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仕事におけるコミュニケーションに思うこと

「仕事をする上では最低限のルールさえ作っておけば、最低限のコミュニケーションで十分」


これはひとつの理想。

阿吽の呼吸とでもいうべきか。

いわずとも伝わる、
目的に向かって進んでいける状態ってこと。



職場におけるルールつくりは、
言わずもがなチームの成功の成否において重要な要素になる。

ルールといっても誰もが守れる簡単なものから、
それを守らないと致命的なエラーになるものまでさまざま。

最低限のルールとは、

・シンプルで数が少なく
・だれもが使えて
・かつ具体的なもの
・状況によってカスタマイズできるようにできる

みたいな感じがいい。

参考はこちらだ。

ただ、それだけではうまくいかないのも事実。


ずいぶんとご無沙汰しておりましたが
今日は、どの職場にも起きている
基本中の基本を守れば起きないのに、それが守れていないから起きてしまう問題
について語らせてくれ。


なお、文章は少々荒れめだけどそれだけ本音で語っている、
と思ってくださればと思います。


◆ルールだけではどうしようもない


ルールだけでうまくいくなら、
とっくに職場における問題なんて根絶されているはず。

じゃあなぜ問題がおきるのか?

個人的には「感情」が最大の原因だと思っている。


どれだけ秀逸なルールを作っても、
淡々とそれをこなすだけでは職場に活気はうまれない。

声かけとか、ちょっとしたコンタクトはしないとうまく回らない。
これが理解できないと、回りまわって自分の仕事が行き詰まる。

活気なんて、精神論みたいなものを信じろと?
と思われるかもしれないが、働くのは人間だ。

テンションや雰囲気というものは目に見えないが、
これ以上ないくらいに大事なものなんだ。


このことは経験則で学ぶしかない。

いくら知識的に学んでも、
体感しないと本当の大切さには気づけないから。

しかし、ここにすら思い至らないということは、
それまでの人間だったってことで見るしかない。

やっぱり最後は人間力。

これがない人間は、どれだけ能力があってもダメ。
仕事では上に行けないし、人もついてこない。

人がついてこないってことは
ひとり分の力しか出せないってことだ。


◆人間力、大事。



極論だけど、多少現場の仕事ができなかったとしても、
人間力があれば人を動かせる。

つまり、本当の意味で仕事ができる。
早くここに気づいた人間から、成長していく。

残念なことに、かつての自分はそうではなかった。

仕事の能力が高ければそれでいいと思っていた。
実際、それでうまくいっていたのが勘違いを生んでしまった。

だけどそれは、単に運がよかっただけで、
実際はいろんなところに歪を作ってしまっていた。
だからチームが瓦解しそうになった。


最終的に自分が最終ラインとして守って持ち直したけど、
それは周りのサポートあっての話。

ここから得た教訓としては
「チームで仕事することにおいて、個人だけでどうにかなるなんて、そんな甘い妄想や幻想を抱くのは痛い目に合うだけ」
ということ。

それは自分の力を過信しすぎている。

自分ひとりでできることなんて、
そう多くないことに気づくべきだったんだ。

だけど、こんな失敗を経たからこそ、
部下やほかのチームの内情を聞くと、
どうしたらいいかってことがわかるようになってきた。

謙遜する気持ちがないと、何事もうまくいかない。これは真理。


……正直、自分よりはるかにヤバい失敗をしてしまっているケースも少なくない。そういうチームや部署、集団は何か一つを変えたからといって改善できることがあるかといわれれば、そうではないとも思う。だけど、やらないよりマシって思うので、聞かれたらアドバイスはしている。まあ、だいたいは実行に移さないけど。


◆仕事は楽しくやるもの

本当に仕事のことを考えていれば、
コミュニケーションというものは最重要視するはずなんだ。

そこをないがしろにするってことは、
仕事のことなんて本当はどうでもよくって、

自分が快適に(本当は快適になっていないのだけど)
わがままに、唯我独尊状態でいるってことだ。

まさに悪い意味でのセルフィッシュ。

でもそれって、仕事していて楽しいの?って思う。

仕事って1日の中の大半を使うわけで。
できるならその時間は充実した時間にしたいもの。

仕事の難易度で苦しむってことは
成長につながることなので悪いものではないと思う。

でも、人間関係で悩んだり、損するってことは、
本来はなくてもいいものじゃない?

