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ひと握りの売れっ子 vs. その他大勢~人工知能で“音楽の貴族制”に革命を起こした元ミュージシャン|『音楽が未来を連れてくる』ためし読み公開

「音楽は、炭鉱のカナリアのようなところがある。新しい技術革新の荒波に、ほかの産業に先立ってさらされる歴史を繰り返してきた。放送の登場も、ネットの登場も、まず音楽産業に破壊をもたらした。『頭の古い連中だ』とたびたび、ほかの業界から嘲笑された。だが、最初に荒波に揉まれるからこそ、いつも新しい常識を音楽が連れてきた」(本文より)

 エジソンの蓄音機から、ラジオ放送、ウォークマン、CD、ナップスター、iPod、着うた、スポティファイ、“ポスト・サブスク”の未来まで。史上三度の大不況技術と創造力で打破した音楽産業の歴史に明日へのヒントを学ぶ、大興奮の音楽大河ロマン『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』(榎本幹朗著)が2月12日(金)発売となります。

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 このたびは、本書収録の「先駆の章 救世主、誕生前夜――ジョブズと若き起業家たち」より、「パンドラ」のチャプターをためし読み公開いたします。人工知能とミュージシャンのセンスを融合させることで、“音楽の貴族制”を転覆させようとした日本未上陸のラジオ・サービスはいかにして創られたのか。ぜひご一読ください。

