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【note】文章は100%にしなくてもいい

基本的に文章というものは「100%の出来」じゃなくてもいい。



その理由を知っておけば、より文章が書きやすくなるし、楽しくなるし、発信もしやすくなる。



■理解度のレベルがちがう


読む人によって文章理解に差があるのは、文章を書いているときには意外と気づかないものだ。


考えたらあたりまえのことだけど、日本人は「完璧主義」とも言われがち。完成したものじゃないと世にはださないと。



これはこれで美徳として大事にしたい文化なのかもしれない。ただ、こと「ライティング」「ブログ記事」「SNS」の文章においてはデメリットになりうる。



自分がどんなに完璧だと思った文章でも、読む人に予備知識なりが入っていない状態だと、そのジャンルの文章は読めないのと一緒。



noteも「わかる人がわかってくれればいい」と割り切って書くのがいい。



どのみち万人になんて自分の言葉が刺さるわけがないのだから。




💡ちなみに・・・


万人に伝わらなくてもいい。

だけどもうちょっと突っ込んだことを書きたい。

その想いで「ここだけの話」マガジンを書いている。

この記事も最後までお読みになるには、マガジン専用としている(もしくは単品購入)

それくらい割り切ったほうが楽しくnoteライフを送れると感じている。


■あいまいな表現はいらない


あくまで「刺さる文章」ということを前提にした場合、あいまいな表現はそのスタイルに迎合しない。


と難しい表現で書いてみたが、ようはこういうことである。


「〜と思われる」

「〜と思う」

「〜だと考えられる」



みたいな表現のこと。


文章に余白を残しているのがおわかりだろうか。読者の想像力に任せている部分がある。


「〜と思う」というのは、書き手としてはついやりがち。その方が反対意見に対するハレーションがないから。


しかしだ。


断定しないモノの書き方はときとして「抽象的すぎる」印象を与えてしまう。


本当は大事なことを言っているのに、その真意が伝わらない。これほど悲しいこともないだろう。主語をボカしてしまったがあまり起こってしまう悲劇である。



断定する物言いは強い表現として区別され、ときに敬遠されてしまうもの。ただ、自分の意見を相手に刺したいなら、ここは怖がるべきではない。ある種覚悟を持って表現すべきである。


もしその覚悟がないなら、そもそも発信することをやめてしまうというのも一手。別に悪いことではない。だれもそこは止めないだろう。


刺さる文章を書いてこそ、とくにnoteでは「売れる」という現象がおきることを理解しよう。




■あえて余白を残すのも大事。


あいまいな表現で余白を残すのは刺さる文章としては得策ではないことはここまでの章で書いてきた。


しかし、文章の余白を残し、読者の想像力を任せるという文章の書き方も効果的であることも事実である。



そのために取れる作戦としては以下のようなものがある。



文章の言い換え

これがもっともポピュラーな方法。たとえばこんな感じ。



✕完璧を求めない
◯100%を目指さない


前者は「なんだか良くない」印象かもしれない。

しかし後者は「でも90%は目指すんだよね?」などのようにイメージができるようになる。



これは数値化によって起きるイメージのマジックみたいなものだけど、このように強すぎる表現だな〜と思ったら、ちょっと数字にしてみて、文章にグラデーションを与えてみる。



これだけで言っていることは同じなのに、表現としてはマイルドになる。



さらにもうひとつ、効果的な文章の組み立て方をご紹介しよう。




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