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ひびき(短編小説)



「しっかり捕まってなよ。落ちたら大変だから。」

「分かってるよ。」

夜の高速道路は静かで、車もほとんど走っていなかった。僕らはその中を滑るように進んでいった。

「私、人生でバイクに乗るなんて思わなかった。」

「人生は予想外で満ち溢れているからね。良い事も悪い事も。」

「なるほどね。ところでバイクも悪くないけど、音楽がないのが退屈ね。」

「君が歌ってくれてもいいんだぜ?」

「…音痴だけど大丈夫?」

「爆音でほとんど聞こえないから、大丈夫だよ。」

「…あるーひーもりのなかー」

何故その曲なのか、彼には全く分からなかった。しかも、子供でも歌えるはずの曲が、完全に調子外れになっていた。

「下手だなあ…。」

「何か言った?」

「いや別に…。」

彼らが目的地に着くと、もう太陽が仕事を始めていた。潮風が頬を撫でて、2人を歓迎した。まだ2月であるため、風はとても冷たかった。これでも、異常気象であり暖かい冬であるならば、普段はどれだけ寒いのか想像する事さえ憚れる。うみねこがもう少し起きていられるように、ギャーギャーと鳴き声を立てていた。

「兄さん、久しぶり。この子が電話で言った彼女。」

「おう。中々可愛いじゃない。」

「初めまして。すいません、押しかけちゃって。」

「いや、大丈夫。それより、入ってよ。」

彼の兄は、2年前に海辺に小さな家を買った。港町のはずれにあるその家は、辺鄙な場所にあるため買い手がつかなかった。しかし彼の兄は、誰もいないその空間が気に入った。漫画家の彼にとって、多少の辺鄙さはどうでも良かったのだ。

「まあ、何もないけど寛いで。今、お茶入れるから。朝ごはんは食べた?」

「お構いなく。朝食はここに来る前、コンビニに寄りましたから。」

そんな会話が繰り広げられていた時、突如パーンという轟音が響いた。部屋の中にいる誰もが驚いた。犯人を除いて。

「兄貴、誕生日おめでとう!」

当然ではあるが、犯人はこの男だった。

「びっくりしたなあ、もう!気持ちは嬉しいけどさ。ありがとな。」

「誕生日だったんですか!おめでとうございます!」

「言ってなかったっけ?だからさっきコンビニでクラッカー買ってきたんだよ。まあこれ以外プレゼントも無いけど、気持ちは受け取ってくれよ。」

「ああ、ありがとう。後片付けはしといてくれよ。」

「分かったって。兄貴、テレビつけてもいいだろう?片付けのbgm代わりにするからさ。」

「構わないよ。リモコンはソファーの上にあるから。」

彼がテレビをつけると、ニュース番組は悲壮な空気に包まれていた。それだけではなく、慌ただしさも感じられた。画面には赤い文字で、戦争が始まった事が記されていた。

幸いな事にこの国の事ではない。しかし、地理的には近い場所に位置している。しかも、侵略戦争だ。

彼らはなんとなく悲しい気持ちになった。よくよく考えれば、別に関係のない場所の関係のない人の話なのだから、気にする必要もない。政治学の学者ならば、この戦争が日本に与える影響について懸念を示す事が出来るかもしれないが、我々はただ想像をして悲しくなっただけだ。そこにデータも事実もない。経験値もない。想像力だけだ。

「…桜だな。」

彼は話題を逸らそうと、窓の外の景色について述べた。窓の外には、桜が一本だけ立っていた。当然2月なので花は咲いていないが、異常気象のせいか蕾が少しだけ出てきていた。

「前の家主が持ってきたらしい。中々に綺麗だろ?外に行って見てきたら?」

「そうしようか。行く?」

「え、うん。行く。」

「俺はいいや。毎日のように見てるしさ。」

2人は桜の木の前に立った。蕾が顔を出し、春の訪れを待ち侘びていた。

「もうすぐ春だな。」

「うん。…手、冷たいの?」

「なんで?」

「真っ赤になってるよ。」

「手袋してたんだけどな。ボロだからな。」

すると彼女は、彼の手を自分のジャケットのポケットに入れた。

「温かい?」

「うん。」

何故だか分からないけど、彼は切なくて切なくて泣きそうになってしまった。言うべき言葉が見つからなくなってしまった。その代わりに、彼は彼女の手を自分のジャケットのポケットに入れた。

「…風が冷たいな。」

「…戻ろっか。」

どんな風が、例えば嵐のような風が吹いてきても、2人ならなんとかなる、ような気がする。だから、気ままに川のように、流れていけばいい。

彼らはそう思いながら、歩いていった。

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