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先駆の章

救世主、誕生前夜――ジョブズと若き起業家たち

とあるAppleチルドレンの少年時代

 一九八四年、とある国に暗黒郷が到来していた。男女となく頭髪を剃り上げた人びとが行進し、広場に整然と並んでいく。彼らの無感情な視線を集めた先には巨大スクリーンが聳(そび)え立っていた。
 「我らはひとつの思想、ひとつの意志に統合され、国民はひとつとなったのだ」
 ヒトラーよろしく画面上の独裁者が高らかに演説するなか、目の覚めるような林檎色のランニングウェアを履いた女性アスリートが駆け込んできた。鉄槌を両手に疾走し、追いかける警備は追いつけない。
 「世界を支配するのは、我らである!」そう独裁者が叫んだ瞬間だった。彼女の投げ放った鉄槌がスクリーンに炸裂した。光が迸(ほとばし)り、驚愕と共に人びとの顔に感情が戻るなか、その解放宣言は読み上げられた。
 「来たる一月二十四日、Appleコンピュータはマッキントッシュを発表します。一九八四年をこのような『一九八四年』には決してさせません……」
 スクリーンが暗転し、会議室の電気がパチリとつけられると、頭を抱えるAppleの取締役たちの姿があった。
 「こんな酷いCMは見たことがない」ひとりがそう言うと、堰を切ったように不満が飛び交った。批判を受けたジョブズは荒れた。彼は、映画『ブレードランナー』のリドリー・スコット監督を起用し、渾身の作品を創り上げたつもりだった。現在価値に直すと二億円、安い邦画なら一本撮れてしまう制作費だ。
 加えて、CEOのスカリーを友情で説き伏せ、世界一の注目度と広告費といわれるスーパーボウルのCM枠も購入済みだった。そのスカリーが嘆息し、言った。「キャンセルしよう。CM枠を売り払ってくれ」
 取締役たちの不評におののいた彼は、意を翻してしまったのだ。裏切られたジョブズはドアを叩きつけて部屋から出て行った。
 結局、広告代理店にいたジョブズの盟友リー・クロウが上手く誤魔化してくれたおかげで、無事CMは放送された。ジョブズは復帰後、クロウをマーケティングのブレーンにした。そうして生まれたのが、Apple復活の狼煙を上げた「Think Different」や、iPodの大ヒットに繫がった「シルエットCM」である。
 「一九八四」のCMはコンピュータの力を個人に解放し、世界を変える宣言だった。七千万人が見守る国民的なアメフト特番「スーパーボウル」の合間に、まるで異質なそのCMが流れると、試合の内容を吹き飛ばすほど全米に衝撃が疾(はし)った。そのなかには十四歳のトム・コンラッド少年もいたのだった。
 翌朝、少年は起きると一目散でポストへ向かい、新聞を取った。昨日のCMが事件のように報道されていた。翌々日には、ジョブズの行なった新製品の劇的発表がニュースになった。新聞のページをめくると、初代マッキントッシュの写真が目に飛び込んできた。
 こいつか。こいつが世界を変えるのか――。少年はその広告を丁寧にちぎり取り、勉強机の前の壁に貼り付けた。そして大人になったら絶対、Appleに入ってやると誓った。
 コンラッドは勉学を重ね、ミシガン大学に合格した。少し後に、グーグルの創業者ラリー・ペイジも同校に入学している。ペイジは同大学のコンピュータ科学部を卒業後、スタンフォード大学院に行き、グーグルを起業した。
 コンラッドの方だが、コンピュータ工学部に行った。彼は、コンピュータ科学部では大の苦手だった語学が必修と聴いておののいたのである。これが失敗だった。語学よりもっと苦手と判明するエレクトロニクスをたっぷりやらなければならなかったからだ。一年生の終わりに成績表を見ると、コンラッドはAppleに就職するという夢が潰えていく心地がした。
 挫折感に耐えていた大学二年生のある日のことだった。クラスメイトが廊下で話しかけてきた。
 「おい聞いたか? Appleのインターンに決まった奴が出たってよ」
 絶句した。一体誰なのか、問い返すだけで精一杯だった。名前はわからないが我々のライバル、コンピュータ科学部の同級生だとクラスメイトは言う。コンラッドの胸に炎が戻ったのはその瞬間だった。
 そのクソッタレがどんな奴なのか、知りたくて訊いてまわった。トニー・ファデルという名前で、コンピュータ科学部のくせにエレクトロニクスも得意らしいという以外、結局わからずじまいだった。絶対に負けてられない。コンラッドは決意を取り戻し、ありったけの情熱を込めたカヴァー・レターをAppleの人事部に送った。一九八四年、初めてマッキントッシュのCMを見たときから、Appleで働くのがずっと目標だったこと。ソフトウェアの力で世界を変えるのが、少年時代からの夢だったこと……。
 Appleから届いた封筒を破って返事を読んだとき、彼の手は震えていた。インターンの採用通知だった。父の運転するバンに乗り、カリフォルニア州のAppleキャンパスに行くと、待っていたのはもっとすごい話だった。マッキントッシュのユーザー・インターフェースを開発するチームに配属する、というのだ。
 「優秀なプログラマーの仕事は、平凡なプログラマーの四十人分に相当する」というのがジョブズの持論だ。ジョブズ追放後も、Mac OSの中核だったファインダーを扱うそのチームは選りすぐりの人材が七人だけ集まった、中核中の中核のチームだった。そこにインターンのコンラッドは配属された。
 ついていくのがやっとだったが充実したインターンの日々を終え、大学四年を迎えたある日、その電話はかかってきた。
 「おまえ、卒業したらあのチームで働くよな?」
 面倒を見てくれたマネージャーが、当然のようにそう言ってきた。入社面接はなしでいいという。一九八四年、あのCMを機に少年の抱いた夢は実現したのである。
 かつて諦めかけていたじぶんを奮い立たせたあの同級生をコンラッドが忘れることはなかったが、Appleの新卒採用に同級生の名は含まれていないようだった。
 実はその後、ジョブズの復帰したAppleにかの同級生はコンサルタントとして招聘され、認められて極秘プロジェクトのリーダーを歴任するのだが、引き抜きを恐れたAppleは彼の名を隠し続けていた。だからコンラッドが初めてiPodに触れたとき、その開発責任者が大学時代、じぶんの人生に触れた、あのクソッタレのトニー・ファデルだということに気づくことはなかったのである。

