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【映画感想】野淵昶『滝の白糸』(1952年)

皆様、ごきげんよう。弾青娥だんせいがです。

今回の投稿ですが、1935年から映画監督としておよそ20年近く活躍した野淵のぶちあきらの誕生日(1896年6月22日)を祝うべく、この再評価が待たれる監督の作品に対する感想文になります。

本文は、約1年前に投稿した野淵昶の生涯の記事3本のリンクの後に続きます。


『滝の白糸』(1952年)

※こちらの映画感想は、2019年の3月に京都市図書館で『滝の白糸』のVHSを見た後に書いた感想に加筆をほどこしたものです。



泉鏡花の短編小説「義血侠血」を川上音二郎一座が『滝の白糸』に翻案し、映画化の先例としては溝口健二を監督、入江たか子を主演に据えた一九三三年のサイレント映画があります。鑑賞前の正直な不安は、展開を不自由なく掴めるだろうかということにあったが、幸いにも杞憂でした。


対立しあう乗合馬車の連中、人力車の連中が、どちらが早く目的地に着くかの競走を繰り広げる序盤。その馬車には主人公の水芸人、白糸(京マチ子)が乗っていました。策略をめぐらした人力車の連中に追い越されては、馬車は車輪のトラブルで走れなくなるも、彼女だけ御者の村越欣也(森雅之)によって馬上に抱き上げられ、結局競走に勝利します。馬上の京マチ子を見られたのは意外な驚きではありましたが、しばらく後には水芸を披露しつつ軽く舞う姿も。さらに長い舞のシーンが作品の中盤あたりで披露されますが、始めに披露されるものよりも動きが優雅ながらも激しく、芸舞妓のをどりを見ているかのようでした。一年後に封切られた溝口健二の『雨月物語』で京マチ子が見せた幽玄な舞と対をなすものでした。


とはいえ、野淵昶の演劇的な面がマイナスに働いた箇所も。白糸が、自らの一座のために松永剛三(進藤英太郎)という男から借りた二百円を寅五郎(羅門光三郎)から強奪されて「返せ、返せ」と叫んでは男と取っ組み合いになるシーンです。二人は舞台の下手から上手に移動しながら、寅五郎が白糸を蹴って引き離すまで激しく取っ組み合うのですが、この際のカメラワークが少し遠くから二人を映しながら左から右にすっと移動するだけで緊迫感を薄くした感がありました。演劇舞台を切り取ったようなカメラワークは白糸が松永に再びお金を借りに行って取っ組み合いになる後にも見られますが、この際は次第にズームアップされるところがあり、強く心に迫るものがありました。


作品中、様々なところで白糸や、あやめ(星美智子)の美しいショット、みどり(浪花千栄子)の芯の強い姿を示すシーンもあり、その点でも魅力的です(浪花千栄子については、この『滝の白糸』が戦後初の出演作となりました)。


ただ、エンディングに至るまでの展開が少し速く、原作と反してハッピーエンドでした。また、事故的ながらも、ある過ちを犯してしまった白糸に対する罰が軽かったのには疑問符が付きましたが。


〔2019年の〕3月末に見てから一か月半ほどして、京マチ子の訃報が流れた。氏のご冥福をお祈りすると共に、野淵昶と関わった当作品が忘却の彼方に消え去らぬのを願うばかりでございます。



私の感想文は以上になります。それに加えて、詩人・小説家の室生犀星が自身の日記にて同作品に対して残した好意的な評価をここに改めて紹介いたしましょう。

室生犀星

……野淵昶の「滝の白糸」を見たが、これはよい映画である。京マチ子という人をこれほど、よこたてにつかいこなしたものは、今までに見なかった。「羅生門」「雨月物語」より、はるかにやはらかい、素顔めいた京マチ子が出ている。この監督の作品ははじめて見るが、すくなくとも、この作品ではすぐれた、むだことのすくない、人それぞれのこなし方、選び方で、眼が利いている。ここでこういう映画にお目にかかろうとは思わなかった。ざぶとんをさげて行っただけのことがあった……

『室生犀星全集』別巻二 1952年8月3日の日記 130ページ


そして、野淵昶の研究においては、近頃大きな発見がありました。日本映画の研究者である下村 健さまがTwitterにて、野淵昶(フェルト帽をかぶっています)の映画監督デビュー作『長崎留学生』の撮影時の様子の映像を発見したことを報告しています。野淵昶の優しそうな人柄が伝わる映像ですので、映像も見て下さると幸いです。

野淵昶関連の記事をもっと充実させたいという思いが芽生えたところで、今回の記事は以上です。最後まで読んでくださった皆様に感謝申し上げます。


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