見出し画像

〈危機〉を〈好機〉に変えた賢者の歴史に音楽の明日を探る~『音楽が未来を連れてくる』書評 by 柴那典さん

 エジソンの蓄音機から“ポスト・サブスク”の未来まで、音楽ビジネス100年の歴史を駆け抜ける音楽大河ロマン『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』(榎本幹朗著)が、おかげさまで発売から1か月で2刷重版出来となりました。読者のみなさま、ありがとうございます。

画像1

 このたびは重版出来を記念し、『ヒットの崩壊』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』などの著書でも知られる、音楽ジャーナリストの柴那典さんに書評を寄稿いただきました。20年を境に「CDが売れないからライブで稼ぐ」が通用しなくなった音楽ビジネスは、これからどこへ向かうのか――。ぜひご一読ください。

*  *  *

〈危機〉を〈好機〉に変えた賢者の歴史に音楽の明日を探る

評:柴那典

 新型コロナウイルスのパンデミックによって、音楽ビジネスは正念場を迎えている。日本のみならず、世界中のライブ・エンターテインメント産業が壊滅的な打撃を受けている。

 ぴあ総研の発表によると、国内のライブ・エンターテインメント市場は最高値を記録した2019年の6295億円から一転して2020年は推計1306億円と約78%減。コロナ禍でライブやコンサートの延期や中止が相次いだことで、市場自体が消失状態となった形だ。

 2021年も危機的な状況は続いている。コーチェラやグラストンベリーといった大型フェスは、すでに2021年の開催中止が発表された。日本では感染対策を徹底し収容人員を制限したうえで徐々に公演が再開しているが、観客の心理的要因も足かせになって苦境が続いている。市場の復活は2022年以降に持ち越される見通しだ。

 こうした状況を受け、新たなビジネスモデルとして確立されつつあるオンラインライブに希望を見出す論調もある。実際、市場は短期間に急成長を果たしている。2月12日、ぴあ総研は2020年の国内の有料型オンラインライブの市場規模を推計448億円と発表した。しかし、これはリアルライブの市場の損失をカバーするには全く足りない数字でもある。

 すでにサブスクリプション(定額制)の音楽ストリーミングサービスが軸になっている海外各国と違い、いまだCDやDVDなどのパッケージが大きな割合を占める日本では、レコード産業もコロナ禍による打撃を受けている。日本レコード協会の発表によると、2020年の音楽ソフト市場は前年比15%減の1944億円。2020年の音楽配信売上はまだ発表されていないが、第3四半期までの推移をもとに推測すると2019年の706億円から前年比10%増程度の着実な成長が見込まれる。とはいえ音楽ソフト市場の減少を補うには足らず、音楽市場全体の売上も前年比減となる見通しだ。

 「CDが売れないからライブで稼ぐ」――というのが、ここ数年の日本の音楽産業のキーワードだった。しかし、コロナ禍で両方が吹き飛んだわけである。さらに言えば、ここ1〜2年でようやくサブスクが日本でも普及期に入ったが、2015年を底にV字回復を果たした海外各国と違い、日本ではそのことで音楽市場全体が上向くわけでもなかった。

 では、音楽ビジネスは、この先どこに向かうのか? どこに指針があるのか。榎本幹郎『音楽が未来を連れてくる』には、そのヒントが鮮やかに示されている。

 著者の榎本幹朗は、作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。本書誕生のきっかけとなった連載は、音楽業界総合情報サイト「Musicman」にて2012年にスタートした。まだ日本にストリーミングサービスが根付いていなかった頃からSpotifyやPandoraなど海外の音楽ビジネスの最新事情を紹介し「次は定額制配信の時代が来る」と予測していた。レコード会社など各社の内部事情にも通じ、様々なサービスの企画やアドバイザーを手掛けてきた。本書はそんな筆者ならではの視点で「ポスト・サブスク」のビジネスモデルを提案する内容となっている。

 500ページを超える本書の特徴は、「時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち」というサブタイトルの通り、およそ100年前の20世紀初頭にまで遡って音楽ビジネスとテクノロジーの関係を紐解いていることだ。

 「神話の章」と題された冒頭では、ラジオの登場によってレコードの売上が数年間でマイナス96%という壊滅的な打撃を受けた1920年代後半から1930年代の音楽産業の危機的な状況が描かれる。「黄金の章」と題された章ではラジオDJがスターとなりロックンロールブームが訪れた50年代から60年代にかけての音楽産業の全盛期が、「月面の章」と題された章では、80年代のMTVの登場が音楽産業に与えた影響が描かれる。「日本の章」「栄光の章」と題された章では、ソニーが生み出したウォークマンが音楽の視聴体験を大きく変え、CDの導入が90年代の音楽産業の全盛期をもたらした日本発のイノヴェーションが描かれる。

