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間違った心理的安全性の作り方

「心理的安全性」

この言葉が最近、あらぬ方向に走り出している気がする。

というもの先日他の部署のトップと話していたときに「あ、これ間違って捉えている人多そうだな」って感じたことが発端。


仲良しこよしではない

一番やってはいけない間違いが「うちの部署は仲がいいんだぜ!」っていうやつ。

仲がいい=心理的安全性が高い ではないことは、ちょっとこの言葉について勉強すれば誰だってわかることだ。


しかし、コトバが一人歩き…いや一人走りしてしまったせいで、こういう間違いをやらかしてしまう人が出てくる。しかも管理職や部署リーダーに。


もちろん仲が悪いと心理的安全性が高まりにくいって側面はあるだろう。でも、仲が良すぎてもダメなのである。


超簡単にいえば、心理的安全性が高い状態ってのは「建設的なことを言って、批判や圧力をかけられない環境」のこと。
要は、チャレンジできる環境ってことですな。


仲が良くても、陰でコソコソ何かを言っているようではダメなのである。


ルールがない

これは昨日のnoteでも書いたのだけど、ルールというのは結構大事で。

マニュアルではなくて、ルール。
気になる方は、昨日のnoteをサッとでいいので読んでいただきたい。

ルールがあるということは、端的にいえば「ルールを守っていれば安全」ってことでもある。ルールの中は安全地帯。でもルールの外は……ポケモンで言ったら草むらである。何が飛び出てくるか、わかったもんじゃない。

ポッポとかならいいけど、突然スイクンやライコウが出てきたら?(世代じゃないかた、ごめんなさい)。


即全滅……である。


そのルールの中というゾーンにいることで、チームメンバー全員が責任が持てる。責任を持って発言や行動ができる、そしてそれらに対して批判的ではない空気をまとったチームこと「心理的安全性が高い状態」ってことなのである。


定義はいろいろあるけれど……

この言葉は定義がたくさんあると感じる。

読む本によって、結構違う。でも突き詰めていくと結局のところネガティブな要素ではなく、ポジティブな要素を積み上げたチームのことを指すのだと感じる。


批判的なチームがいい状態であるわけがない。

建設的な意見ならいいが、単純に「気に食わない」「それはやりたくない」なんていう感情論が先行してしまうようなやり取りや議論が発生するところに、いい仕事ができるわけがない。


心理的安全性って言葉は、それだけでは意味をなさない。単にひとつの状態を指す言葉。これに振り回されてはいけない。やるべきことは、この言葉を実行することではない。


やるべきことをやっていくことで、心理的安全性が高いチームは自然と出来上がっていく。それこそがスマートなチームだと思う。


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