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2拠点生活のススメ|第71回|鎧兜の中に息づく人間 (野口哲哉展を鑑賞して)

せっかく徳島の家に居るのだからと、思い切って野口哲哉展を見に高松へでかけることにした。野口さん自身も初めての大規模な展覧会ということで、初期からの代表作と最新作を加えた180点の作品が集められていました。

さすがにこれだけの数が集まると目移りして、落ち着いていられない(笑)

最初は、どちらかというとアート作品と言うよりも、精巧なフィギュアを見るような気持ちで、その緻密さや超絶な技巧に目が奪われた。

無精髭やすね毛の表現なんかも絶妙すぎて、本当に生えているのかと思うほど。特にエイジング加工というのか、時代を経たり、使い込んだりされている表現が素晴らしく、すべてを一人で作り込んでいるなんて・・・伝統工芸の世界に身を寄せていたとしても、きっと名を成していたんだろうななんて考えていたんです。

やがて、だんだん気持ちも落ち着いてくると、鎧や兜もさることながら、それぞれの侍たちの表情が気になり始めた。

戦国時代の鎧に身を包んだ人たちは、目をつぶったり、どこか遠い眼差しをしたり、勇ましい戦士と言うよりも、むしろ戦うことに疲れたひとりの人間としての存在感が浮き上がってきたんです。

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シリコンで作られた肌の質感が血の通った人間の肌をリアルに表現しているのですが、みんな色白でどこか血の気の引いた顔色にも見え、それが憂いを帯びた表情と重なり合うことで、何を考えているのか、その人の境遇みたいなモノに思わず感情移入してしまうようになったのです。

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そんな思いで巡っていると、ひとつの作品の前で動けなくなりました。見た瞬間に心をガッツリと鷲づかみされた。

そこにあったのは悲しみを露わにする一人の人間の姿。もはや遙か昔の武将という遠い存在では無く、とても身近な存在として胸に飛び込んできたのだ。

この作品は、首の無い遺体がその鎧の装飾から戦友であることを知り、遺体の傍らで号泣したという侍の日記に基づいて制作されたそうです。

時代を超えて、今も不条理な命のやりとりが脈々と続けられているという事実を突きつけられたような気がしました。

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鎧というのは不思議なもので人間をある種、記号化してしまって、一人の人間としての個性を消し去ってしまう。現代人もスーツやユニフォーム、さらに肩書きという鎧を身にまとい、利潤追求の戦いに明け暮れているけれど、家に帰れば一人のお父さんなんですよね。

僕たちは、異なる時代や文明の中に住んでいる人々を自分とは似ても似つかぬ人種と思いがちです。でも、時間や場所によってルールが変わっても、その中で喜び、愛し、怒る人間に大きな違いはありません。何を着ていても、その中には肉体と知性が入っています。それは、人間の姿です。    〜鎧の中へ・野口哲哉

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ネットを介した様々なシステムで構成された現代においては、ますます血の通った人たちがそこに存在していることを忘れてしまいがち。

野口さんの作品は、緻密な作りの鎧や兜にばかりに目が行ってしまいがちですが、そこには、めまぐるしく移り変わる文明の中で、喜びや苦悩、矛盾を抱えて生きる人間が息づいている。そうした鎧兜の人物が記号では無く、私たちと同じひとりの個性有る人間なんだということを改めて気づかせてくれた気がします。


野口哲哉展は、高松市美術館にて3月21日まで開催中です。

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