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登山、限りなくゼロに戻る場所。

15年来の仲間から手紙が届いた。
思い出の写真を添えた手紙。
そうか、二十歳を迎えるその日、私は山の中にいた。
そんなことを思う成人の日。山の魅力を綴ってみる。

私が山に出逢ったのは、
昨今の「山ガール?」ブームのはるか昔の話。
毎年夏休みには3週間かけて北アルプスを縦走する。
一足2キロはある登山靴を履き、食料、燃料を詰め込み、
20キロ超にもなるザックを背負い
新宿からの夜行列車で信州へ向かったものだ。

いわゆるキラキラ女子の多い大学だったこともあり
クラスの友人からは物珍しい目で見られた。
「何でわざわざ山に行くの??」
登山をしない人にとっては不思議でならなかったらしい。

私が感じていた登山の魅力は
「生き直せる」ことに尽きる。

重い荷物を持ち、延々と登っていると、
眼に映るのは自分の足元だけ。
岩や泥で汚れていく登山靴を見ながらいつも思っていた。

「私、何のために山に登ってるんだっけ」

しかし、ひたすらに登っていくうちに感性が研ぎ澄まされていく。

ふと目に入る高山植物の美しさに心を奪われ、
いつもより近くにある太陽の熱を身体中で感じ、
山の空気をありがたく味わい、吸い込む。

山で飲む水ほど美味しいと思った水はない
(登山口のトイレで汲んだ水だけど・・)
俵万智さんも書いていたが、
登山中に食べる食事を「行動食」という。
そう、そもそも人は、行動するために食べるのだ。
そんな当たり前のことを思い出させてくれる。

水があるのがありがたい。
食糧があるのがありがたい。
星空からこぼれる頼りない灯りがありがたい。

都会の生活の中で
色々なものを足し算していた自分が
山へ登ると
生きるのに最低限必要なもの以外を
捨てざるを得なくなる。

そうして限りなくゼロに近づくと、
生きている今に、
息を吸っていることに、
感謝できるようになる。

生きる意味とか、そんな贅沢な悩みなんてどうでも良くなってしまう。
水と食料と燃料と仲間がいる、
それが幸せ。生きててよかった。
思考もシンプルになる。

久々に登ってみようかな、ふふ。

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