『本が読めなくなった』人の「読力回復」リハ

こんにちは、脳コワさん5年生鈴木大介です。おかげさまで拙著最新刊『「脳コワさん」支援ガイド』が早速重版をいただきました
基本的には広域定義での援助職・援助者、当事者ご家族、そして当事者に向けて書いた内容だったのですが、今回はまず当事者の方に届いている感じがあります。
じわじわ援助職の皆様にも届いてほしいな~~と思う一方で、ちょっと申し訳なく思う部分もあります。それは今回の本を書く際に、「当事者が読みやすいように」の配慮をさほど意識しなかったからです。
ということで、お詫びも兼ねたプロモ記事第三弾です。

※脳コワさんとは……
発達障害・認知症・高次脳機能障害・うつ病など精神疾患全般の
あらゆる「脳に機能不全を抱えた」ことで不自由を抱えている当事者さん
(念のため・僕は高次脳機能障害の当事者5年生です)

脳コワさんは本が読めなくなる

さて。脳コワさんに共通する症状として、「本が読めなくなる」「文章が読めなくなる」といったことがよく聞かれるのですが、実は僕自身も病後一度は本を読むという機能を失いました。今日は、そんなときに僕がどうやって本に向かい合っていったかのお話をします。
ちょっとマッチョな話だけど、僕にとって「読むこと」はほかの何を差し置いてもどうしても再獲得したい機能だったので、かなり無理して頑張ってしまったお話です。

5年前。脳梗塞発症後の僕は、書籍どころか病院から渡される入院生活に関するパンフレットや検査の同意書など、3行以上の文章を読むことが困難になってしまいました。文章を構成する単語の意味は分かるのだけど、それが連なって一文になると、その文が意味するものが頭に入ってこなくなる。数文連なって文章になると、もう全く意味が分からなくなってしまい、ただただ混乱してしまうのです。
こうした症状、僕は病前の生活困窮者取材(精神科通院とかしてないケースも含め)のなかで何度も見てきたのだけど、脳コワさんにこの状況が共通するのはとても当たり前の話に思います。
人は脳機能にトラブルを抱えていたり、ストレスや不安や脳疲労といった負荷が強く脳にかかっている状態で、共通して低下する機能があります。
ワーキングメモリ(脳内で思考作業をするための短期記憶)
マルチタスク(いくつかの思考作業を並行して行う)の能力

です。
ちなみに闘病記で何度も例に出しているケースとして、病後の僕は買い物のレジ会計で店員さんの言った金額(レジスターに票除されている金額)を、小銭を数えている間憶えていることができなかったり、急性期では5枚以上の硬貨を数えられなかったり(数えているうちに何枚数えたか忘れてしまう)、パソコンのモニターに表示された電話番号を携帯に打ち込む際の「目を離した瞬間」で記憶を失って連続間違い電話をしてしまったりなんてことがたくさんありました。
個々の単語の意味は分かっても、それがいくつか連なる文になると、読み始めの単語が頭からすう~っと消えてしまう。何とか一文理解しても、文が連なると、前の文の内容も記憶から消えていくから、意味がつながらない。
一文を理解しながら次の一文を読むという行為は複数の思考作業の並行(マルチタスク)でもあるからものすごく困難だし、おまけに集中したい目の前の文章以外の不要な視聴覚情報も脳にバンバン入ってきたり、そのうちで一番注意を惹く情報に注意が占有されてしまう注意障害まであるもんだから、もう、無理や!!!
という感じで、病後の僕は本どころか文章を読む機能を完全に失ってしまっていたのでした。
かつて取材してきた人たち。借金や税金の督促状を「読めない」ではなく「なに書いてるかわかんない」と言ってたし、受けられる公的扶助の申請用紙とかもやっぱり「意味が分からない」って言っていた。
自分の生殺与奪に関わるものを「わかんないで済ますな!」って思ったこともあったし、そんなにだらしないから困窮するんじゃないかとかまで思ったことあった。マジね。わかんないよね。全身全霊で懺悔。本当にごめんなさい。

はてさてでもでも、今回はこの読めなくなった僕が、「どのようにして読んだか」について、ちょっと書こうと思うのです。

※ここからは、今後刊行される「とある書籍」に寄稿した文章で
没にした部分を加筆修正したもの。
刊行されたらアナウンスされますが、そちらには読めなくなったはずの僕がすんなり読めた「特定の文章」「特定の本」と、
それを読むことをセルフリハビリ行為にして読む機能を取り戻していった経緯を書きました。お楽しみに!

読めないのに「書評仕事」請けちまった!

