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夏目漱石「二百十日」

「明暗」読んだあとに、ほかの小説家、遠藤周作、森鷗外と読みました。
ここで漱石にもどり、まだ読んでいない作品を読むことにしました。
中編、長編小説としては、「二百十日」、「野分」、「虞美人草」、「坑夫」です。

「二百十日」は、圭さんと碌さんの二人の会話を主とした小説です。
ふたりの軽妙なやり取りが、なんとも面白く、またふたりの性格描写も巧みでそれぞれの個性あふれる人柄を描いています。

内容は、阿蘇山に登る話で、特にストーリー的なものはありません。
四苦八苦して登りながらのふたりの会話のやり取りに終始します。
宿屋に泊まってから出発するのですが、そこの下女との会話も面白いです。

本書から以下を引用します。
(夏目漱石全集  Kindle 版. ちくま文庫版準拠)

「だって 君 は 一昨夜、 あの 束髪 の 下女 に 二十 銭 やっ た じゃ ない か」
 「よく 知っ てる ね。 ─ ─ あの 下女 は 単純 で 気に入っ た ん だ もの。 華族 や 金持ち より 尊敬 す べき 資格 が ある」
 「そら 出 た。 華族 や 金持ち の 出 ない 日 は ない ね」
 「いや、 日 に 何遍 云っ ても 云い 足り ない くらい、 毒々しくっ て ずうずうしい 者 だ よ」
「君 が かい」
 「なあに、 華族 や 金持ち がさ」
「そう かな」 
「例えば 今日 わるい 事 を する ぜ。 それ が 成功 し ない」
 「成功 し ない のは 当り前 だ」
 「すると、 同じ よう な わるい 事 を 明日 やる。 それでも 成功 し ない。 する と、 明後日 に なっ て、 また 同じ 事 を やる。 成功 する までは 毎日 毎日 同じ 事 を やる。 三百六十五日 でも 七 百 五十日 でも、 わるい 事 を 同じ よう に 重ね て 行く。 重ね てさえ 行け ば、 わるい 事 が、 ひっくり返っ て、 いい 事 に なる と 思っ てる。 言語道断 だ」 
「言語道断 だ」
 「そんな もの を 成功 さ せ たら、 社会 は めちゃくちゃ だ。 おい そう だろ う」
 「社会 は めちゃくちゃ だ」
 「我々 が 世の中 に 生活 し て いる 第一 の 目的 は、 こう 云う 文明 の 怪獣 を 打ち殺し て、 金 も 力 も ない、 平民 に 幾分 でも 安慰 を 与える のに ある だろ う」
 「ある。 うん。 ある よ」
「ある と 思う なら、 僕 と いっしょ に やれ」
 「うん。 やる」 
「きっと やる だろ う ね。 いい か」
 「きっと やる」 
「そこで ともかく も 阿蘇 へ 登ろ う」
 「うん、 ともかく も 阿蘇 へ 登る が よかろ う」 
  二人 の 頭 の 上 では 二 百 十一 日 の 阿蘇 が 轟々と 百年 の 不平 を 限り なき 碧空 に 吐き出し て いる。

この文章が、小説の結末です。
前日に、阿蘇に登ろうとして道に迷い戻りました。
それが二百十日で、きょうが二百二十一日というわけです。

漱石の上流階級に対する批判が、この会話の中に伺えます。
思わずおかしくて笑ってしまいます。

変な話ですが、前回「明暗」読んでいて、今回「二百十日」読むと、なにかほほえましく肩の荷が下りるようです。
徐々に担いでいる荷が重くなってくるということでしょうか。


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