iTunesに触って起きた激しい後悔

 コンラッドがiPodを真面目に触り倒したのは、Appleを辞めてから随分後だった。
 二〇〇四年の春。仕事から帰ったコンラッドはソファに身を沈めた。大きく溜め息をつくと、心配した愛犬が寄り添ってきた。今の会社では上手くやっている。だが、飽々しつつあった。愛犬の頭を撫でてやりながら、彼は思った。
 「結局、俺はAppleチルドレンなのかもな……」
 Appleを辞めたことはそんなに後悔していなかった。ジョブズ復帰前のAppleは恐竜のように仕事が遅く、人材流出が続いていた。入社から三年経って慄然としたことを思い出す。プログラミングの腕が全く上がっていなかったのだ。
 OSの販売計画から広告戦略まで、あらゆる会議に付き合うので、プログラミングに専念できたことがなかったためだった。ソフトウェアのエキスパートとして道を極めたかった彼は、このままではじぶんは駄目になると思い、転職した。
 それからプレステのヒットゲームの開発など、手がけた仕事はだいたい成功したが、二〇〇一年にペット・コム(pets.com)にいた彼はネットバブルの崩壊に巻き込まれた。職は確保したが、Ajaxのオーサリングツールを企業に売るという今の職場に、ユーザー・インターフェース・エンジニアの真の醍醐味はなかった。
 ジョブズがネクスト社で経験したことと同じだった。一般消費者を相手にしていないと血が滾(たぎ)らないのだ。今さらながら、コンラッドはそんなじぶんに気づいてしまった。愛犬の目を覗き込み、彼は言った。「いっそ、ノートパソコン一丁で起業しちまうか?」
 ワンッと犬は返事した。この時期、そんな感じで起業したプログラマーたちは多く、ネットバブル崩壊後の新たな潮流を創っていく。写真共有のフリッカー(flickr)やソーシャルブックマークのデリシャス(Delicious)などが立ち上がり、ウェブ2.0の潮流を創っていった。
 部屋にはテレビからiPodのシルエットCMが流れていた。iPod miniが発売され、ジョブズの敬愛するSonyのウォークマンを、いよいよAppleが追い越そうとしている時期だった。
 コンラッドはテレビを消し、本棚へ向かい、千枚のCDコレクションを眺めた。音楽をかけようと思ったのだが、ふと買ったまま放ったらかしていたiPodのことを思い出した。多忙のせいか、無数のCDをiTunesに取り込むのが億劫で、まだちゃんと使っていなかったのだ。
 彼はパワーブックを開き、CDを取り込み始めた。そしてiPodとiTunesをいじるうちに、初めて激しい後悔が襲ってきたのだった。

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パンドラのトム・コンラッドCTO(当時)。
Joi Ito “Tom Conrad”, Flickr, https://www.flickr.com/photos/joi/4737173166/

