見出し画像

愛妻日記15.2

先日、あたいと徳利さんがやってるPodcast番組のニクラジが300回を迎え、お祝いのコメントやメールをいただいたりしてありがとうございます🙇
また母が死んで、励ましの言葉など頂きましてありがとうございます🙇

赤ちゃんは今キャベツくらいのデカさらしいです。

この有料のマガジンを開設して、半年くらいですがなかなか思うように更新できずにいたので、年内に一発真面目に記事を書こうと思い、筆を執りました。(本当はフリック入力です)
購入してくれた人本当にありがとうございます🙇

それではスタート!

母が死んで一ヶ月以上が経った。

いないことが不思議な気分で、実家にいくと骨壺が仏壇のとなりに鎮座しているので、それを見て母の死んだ日を思い出す。そして、母が死んだことを再確認する。

寂しいかと言われればもちろん寂しいんだけど、最近は妻の父も病床に臥せているため、母の死を悲しむ暇は僕らには無かった。

今年の初めに妻の父、つまりは僕の義理の父にがんが見つかり、治療を続けた一年だったが、つい先日緩和ケア病棟に移ることになった。

先週、久しぶりに会ったときには入院中で、このご時世だけど余命が短いため、面会は誰でも出来るという状況になっていた。

腹水がたまり、声を出すのが辛いようで、小声で喋るお義父さんに僕は大声で喋りかけた。

「思ってたよりお元気そうで良かったです」

と伝えるも、命のろうそくが短くなっているのは誰の目にも明らかだった。

お義父さんは見舞いに来る者と必ず握手をするらしく、僕も初めての握手をした。声の小ささからは想像できない力強さで手を握ってくれた。

十年以上も前に、当時ほぼ無職で無収入のチンピラ(別に反社的な意味ではない、フリーターみたいな感じ)みたいな僕と妻に子供ができて、結婚をするのしないの、してもお金がなくて色々大変みたいな時も優しかったお義父さんだった。
お義母さんが僕に怒っているときも、まあまあとなだめてくれた。

お義母さんと妻が喧嘩をして絶縁状態の時も、仲直りするように手紙を書いたり、僕に電話をして、君からも娘に謝るように言ってくれんかな?と、頼んできたり、妻の家の我が強い女三人をまとめていたお父さんだった。

お父さんがいることで妻の家の平和と幸せは保たれていた。

私の母の四十九日の法要があるが、それを待たずして妻を実家に帰すことにした。ここ最近は行ったり来たりしていたけれど、身重の妻は地元で里帰り出産をすることを選んだ。もちろん僕や娘も大賛成している。

お父さんと同じ病院で出産すれば、いち早く顔を見せれるし、お母さんも看護やお世話がやりやすいとのことで即決だった。(ウチと妻の実家は片道二時間ほど離れているから移動も大変)

母が死んでメソメソしたい訳じゃないけど、そんな暇はない。突発的に死んだ母と違って妻の父はこの一年をかけて死にいく人で、それを看取るのが残される家族の使命である。

今年は、お義父さんの病気が分かり、一瞬離婚しそうになり、妻の妊娠が分かり、母が死んで、お義父さんが人生を終わろうとしている。

いろんなことがありすぎた一年だった。

新型コロナウィルスの流行もあったが、自分達にとってはそれどころじゃないというのが本音だった。

他の人とは違う形で家族の絆を強く感じた一年だった。

来年は息子も産まれるし、いい一年にしたいなあ✨

母が死んでも、サウナに行きたくなるし、黒ギャルのビデオも見るし、カレーを食いたくなる。

そんなとき、お母さんごめんな~と思う。
でも、これが生きてるってことだなとも思う。

息子が産まれることを一番楽しみにしていた人たちが死んでいくのは辛い。

皆さんも親が元気なうちに親孝行した方がいいし、やりたいことがあるならやった方がいい。

人はいつ死ぬか分からないから。

早くZINEを作ったり、キャンプ行ったりしたいけど、しばらくは無理だろうな。

子供が大きくなったら男二人きりや家族四人でキャンプにいこうと思う。

僕も夏休みに父と母に連れられてキャンプに行ったもんだ。

自分も母くらいの年齢で死ぬと思うと、あと三十年で、折り返し地点は過ぎている。
人生百年で考えると三分の一が過ぎたところ。

いや、だいぶちがうなぁ!
自分がいつ死ぬかだけ教えといてよ!神様!

母が死んだ後に、母が好きだった巨人とSoftBankの日本シリーズがあった。
僕は子供の頃、巨人ファンだったけれど、大人になって、推しの球団は無くなって漠然とプロ野球が好きだった。

母の意思を継いで巨人ファン復活しようかな~😃と弟たちに話してるとSoftBankが勝利して、SoftBankファンらしい父が声を出して喜んだ。

無性にムカついた。

こいつ性格悪っ。そもそもそんな野球好きだったっけ?なんつーか、デリカシーないわコイツ。

そういえば、お義父さんも巨人ファンだった。

二人の分まで、来年は巨人を応援しようと思う。

俺の好きだった選手は

ここから先は

16字
この記事のみ ¥ 100

もしよろしければサポートしていただけるとありがたいです!