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今作っているスクランブルエッグは、失敗する予定(短編小説)

 今作っているスクランブルエッグは、失敗する予定だ。

 作り方は本来のものとは程遠いし、分量もめちゃくちゃだ。けれど、別にそれでいい。日曜の昼下がりに1人で作るスクランブルエッグが失敗しても、誰も悲しまない。

 誰も悲しまないから、冷蔵庫の余り物をめちゃくちゃに入れたりする。腐りかけのベーコンを細かく千切って四枚入れたりする。もちろん、まな板なんか使わない。洗い物が面倒だからだ。手で引きちぎって、牛乳の入ってない卵液に放り込む。

 牛乳。ああ、牛乳。独身男性が買うことのないもの。あんなに腐りやすいものを買ってしまうと、その後の生活は牛乳に支配される。何が食べたいかではなく、牛乳を使い切るためにどうしたら良いのか、という生活になる。おちおち飲みにいったり、寝過ごしたせいで食を一回スキップなんかしたりすると、あっという間にゾンビと化す。ショットガンで撃ち殺してやらなくちゃいけなくなる。自由な生活に、牛乳は必要ないのだ。

 自由な生活というのは、卵液の中に粉チーズをたくさん入れる事だ。粉チーズで山を作ってしまう。人は言うだろう。カルボナーラじゃないか、と。僕は言う。カルボナーラがスクランブルエッグになったら、美味いに決まってる。これはもう、親の仇のように入れる。親が健在であろうとも、親の仇のようにいれる。イメージを強く持ってほしい。

 ブラックペッパーを入れたら、それなりに混ぜる。混ぜたら、電子レンジに入れる。フライパン?使う訳がない。洗い物を増やしたくない。洗い物をしている時間というのは、少なければ少ないほどいい。

 2分ほど入れて様子を見たら、もう1分追加する。火が通っていればそれでいい。腹を壊さないから。こんなものが原因で会社を休む事になったら、皆に笑われてしまう。

 出来上がったものは、ぐちゃぐちゃに混ぜる。どんどん見た目が悪くなる。混ぜてる感触も良くない。スライムを弄って遊んでいた小学生時代を思い出す。

 軽くため息をつく。何のために生きているのか?しばらく生きてきて、人生の大勢が決した事をようやく知った。

 予想外というものは、もうこの世界においてほとんどない。情報があるからだ。「AとBを足すとCになるけど、AとDを足してもCにはならないし、Eになるだけだよ!」みたいな事は3分調べたら出てくる。スクランブルエッグだってそうだ。レンジで作るスクランブルエッグについて調べたら、正しい情報はいくらでも出てくる。それに背くという事は、つまり、そういう事だ。

 だからこのスクランブルエッグは失敗する予定だったし、只今より予定通り失敗するのだ。そしてこの人生も、大勢が決したこの人生も、予定通り進んでいく。良くはならない。少しづつ悪くなっていく。4枚入れたベーコンは、3枚になり、2枚になり、1枚になり、最後には無くなっていく。けどそれに伴って、僕の胃も衰える。だから問題はない。

 けれど、何もかも予想通りになっていく。では、その中で生きていく意味とは?

 そんな事を考えながら、スクランブルエッグを口に運んだ。案外不味くはなかった。少し考えた後、僕はタバスコをかけた。狂ったようにかけた。もっと美味しくなった。

 世の中には、まだまだ見つかっていない情報があるらしい。僕の浅はかな予定は、崩れ去った。

 この後は紅茶でも淹れながら、もう少し頑張って生きるにはどうすれば良いか、考えてみる事にした。

 …卵液に溶かしバターを入れ忘れた事に気づいたのは、夜になってからだった。単純に、舌が馬鹿なのかもしれない。

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