人工知能で音楽に革命を起こそうとした男

 後悔は、少年時代の夢だった職場を辞めたことではなかった。俺だったら、ここはこうする。iTunesのユーザー・データをこう活かす……。iTunesを触っていると奔流のようにアイデアが沸き上がってきたことが辛かった。
 その感覚は、ジョブズがナップスターに遅れて触ったときに感じたものとほとんど同じだったろう。デジタル音楽革命に乗り遅れたと気づいたジョブズは、後悔の念をiPodとiTunesミュージックストアを生む闘志に変えた。iTunesに触れたコンラッドも同じだった。
 俺は、このデジタル音楽革命の奔流になぜこれまで参加してこなかったのか……。火のついた彼は形相を変えてキーボードを叩き、アイデアを整理し始めた。
 彼の構想は、iTunesのユーザー・データを使ってひとりひとりの趣味に合った曲、ライヴ、そして音楽仲間を紹介するというものだった。
 「……ということを考えているんだがどう思う?」
 ある日、コンラッドは友人に相談してみた。偶然か必然か、それは大西洋を跨いだロンドンでラストFMのチームがちょうど到達したものと同じアイデアだったのだが、ふたりが気づく由もない。
 風薫る五月。彼はサンフランシスコから少し離れた、オークランドのカフェに向かった。音楽系のレコメンデーションなら、クレイジーなことをやっている奴がいるから会ってみないか、と友人に勧められたからだ。
 「ティム・ウェスターグレンです」とテーブルに現れた男は控えめな口調で挨拶し、手を差し出した。握手すると謙虚な性格が伝わってくるような心持ちがした。だがウェスターグレンの創った会社は、サヴェージ・ビースト・テクノロジー(飢えた獣の技術)というメタルバンドのような名で、社是は名前よりもさらに過激だった。
 ひと握りの売れっ子と、その他大勢のミュージシャン。インターネット登場以降も、貴族制が音楽の現実だった。音楽産業始まって以来続くこのヒエラルキーを「究極の音楽レコメンデーション」で転覆する、というのがこの穏やかな男の目標だった。
 ウェスターグレンは元ミュージシャンだった。そのアイデアを着想したのは、映画音楽の作曲を手がけていたときだという。山とばかりにCDを積み上げた机を差し挟んで、監督と対話を重ねていく。それがミュージシャン時代、ウェスターグレンの仕事スタイルだった。
 「この曲はどうですか?」
 「ちょっと違うな……」
 「ではこの曲は?」
 「うん、近づいたがもっとこう明るい恐怖という感じの……」
 次々とCDをかけながら、監督の反応を音楽理論で分析して、求めている曲のイメージを摑んでいく。ウェスターグレンはスタンフォード大で政治学を専攻したが、副専攻で音楽理論とコンピュータ音響学を学んでいた。
 ほかに彼はロックバンドのバンマスを務めていた。というよりバンドが本職のつもりだったが、カリフォルニア州を超えて人気が広まることはなかった。宣伝費が全くないせいか、メディアに取り上げられることもなかったからだ。
 そんなある日、劇伴の作曲中に思いついたのが人工知能とミュージシャンの融合、「ミュージック・ゲノム・プロジェクト」の構想だった。ミュージシャンを何十人となく集め、人に薦めるに値する曲を彼らにキュレーションしてもらう。そして一曲一曲を、その耳と音楽理論で事細かに解析してもらい、ミュージシャン自身がデータベースに入力していく。そうすれば、生身のセンスと人工知能とが融合した、究極の音楽レコメンデーション・エンジンが誕生すると考えた。実際にミュージシャンを何十人も集め、作業してもらっているという。
 説明を聞いたコンラッドは心のなかで叫んだ。「コンテンツ解析、いやエキスパート・システムをやっているのか!?」
 エキスパート・システムとは、潰え去ったはずの第二次人工知能ブームで培われた技術だった。
 見え始めてきた。音楽産業へだけではない。ミュージック・ゲノム・プロジェクトはコンピュータ科学のメインストリームに対する反逆であり、IT産業の巨人アマゾンへの挑戦でもあった。

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パンドラの創業者、ティム・ウェスターグレン。
David Shankbone “Tim Westergren by David Shankbone 2010 NYC”, Flickr,
https://flic.kr/p/7YY6cH

