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他人の意見は、どこまで聞くべきか?(小説執筆の話)

 やることが多すぎるような気がして、逆に今、暇です(挨拶)。

 と、いうわけで、不二川です。

 最近、リポDを常飲するようになったので、もしかすると危ないのでは? と思えてならない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「講評は有り難いが?」とかいった話です。

前回までのあらすじ

 さて。昨日は、

 「エブリスタで供養!」などと書かせて頂きました。

 どうせ、一顧だにされないだろーなー、とは思っていたのですが、これを書いている今の時点で、なんか、PVが53もあって、「ファッ!?」となっています。

 いや、大カテゴリに「ノンフィクション」があるんですから、需要が皆無ってこともないのでしょうが、いわゆる「派手な作品」ではないのは分かりきっているため、作者自身、相当意外です。

 とは言え、読まれることが供養になりますから、嬉しくないか? と問われたなら、それはそれで違うのですが。

講評が来た

 で、ですね。昨日の午後の話です。ココナラ経由で添削に出していた、自分のライトノベルの講評が返ってきました。

 毎度の事ながら、アゲてオトすスタイルの方なのですが、今回も然り。その出品者の方は、実際に、文学賞での下読みをやっていらっしゃる方とのこと。別に僕も、「なんだこの、トンチキな指摘は!?」とかは思いません。

 むしろ、これは創作者あるあるだと思いたいのですが、自作に対して、「徹底的に冷静になる」というのも、割と難しい話です。まあ、「コレガ、ハタシテ、オモシロイノカ!?」とは、しばしば思いますけど。

 そういう意味では、対価を払ってでも、「冷静な第三者」の視点をもらえることは、ひょっとしなくとも、有り難い話ではあります。

盲従 or Not?

 昨日の時点の僕氏も、納品された好評を読んで、「うわあ、こりゃあ、直すのが大変だぞ?」とは思っていました。

 確かに、根幹的な設定は、有名なマンガの既存作と被りますし、一例を挙げると、主人公とヒロインの距離が、最初から近いこともあるので、読者的には、イージーモードなゲームライクかもしれない。その他、直した方がいいであろう点は、色々あります。

 しかし、一晩寝た後、ハタと思いました。あまりに当たり前の話ではあれど、もらった講評の指摘に沿って改稿することが、すなわち、賞レースでの勝利を約束するものではない。

 実際の出版社の編集さんから言われたのならともかく、そうではない。つまり、繰り返しになりますが、「絶対」ではない。

 いやまあ確かに、考えるのがめんどくせえ、という側面も、皆無ではありません。楽をしたいのが人間ですし。

 なるほど、人の話を聞かないのは、悪いことだとは思います。しかし、唯々諾々と従うのも、なんとなく、違う気がする。

 それに、ベースとなる世界観を、簡単に「変えろ」とか、「もっとヒネリを」と言われても、そりゃあ無理な話ですよ。たとえ、先述の、有名な既存作を読んで参考にしても、それは二番煎じにしかならんわけですし。

 まして、それを超えるアイデアなんか、そうそう簡単には出ないもんです。考える努力をしていないからだ、という意見もありましょうが。

 まあ、僕自身、近年はめっきりマンガを読まなくなってしまっているので、そんな状態で「絵のないマンガ」であるところの、ラノベに挑戦せんとしているのが、そもそも悪いのかも知れません。

 また、「直すのが面倒くさいから嫌だ」と言ってるわけじゃあないんですよね。とは言え、言わば「自分の意志を捨てて」、言われるままに直すのは、やっぱり釈然としません。

そうは言うものの……

 先週の金曜日に初稿を上げた、私小説は、それはそれで、改めて、同じ出品者さんに、添削を依頼しました。これは、単に、と言うのも変ですが、ただでさえ「指針」、ないしは「客観的な基準」の少ない純文学の世界において、ある程度でも「分かる」方に、一度チェックしてもらいたい、と言うだけの話です。

 まして、西村賢太亡き今、書き手がめっきり減った、私小説です。今や、検索バーに「私小説」と入力すれば、「つまらない」がサジェストされるような時代でもある。そりゃまあ、芥川賞を獲った『ハンチバック』なんかは、私小説だと言われますけども。

(ちなみに僕氏は、Amazonで『ハンチバック』を試し読みしたのですが、冒頭で明確に「こりゃあ、個人的に合わないな」と思ったので、購入はしませんでした)

 まあまあ、要するに、「期待をしすぎる」から、色々と泣きを見るのでしょう。拙作の私小説について、どんな講評が返ってくるか? は、気にはなりますが、逆に、そこまで気にする必要もないのでは? とも思います。

今後の方向性

 今回、講評をもらった作品は、4年前に書いたものです。つまりは、「ちゃんとした作劇法」を学ぶ、ずっと前のこと。

 まさか「勉強後」の今の僕も、「これで無敵だぜイェア!」などとは決して思いませんが、「確実であろうメソッド」が手元にある。今後は、それに沿って書いていけば、「多分」前よりマシなものができるはずです。なんせ、下読み審査員であれ、出版社の編集であれ、「明確な作劇法」を教えてくれる人は、まずいないでしょうし。

 なるほど、今後も、同じ出品者の方には、お世話になることかと思います。しかし、「盲信」は危険なんじゃ? と思った次第。

 怠惰さの正当化、と言われるかも知れませんが、ある種の違和感を覚えた以上、それに従うこともないんじゃね? というお話でした。

 んじゃまた。

サポートして頂けると、泣いて喜びます。『打てど響かず』というのが、創作者にとって一番哀しいことでございますので。人助けと思って、よろしくお願いいたします。