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街風 episode.1 〜日常に彩りを〜

 「いらっしゃいませー。」

 今日はお客さんがたくさん来る。このお客さんはどんな花を買うんだろう。

 私が、この花屋で働き初めてから数ヶ月が経つ。都心の高層ビルのオフィスでOLとして働いていた私は、今年の3月に新卒から勤めていた会社を辞めた。人間関係も良好でお給料もそれなりにいただいてたけれど、満員の電車で通勤して同じような事務仕事を処理していく毎日を続けていたある日、私の中で糸のようなものがぷっつんと切れた音がした。そこから会社に行くこともできなくなって、有給も残り僅かとなったタイミングで会社へ退職願を提出した。自分で言うのも烏滸がましいけれど、入社時から仕事を頑張って上司や同僚からも評価されて、まあまあのポジションに就くこともできた。しかし、いざ会社を辞めると公表されると周りは特に私を引き留めることもせずに、ささやかな送別会と餞別品をプレゼントしてくれた。そうして、私は勤めていた会社を退職したけれど、その次に何をしようかなんて全く決めていなかった。

 そんな時に、私はこの花屋と出会った。会社に勤めていた時は、この花屋が開店する前に出社するために駅へ向かって閉店した後に退勤して家路をたどっていたし、休日も家で過ごすことや会社へ行くときとは別の路線の電車を使うことが多かったので、自分が住んでいるすぐ近くにこんな素敵な花が揃っている花屋があるなんて知らなかった。会社を辞めて2日目の平日にこの街を散歩していた時、お店の外に並んでいた色とりどりの花に惹かれるようにこのお店に入った。色とりどりに咲く花たちはとても綺麗で私の壊れていた心にとても沁みた。店主の男性に話しかけられて振り返った私の頬には一筋の涙の道が輝いていたそうだ。そんな私を心配してくれた男性は優しく包み込むように語りかけるように話をしてくれた。

 「花って綺麗ですよね。道端にも綺麗な花はたくさんありますが、どうして僕が花屋を続けているかというと”一番綺麗な状態を切り取ってプレゼントしたいから”なんです。花を買う理由って色々あると思います。例えば、ここのお客さんに亡くなった旦那さんのお墓参りを毎日欠かさず行っているおばあさんがいます、大好きだった旦那さんに渡す花はやっぱり綺麗なものを選んでほしいから僕も最高の状態で花を渡せるようにしているんです。あとは、何かの記念日で花を買っていく男性も多いです。大好きな人との大切な記念日に添える花は綺麗なものがいいですよね、私ができることは綺麗な花たちでお客様の日常に少し彩りを付け足すことだけなんです。」

 「語りすぎちゃいましたね。申し訳ありません。」

 男性はそう言うと、照れ臭そうにして頭を掻いた。

 「とても綺麗な花と素敵な話をありがとうございます。会社を辞めてしまった私の心は少し不安定になっていたみたいです。でも、こんなに綺麗な花をたくさん見ることができて癒されました。」

 私はそう言ってお店を出ようとした。すると、男性は後ろ姿の私に向かって声を掛けてくれた。

 「もしも次のお仕事がまだ決まっていないようであればここで働いてみませんか。僕1人で経営しているので、お給料は決して高いものではないですけれど...」

 「私でいいんですか?是非とも働きたいです!」

私は二つ返事で働くことを決めた。そして、今に至る。

 「すみません、この花をください。」

 若い男性が一輪のバラを片手に私に声を掛けてくれた。

 「ありがとうございます!プレゼント用でしょうか。」

 私が質問をすると、その男性は照れながら今日は彼女の誕生日だということを教えてくれた。お客さんたちが真剣に花を選んでいる表情は好きだ。一つひとつ飾られている花を前にずっと悩んでいる姿を見ると、そんなに悩んで選んだ花をプレゼントされる相手は幸せ者だなあって思う。そうこうしているうちにお客さんの波も少し落ち着いてきた。

 「ダイスケさーん、休憩行ってきていいよー。」

 「マナミさんが先に行っていいよー。」

 数ヶ月前までは偶然出会った店主と客だったのに、今では下の名前で呼び合える程に仲の良い雇い主と従業員の関係になった。私はダイスケさんの言葉に甘えて先に休憩に入った。今日は晴れて暖かいけれど風が涼しいので歩くのには最適な日だ。花屋から少し歩いたところにある行きつけのカフェで頼むサンドイッチとコーヒーは私に幸せを教えてくれる。今日は土曜日だから少し贅沢にサンドウィッチセットにデザートをプラスするのが私の一週間のささやかなランチの楽しみだ。以前よりお給料は少ないけれど、ダイスケさんの言っていたとおり誰かの人生に彩りを付け足すことのできるこの仕事はとても充実感がある。

 「あの時に会社を辞めてよかったなあ。」

 カップに少しだけ残ったコーヒーを一気に飲み干して、私は休憩時間の終わりと共に仕事に戻った。

 「ねえ、ダイスケさん。あの時どうして私に声を掛けてくれたの?」

 何気なく私は尋ねてみた。

 「マナミさんならこのお店に彩りを付け足してくれると思ったからだよ。あの時に直感でこのお店にとっての”花”はマナミさんだと強く思ったんだよね。」

 照れ臭そうにダイスケさんはそう言った。

 「私にとってはこのお店が私の人生に彩りを付け足してくれていますよ。

 「ありがとう。そう言ってもらえると、あの時に声を掛けたのは間違いじゃなかったと安心するよ。じゃあ、午後も頑張ろうか。」

 ダイスケさんはそう言うと小声で”ヨシッ”と気合を入れた。私も気合を入れるために髪を結いた。

 「いらっしゃいませー。」

 店の外に出てみると秋風が吹き抜けていった。さあ、今日もみんなの人生に彩りを付け足せるように頑張ろう。

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