アマゾンのおすすめが持っていた致命的な欠点、協調フィルタリング

 アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスは商品おすすめ機能が完成したとき、侍を真似て、土下座してエンジニアたちに感謝したという。
 ベゾスは、小売業を起業したつもりはなかった。自らガレージで梱包を手伝うなか、「アマゾンはテクノロジー企業だ」と言い続けていたが、それが現実となったのは、人工知能でおすすめ機能を実装した瞬間だった。この人工知能はレコメンデーション・エンジンと言い、客の顔を逐一覚えている小さな書店の親父さんのように、顧客ひとりひとりに合わせて、きめ細やかにおすすめの本を示すことができた。パーソナライゼーションの誕生だ。
 テクノロジーの力で、有象無象の通販サイトから抜け出したアマゾンは、本の通販が成功するとCDの通販へ業務を拡大した。音楽ファンの間でも、アマゾンのおすすめ機能は歓迎され、音楽への進出を機に、すべてを売る巨大企業へと駆け上がっていった。グーグルの検索エンジン。アマゾンのレコメンデーション・エンジン。人工知能のブームが始まる以前から、人びとはそれと知らず人工知能のおすすめを受けるようになったのだった。
 アマゾンのレコメンデーション・エンジンに使われている技術、協調フィルタリングだが、実は、マッキントッシュのGUIと同じ親を持っている。パロアルト研究所だ。
 パロアルトの研究員は、初めこれをメールのフィルタリングに使い、次に音楽レコメンデーションに使ってみた。好きなアルバム名をメールすると、おすすめCDが自動返信される仕組みだ。だがおすすめの精度を高めるには、誰が何のCDを買ったのか大量のデータが必要で、そんなデータを持っていない研究所のなかで日の目を見ることは難しかった。機械解析の宿命だ。
 GUIを初めてマネタイズしたのがジョブズだったように、協調フィルタリングで初めて大稼ぎしたのがアマゾンの創業者ベゾスだったのである。ベゾスも、学生時代にコンピュータ科学を専攻した人間だった。アマゾンの成功は、無数の模倣者をネット上に生み出した。協調フィルタリングとビッグデータさえあれば、その秀逸なレコメンデーション・エンジンは容易に模倣することが可能だったからである。
 だが協調フィルタリングは、万能ではない。「このCDを買った人は、このCDも買っています」という仕組みだと、無名ゆえ誰も買わないCDは、いつまでもおすすめの俎上に上がってこない。これを「コールド・スタート問題」という。
 「ネットの普及で、マスメディアの時代が終わる。宣伝費を持たないミュージシャンも日の目を見る時代が来る」
 そういわれていたのに現実は、人気ミュージシャンの寡占は変わらなかった。いや、むしろ進んだ気配さえあったのは、コールド・スタート問題が技術的な理由だ。実際、二〇一四年、一%の売れっ子ミュージシャンが売上を占める割合は、CDなど物理売上で七五%、iTunesなどダウンロード売上で七七%、スポティファイなどストリーミング売上で七九%だった。「ネット時代は『その他大勢』が売れるようになる」と語るロングテール理論が褒めそやされるなか、音楽の世界でいっそう寡占状態が拡大した背景には、協調フィルタリングの普及が関わっていた。
 協調フィルタリングはソーシャルメディアの世界も支配した。フェイスブックやツイッターのタイムラインは、協調フィルターで取捨選択された人気投稿が表示されていた。知られぬものは推薦されず、知られぬままに終わる――。それが、協調フィルタリングのコールド・スタート問題だった。
 人びとの常識に反して、宣伝費でキック・スタートを打てない楽曲は不利になるのが、ソーシャルメディア・マーケティングの世界だった。印象に反して、MTVやラジオの時代とほとんど変わりなかったということだ。
 そして人びとがネットバブルに浮かれていた二〇〇〇年頃から、この問題に挑戦を開始したミュージシャンたちがいた。それがミュージック・ゲノム・プロジェクトに集ったウェスターグレンたちだ。

ミュージシャンたちの目指した革命とは?