それでね、読めなくなってしまった僕だけど、3行以上が読めないってレベルの時期は、数か月ぐらい。それまでは発達障害特性の大先輩である妻の指導で、竹定規とかクレジットカードで「いま読んでいる一区切りの文章以外を隠す」って対策をして、見える部分を理解するまで何度も読んだり、音読してみたりってことをしていました。
要領を得ない取引先からのメールなんかが一番苦労したけど、液晶モニターを指紋でベタベタにして頑張ったよ。そのうち頑張るのをやめて「メールは一本に一要件。複数要件がある場合は番号を振って箇条書きでよろしく!」なんてお願いできるようになったけど。

でもね。困っちゃったのは、短文はよめるけど本一冊とかマジ無理って状況にあったころにも「書評」の仕事が来ちゃったり、対談相手とか会う人の「過去著作」を読む必要があったりと、本一冊を読み通さないといけないシーンが出てきちゃったこと!
 ああ。本音を言えばお断りしたいけど、本が読めませんって本書いてる人間が言えない。読めなくても書けるんだけど(そのことはさっき触れた刊行予定の本の方にしっかり描いたよ)、説明するのめんどい。いや、悔しいし、説明困難。にもかかわらず、
「ぜひお請けします」
ってメール、送信ボタンクリック! してから、真っ青になった。どどどどうしよう。

初めはこんな感じだったと思います。ではそうやって請けてしまった「本を読む仕事」、ぼくはどのようにクリアしたでしょうか。
それは結構力業だったと思うけど「読みながら書く・書きながら読む」ということでした。

本を読み、ここは大事だと思う内容の部分やどうしても意味が脳に入ってこない部分は、そこだけを切り出して自分なりの解釈や翻訳、感想などを短くノートに書きだしてみるんです。もう徹底的に。それが1ページ5か所あったら、5回その作業をする。
あと、主語と述語が離れていたり、主題が転々とする文章、「だけれど」「一方で」なんて文章のベクトルが複雑に前後左右する文章などは混乱するので、もう本そのものに赤ペンで囲みと矢印を書いてしまい、「この文はここにつながっているぞ」「この文で言いたいことはここまで」なんて可視化してみたりする。

これって学生時代の試験勉強でもやったことによく似ているし、「教科書ガイド」を作っているような気分でもあります。よく推理小説ファンなどでは登場人物の相関図や物語の構成要素をノートに書きだしながら読む人がいるというが、もう下手すりゃ1ページにつき自分のメモ帳が数ページみたいな場面まであるから、比じゃない。

けれど実際にやってみて痛感したのは、実は本を読むって、単に読むだけじゃ全然ダメだったんだなってこと。情報を脳に入れて、その意味を解釈して理解するってプロセスを踏むことで、初めてしっかり記憶に残る。脳コワさんはこの解釈と理解を「頭の中の黒板だけ」でやるのが苦手だから(だってその黒板に書いた文字がすぐに消えやがるから)、紙に書いて思考を外在化し、しっかりプロセスを踏むことで、「記憶に残る読書」にしていくわけです。
要点だけピックアップしてそれ以外は読み飛ばすなんて高度なことはできないから、全ページに力技。間違いなく、読んでいる時間の10倍は、書いている時間に費やされる。こんなだから当然、本を読むスピードにはまるで期待できない。

 病後初めてガッツリした書評としてお受けした仕事は滝川一廣先生の『こどものための精神医学』(450ページ少々)だったと思うけど、それ以外の全仕事をストップしても丸々一週間かかったし、毎日読んだ後には目の焦点も合わず呂律も回らず、ワインで夕飯を流し込んで即寝室に直行という体たらくになりました。
けれど、あの読了感は忘れられないな。間違いなく、病前の読書では得られなかった、豊かさと深みのある読書経験だった。元の本が素晴らしかったこともあるけど、あんなにも精彩に記憶に残る読書は、人生に数えるほどしかなかったと思います。
 同時に、あれは間違いなく超高強度&理想的なリハビリ課題でした。脳に負荷をかけなければ機能回復が望めないのは、身体の麻痺も認知機能も同じ。だったら、読む機能を取り戻したければ、最良のリハビリはどんな工夫や代償手段を使ってでも「読むこと」だと思うので。

というわけで、この観点から言うと、拙著が当事者向けに書けているかはかなり不安なので、先に謝っておきたい。そんで、読みづらいな、頭に入ってこないなって思ったら、ペンとノートを手に取って、ご自身なりの『「脳コワさん」支援ガイドのガイド』を作ってくだされば、それはすごく豊かなリハビリ行為になると思うのです。

ちょっと長くなったので、続きはまた後程公開しますね。続きあるんか⁉というかんじだけど。


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