラダ、煩悩すらも意味をなさないことを知るから。
そうして丸裸になると
自分がどれほど小さな存在なのかを知る。
それでも今、
人としての命を「いただいている」と気づくと
小さな自分という存在そのものが愛おしく思えてくる。
小さな自分を受け入れられると
丸裸になった自分の奥底にある声が聞こえてくる。
人って不器用。
自分の心に抱えた重い鎧は自分の力じゃ脱げないから、
自然という大きな存在に会いにくるのかな。
自然の力を借りて心の鎧を脱ぎ捨てるために。
あー「母なる自然」って今ならすっと心に落ちる。

東北には見上げるだけで心の鎧を脱ぎ捨てられる
ゆり籠のような自然があります。
そのゆり籠に抱かれながら小さな小さな自分が紡ぐ心の声に耳を澄ます時間。
それがMARUMORI-SAUNAの私にとっての価値。

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