 協調フィルタリングの本質的な欠陥、コールド・スタート問題の解決には「コンテンツ解析」が有効であると言われてきた。だがコンテンツ解析はあまり流行らなかった。機械解析では精度が出なかったためだ。やるとしたら人手を使って、ひとつひとつの作品を分析してもらう必要があった。
 一九八〇年代、パソコンの隆盛に反して、人工知能(AI)派は冬の時代を迎えていたが、辛うじて生きる場を見つけた人工知能があった。コンピュータに何か質問すれば、専門家が答えてくれるように答えを返してくれる、エキスパート・システムだ。だが、エキスパート・システムには致命的な欠陥があり、廃れていくことになった。大量の専門家を雇って、専門知識のデータベースを構築することはコスト上、現実的でなかったのだ。
 音楽コンテンツのエキスパート、すなわちミュージシャン。彼らを大量に雇い、一曲一曲を解析して、その知見をデータベースに入力してもらう――。Appleチルドレンのコンラッドが出会った変わり者、ウェスターグレンがやっているという音楽のコンテンツ解析は、エキスパート・システムの一種だった。無謀な戦いに見えた。時代に逆行したやり方であり、戦う前に敗北が約束されているようなものだったのだ。そこまでしてウェスターグレンは何を実現したかったのか?
 金融経済が実体経済を超えると富の寡占が進み、貧困が広がる。その歴史的経緯を解き明かした経済学者ピケティは、解決策を税による再配分に求めた。同じく寡占の進む音楽ビジネスのなかでウェスターグレンらがやろうとしていたのは、レコード会社や著作権管理団体を既得権益と詰って、売上の再配分をやるといった凡庸なアイデアではない。彼らは、ミュージシャンのセンスと人口知能を融合して、自ら救世主を創り出そうとしていた。
 楽曲のDNAとリスナーの趣味の一致。それだけで音楽をプロモーションする仕組みが出来れば、宣伝費を持たない新人、インディーズ、果ては中堅ミュージシャンたちであっても、等しくリスナーを得るチャンスを手にできる。一%が支配する貴族制を破り、音楽の民主主義を実現する。それがウェスターグレンのもとに集ったミュージシャンたちが目指す革命だった。
 「海軍であるより、海賊であれ」かつてジョブズはチームをそうアジテートし、オフィスの屋上に海賊旗を掲げ、社内で暴挙と呼ばれた初代マッキントッシュの開発を成し遂げた。
 ウェスターグレンと会話を交わす間、コンラッドは彼の人となりを摑もうとしていた。その声色は控えめで、眼差しは下を向き、時々こちらを向いた。差すように視線を向け、殴るように言葉を投げるという、憧れのジョブズとは対極にあるように思われた。同時にコンラッドは、ウェスターグレンの秘めた情熱に、どこか圧倒されるような心地を持った。世界を変える――。時折向ける彼の眼差しはその決意を物語っていた。

「クレイジーな人たちがいる」

 しかし、とコンラッドは思った。腑に落ちないことがある。何十人ものミュージシャンを雇うキャッシュは、どう稼いでいるのか。
 「ビジネスモデルはまだみつかってないんです」という返事に、彼は仰け反った。
 信じられないものを見ているようなコンラッドの表情に気づいたウェスターグレンは、このアイデアで起業した頃は周りから「クレイジー」と連呼されたと告白した。起業資金は集まったのだが、案の定、大人数のミュージシャンを雇う人件費で、あっという間に尽きてしまったという。資金を再調達しようとしたタイミングで、ネットバブルが崩壊。さらに違法ダウンロードの大流行をもたらしたナップスター旋風が吹き荒れ、音楽ビジネスは世界で最も儲からない業界に変わってしまった。以来、出資を断られること三四七回。最近、三四八回めにしてようやく八百万ドル(約九億円)を調達できたが、彼を信じて無給で働いてくれたミュージシャンたちに給料をまとめて支払ったら、ほとんどなくなってしまったそうだ。
 クレイジーな人たちがいる……。そのセリフから始まる映像がコンラッドの脳裏をよぎった。ジョブズ復帰後、「Think Different」を謳い、Appleブランド復活の狼煙を上げたリー・クロウの傑作CMだった。
 オフィスへ行くと、クレイジーな彼らがいた。ミュージシャンたちはヘッドフォンを付け、その耳で曲を分析し、データベースに入力していた。
 聴くに値する曲を選ぶ。それから発声法、使用楽器、リズム、コード、アレンジ、録音形式……。四五〇に及ぶ基準に基づき楽曲のDNAを解析していく。手作業なので、一曲あたり二十分ほどかかる。いま解析が終わっているのは一万曲で……。そう説明しながら、ウェスターグレンはキーボードをカチャカチャ鳴らして曲名を入れ、おすすめの曲が自動で並ぶ様を見せた。
 「触ってみてください」と彼はコンラッドに微笑みかけた。コンラッドはじぶんの好きなアーティスト名を入れて、プレイリストが自動生成されるのを吟味していった。確かに、と彼は思った。アマゾンなど比較にならぬほどの精度だ……。
 そして、自身の構想を思い返した。音楽レコメンデーションを活用したソーシャルメディア。今はないが、いつかありがちになるのではないか。今後、音楽系のレコメンデーション・サービスはいくつも出てくるだろう。その際、勝負となる箇所は結局、おすすめの精度ではないのか。
 ウェスターグレンたちは、全精力を選曲にフォーカスしている。コンラッドはジョブズが戻る前に辞めてしまったが、「フォーカス」は、コンラッドのヒーローだったジョブズの仕事哲学から学び取った最も大切なマントラだった。
 「実はエンジニアのリーダーを探しているのです」
 ウェスターグレンは切り出した。CEOから降り、腕利きのCEOとCTOをスカウトすること。それが八百万ドルを出資したヴェンチャーファンドの指定した条件で、株はほとんどヴェンチャーファンドに譲り渡した。わずかに残った株も、三分の二を新たなCEOとCTOに譲るつもりだという。そこまでしても成し遂げたいものがある。そうウェスターグレンは考えているようだった。全く、とコンラッドは苦笑いした。
 「彼らはクレイジーと言われるが、私たちは天才だと思う。じぶんが世界を変えられると本気で信じる人たちこそ、本当に世界を変えているのだから」Think DifferentのCMはそう終わっていた。
 「クレイジーに、付き合ってみるか……」
 コンラッドは入社した。しばらくして、CTOとなった。