しかもお互いが尊重できていれば、
そんなつまらないことって起きないんだし。

そもそもだけど、人間関係がうまくいかないってときは、
だいたいどちらか一方が不遜な態度をとったり、
尊重していないときに起きるもの。

両方悪いなんてのはキレイゴト。
サイコパスでダークサイドに堕ちた人間が攻撃を仕掛けてきてこそ関係はこじれる。

でもこれはなんとしても避けなくてならない。
あまりにコスパの悪い時間を過ごすことになる。

(まあ、避けられないんだけどね……)


こんなことをいうと
「だから仕事に楽しさはいらない」
なんていう、ツマラナイ人間に外野から石を投げられることがある。

しかしだな、楽しさがないといい仕事はできないんだよ。

余裕がない状態でやる仕事なんて、
いい結果を生まないんだよ。

それに複数人が合わさって仕事して得られる達成感って、
ひとりで達成するより充実感があるものなんだよ。

それらをすべて経験したうえで、
「仕事に楽しさはいらない」というなら
それはそれで受け止めよう。

しかしやってもいないのに、言っちゃうのはもったいない。
まずはなにごとも経験してみてからじゃないか?


◆楽しい=充実=人のため


たまに勘違いしているのは
「楽しい=笑っている」というもの。

ちゃらんぽらんに仕事して
ケラケラ笑っているのは論外だ。

そんなものは仕事とは呼ばない。
ただの雑談コーナーだ。

楽しいってことは、
前に進んでいる感触を得ながら、
どこかの誰かのために貢献できているっていう感覚。

結局、仕事というのは、
人のためにやることで充実感が得られるようにできていると感じる。



他者貢献というとカッコいいがシンプルに
「だれかの笑顔が見たい」でもいいんじゃないの?と思う。

それが顧客じゃなくても
同僚でも、家族でも、友達でも。
身近なところでいえば
家の中の皿洗いだって、やってくれれば嬉しいものでしょ。
ありがとうって言われたいでしょ。
動機なんてそんなもんでいいんだよ。


そう考えてたら、
身近にいる人に攻撃的になってる自分が
顔面から火炎放射が出るくらいに恥ずかしく
そして、ばかばかしくなるはず。

何のために人生、生きているの?となってくる。
人の粗探しするために生きてるの?
他人を蹴落として自分が上がることに意味があるの?
ツマラナイいざこざに頭を悩ませて、
他人を攻撃することに何の意味が?



そんなくだらないことしてないで、
もっと人を巻き込んでいい仕事しよう!
と気合を入れたほうがよっぽど楽しいでしょ。

もちろん、言葉が通じない人物も多少なりといる。
それは例外だ。そこにフォーカスしてはいけない。

事実、僕の近くにもいる。

コイツ、日本語通じねーな?
すぐキレるな……っていうどうしようもない人間が。

そういうのはもう、最強の反面教師としておこう。

でも大多数は「言えば通じる」人間である。

通じていないのは、自分が本気で伝えていないからなんじゃないか?



……


僕はここまで書いたようなことを思いながら
日頃から仕事している。

もちろん1分1秒油断せず意識できているかといわれれば、
ちょっと不安になるが。

それでも基本的なスタンスはこんな感じ。

たくさんの失敗をしてきたからこそ言えることもある。

失敗のない人間なんていないし、
それこそ失敗していないなら挑戦もしていないってことにある。

失敗を笑いたければ、盛大に笑うといい!
と思っている。

コンフォートゾーン。
ぬるま湯につかった状態。
自分の好きな温度の環境でぬくぬくしているだけの人間に
僕という存在を作る成分の1%も理解できないだろう。



失敗したってダイジョブ。
死ぬわけじゃない。
悪いことしたなと思ったら、謝ればいいし、
謝りたくないなら、ちゃんと態度で示せばいい。


そこをわかってくれない人なら切ればいい。
どうせろくな人間じゃない。


ってことで、ここ最近思っていることをコトバにしてみた。



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僕の考えがすべて正しいなんて、
ミジンコレベルですら思っていないです。

ただ、ネガティブなことをしても、
何のメリットも生まないよね?
無駄に疲れるだけじゃん?
ってことを言いたかっただけなんです。



ではまたどこかで本音の執筆をしたいと思います。

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