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シュトルム「マルテと彼女の時計」

わたしが愛読するこの作品は、シュトルムの処女作(1847年)です。
20分程度で読める短編小説です。

あらすじは、北ドイツ地方のある町の一人の未婚の老嬢マルテの孤独ではあるが簡素で満ち足りた生活を、筆者が学生の頃に下宿先での思い出として描いたものです。

思い出の中のマルテが、両親、兄弟姉妹がいたころのクリスマスの情景や、さらに兄弟姉妹が結婚で家を出て父親が死亡した後の、母親との二人の生活と母親の死を思い出す形で記述されています。
そこには、いつも古い時計が、チックタック、チックタック、ボーン、ボーンの音とともにマルテに話しかけます。

末尾には以下のような思い出が記されています。
「人生を知ってこれを愛するものなら、あえて口に出そうとしないことを、彼女は良く大きな声で怖じることなく言ったものである。『わたしは一度も病気になったことがありませんの。きっと長生きするでしょうよ』と。」

この短編小説が、なぜわたしを惹きつけるのか不思議でもあります。

ひとつには、このマルテの生き方に対する共感です。「足るを知る」という老子の言葉がありますが、まさにマルテはそのことを体得しているのではないでしょうか。東洋が舞台ではなくドイツが舞台であることの意外性があります。

つぎに、この小説の構成が「時」を重視しているように思われる点が興味を引きます。
筆者の過去の学生時代の思い出のなかで、マルテがさらに過去の情景を思い出している。このように時間が重層化しています。そして、時計を擬人化して介在させています。

そして何よりもこの小説を読み終わるたびに、「わたしは長生きするでしょうよ」のマルテの言葉がいつまでも残響のようにわたしの心を占めて、その後のマルテの消息は不明のことからも、言いようのない「切なさ」に捉われるのです。

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