【この続きは、2月12日(金)発売『音楽が未来を連れてくる』にて】

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《書誌情報》
『音楽が未来を連れてくる
時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』
榎本幹朗=著
四六・並製・656ページ 本体2,500円+税
ISBN: 978-4-86647-134-1
2021年2月12日(金)発売
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK284

テックイノヴェーションの最前線は「音楽」にある。この100年ずっとそうだったし、これからもそうだ。音楽ビジネスが見えないあなたは、デジタルビジネスすべてから取り残される。
――若林恵さん(編集者・黒鳥社)推薦

■収録内容(一部抜粋)
・エジソンの憂鬱。ハード事業はレッド・オーシャンへ
・「ラジオはレコードをかけてはいけない」タブーを破った太平洋戦争
・ジョブズと盛田――Sonyスピリットを受け継いだApple
・ロックンロールのブームを創出したSonyのポケットラジオ
・別格のイノヴェーション、ウォークマン
・百年間に三度あった音楽不況の共通点
・MTVのグローバル経営から学ぶ、クールジャパンの進め方
・オペラ歌手からSonyの社長になった男の物語
・音楽業界を搔き乱す、ナップスターの困ったオーナー
・二〇〇一年、誕生したばかりの定額制配信が犯した失敗
・セレンディピティ――iPodのもたらした音楽生活の変化
・なぜiTunesは救世主とならなかったのか
・今、iモードの革新から学び直せるたくさんのこと
・グーグル誕生、あるいは人工知能ブームの震源
・ラストFM――ビッグデータが起こした「ラジオの再発明」
・初代iPhoneのキラー・アプリとなったユーチューブの誕生
・アマゾンのおすすめが持っていた致命的な欠点、協調フィルタリング
・音楽離れへの解、パンドラ
・スポティファイのブレイクに必要だった「何か」
・コロナ・ショックで叩き落された音楽産業
・サブスクを超えた中国テンセントのソーシャル・エンタメ売上
・ミュージシャンを宣伝するセッションズの“プロモーション・エンジン"
・二〇三〇年以降の中長期的展望 ほか

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著者略歴
榎本幹朗(Mikiro Enomoto)
1974年東京生。作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。 寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。

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2/11更新:著者・榎本幹朗さんのインタビュー「ポストサブスクとは?」が公開されました。

2/12更新:若林恵さんと小熊俊哉さんの配信番組「blkswn jukebox: Behind the Scene」に、著者・榎本幹朗さんが出演されました。

3/3更新:2刷重版出来を記念し、柴那典さんに書評を寄稿いただきました。


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