 筆致は様々な音楽業界の立役者を主人公にした物語の形で進み、様々なイノヴェーションや環境の変化を現代に翻案するような補助線が引かれることで、過去の失敗や成功に学ぶことができるような仕立てになっている。

 そしてもうひとつの特徴は「カデンツァ」と題された最終章にある。ここではストリーミングの普及でV字回復を果たした各国の音楽ビジネスのここ数年を振り返りつつ、再販制度のおかげで欧米に比べCDの利益率が高かったがゆえにストリーミングの普及が「音楽のデフレ化」につながった日本の音楽市場の特殊性も分析されている。

 その解決策の一つとして筆者が提案するのが、定額制に都度課金のマイクロ・ペイメントを組み合わせた「ポスト・サブスク」のモデルだ。違法コピー天国だった中国で売上を急拡大させ国内市場の75%を占めるまでに成長したテンセント・ミュージックが導入した「ソーシャル・エンタテインメント」の仕組みが、そのヒントの一つとして紹介されている。また、Pandoraの創業者のひとりであるティム・ウェスターグレンが2020年4月に立ち上げた新たなオンラインライブのプラットフォーム「Sessions」の可能性にも触れられている。

 これまで音楽産業はたびたび技術革新の荒波に飲まれ、危機に見舞われてきた。そして、新たなイノヴェーションが次の黄金時代をもたらしてきた。我々が目の当たりにしてきたインターネットの登場による00年代以降のCD売上低下も、100年にわたるその長い歴史の、ほんの一部でしかない。

 賢者は歴史に学ぶ。パンデミックによる市場の危機は、実はイノヴェーションの好機となるはずだ。

*  *  *

評者略歴
柴那典(Tomonori Shiba)
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。主な執筆媒体は「AERA」「ナタリー」「CINRA.NET」「MUSICA」「リアルサウンド」「ミュージック・マガジン」「婦人公論」など。「cakes」と「フジテレビオンデマンド」にてダイノジ・大谷ノブ彦との対談「心のベストテン」連載中。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」。Twitter:@shiba710

*  *  *

画像1

『音楽が未来を連れてくる
時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』
榎本幹朗=著
四六・並製・656ページ 本体2,500円+税
ISBN: 978-4-86647-134-1
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK284
好評2刷

テックイノヴェーションの最前線は「音楽」にある。この100年ずっとそうだったし、これからもそうだ。音楽ビジネスが見えないあなたは、デジタルビジネスすべてから取り残される。
――若林恵さん(編集者・黒鳥社)推薦

■収録内容(一部抜粋)
・エジソンの憂鬱。ハード事業はレッド・オーシャンへ
・「ラジオはレコードをかけてはいけない」タブーを破った太平洋戦争
・ジョブズと盛田――Sonyスピリットを受け継いだApple
・ロックンロールのブームを創出したSonyのポケットラジオ
・別格のイノヴェーション、ウォークマン
・百年間に三度あった音楽不況の共通点
・MTVのグローバル経営から学ぶ、クールジャパンの進め方
・オペラ歌手からSonyの社長になった男の物語
・音楽業界を搔き乱す、ナップスターの困ったオーナー
・二〇〇一年、誕生したばかりの定額制配信が犯した失敗
・セレンディピティ――iPodのもたらした音楽生活の変化
・なぜiTunesは救世主とならなかったのか
・今、iモードの革新から学び直せるたくさんのこと
・グーグル誕生、あるいは人工知能ブームの震源
・ラストFM――ビッグデータが起こした「ラジオの再発明」
・初代iPhoneのキラー・アプリとなったユーチューブの誕生
・アマゾンのおすすめが持っていた致命的な欠点、協調フィルタリング
・音楽離れへの解、パンドラ
・スポティファイのブレイクに必要だった「何か」
・コロナ・ショックで叩き落された音楽産業
・サブスクを超えた中国テンセントのソーシャル・エンタメ売上
・ミュージシャンを宣伝するセッションズの“プロモーション・エンジン"
・二〇三〇年以降の中長期的展望 ほか

著者略歴
榎本幹朗(Mikiro Enomoto)
1974年東京生。作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。 寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。

*  *  *

■本書より「ひと握りの売れっ子 vs. その他大勢~人工知能で“音楽の貴族制”に革命を起こした元ミュージシャン」をためし読み公開中です。

■著者・榎本幹朗さんのインタビュー「ポストサブスクとは?」が公開されました。

■若林恵さんと小熊俊哉さんの配信番組「blkswn jukebox: Behind the Scene」に、著者・榎本幹朗さんが出演されました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?