キャッシュカードを作り直した

ずいぶん前に。たぶん、夏前に作り直した。で日記に書こうと思ってずっと忘れていた。
今年の夏は色々あって体調不良でヘバっているうちに雨が降り、そして過ぎていった。どのぐらい調子が悪かったかと言うと、Twitterでムカつくクソリプ、クソ引用してきた奴を躊躇なく切ったりブロックしたり出来るぐらい。あと、モスバーガーの夏だけやってるやつのことをすっかり忘れ去っていたぐらい。
ナンタコスとか、今年もモスバーガーさんやってた…?

そんぐらい調子が悪かった。マジで死ぬまで頭痛が治らないんじゃないかと思ったし、今も思っている程度には痛い。でもね、アタマの痛い時にしか出ない汁、ってのもあるのよ。
だからまあ、書ける程度に痛い時には書くのよ。小説を。

そーーすっと、こういうどうでもいい話がドッカ行っちゃう。

昔々ね、ウチの近所にあった銀行は東海銀行と言って。我が家のバア様はじめみんなの口座があった。あの頃は預金の利息で旅行に行けたり、ゼータク出来たりしたそうな。
でも、いつの間にかその東海銀行がUFJ銀行という名前に変わった。アルファベット3文字並べたらプロレス団体に見えるビョーキを長年患っている私にして見りゃ、しゃらくせえ!(天龍ボイス)の一言なんだが、実はこのUniversal Fighting of world Japan銀行(やめろ!)に口座を作る事が、私の人生において意外と大きな意味を持つ出来事になったこともあるのです。

フツーに高校生のガキがバイト代を振り込んでもらうくらいならゆうちょでも何でもいいんですが、高校を卒業してちょいとメキシコまで行くことになり、そこで外国でもお金を引き出せるようにする必要が出たんですね。
それで、海外でも使えるんで、ってことでUFJ銀行のカードを作る事になった。2005年の春先のことだった。

その時に作ったカードと口座を今でも使ってるんですが、カードが流石に擦り切れてしまって……ずいぶんと年季の入ったキャッシュカードになっていた。
そりゃそうだ15年以上も使ってるんだもん。
このままじゃ、早晩どっか出先のATMを詰まらせて、涙目で鼻声で備え付けのテレフォンを手にすることになる。そう思ってても、中々ギンコー様の営業時間中に仕事を休むことも出来ず。そうこうしているうちに転職して、ヘージツ休みが出来た。そしたら今度は、ギンコー行くのを忘れるんだな、コレが。
しょーがないだろ、昔から忘れ物が多いことでブラックてビルシールが3往復したくらいなんだから。忘れてしまいたいことばかり覚えてるよ。

でね。遂に、このオールドキャッシュカード。割れまして。
使えないことはないんだけど、確実にコレはまずいと思って。そっからまた数週間かな、まあ忘れてまして(しょーがないだろ)。

遂に銀行さんへ行って、あのーすみませんがキャッシュカードが…と申し出たところ。
今すごいのな。書類も何も書かなかったよ。あのほら、銀行さんのサラ金でお金借りる時に入るブースみてえのあるじゃん。あんなボックスに入って(サラ金とはまた別のやつね)、そこで秘密基地の森山隊員みたいなお姉さんと話して、なんか入力して、それで終わりだった。一週間ぐらいで届いたよ。
ボールペンもハンコも要らなかった。いやーービックリだ。銀行ほどハンコにうるさいとこないと思ってたから。

まあもっと難しくて金額のデカい取引とかするんじゃないしな。

もう使えないヒビ割れたカードだけど、なんとなく捨てられなくて残してある。
あれがナウカルパンの黄色い街角にあるATMに差し込まれて、ペソ紙幣を幾らか寄越してくれて助かったって記憶が、いつかもっと曖昧になっちゃったとき。
アレがまた私の脳内に繋がってる記憶の引き出しから、いくらかの思い出を蘇らせてくれる気がして。

未練と借金は溜まってもロクなことないよ、キッドさん。
いいんだよ。思い出と借金は抱えて生きてるウチが華だよ。
抱えきれなくなったら?沈むんだよ。未練は思い出に。借金は海に。

画像1

画像2


小銭をぶつけて下さる方はこちらから…励みになります また頂いたお金で面白いことを見つけて、記事や小説、作品に活かして参りますのでよろしくお願いいたします。