雨とバス停と撫子
きっと、雨が降った日には必ず思い出すのだろう。
先日、会社に行くためにバス停の列に並んでいた。いつも通り少し混んでいた。天気予報は曇り、一か八かで傘を持ってこなかった。
ぽつり、ぽつり、と雨が降り出した。バスが来るまであと数分。どうかバスが来るまではこのままの状態でいてくれ、と願ったが、ぽつり、ぽつり、と降り始めた雨は次第に、ぱらぱらと強くなっていき、最終的にはざーざーと本降りとなった。
バスを待っていた場所はちょうど屋根が無いところで、傘を持っていない僕は雨に打たれていた。今シーズン初めて着用したジャケットも、雨に濡れてグレーから黒へと色が変わっていく。
「こんな日もあるか。」と心の中で呟いて雨に打たれたままバスを待つ。だが、予定の時刻になってもバスが来る気配がない。そして、雨も止む気配がない。
雨を紛らわすために、イヤフォンの音量を上げる。和ぬかの『寄り酔い』を流していた。雨の音をかき消すくらいの音量で曲の世界に浸ろうとしたが、服の上に落ちてくる雨のせいで音楽にも集中できない。
すると、トントンと肩を叩かれた気がした。気のせいかと思って、特に振り返ることもせずに音楽に集中しようとすると、もう一度、トントン、と肩を叩かれた。
振り返ると、そこには僕の頭上に傘を差し出してくれた女性がいた。きっと僕と同年代くらい。
「どうぞ。」と笑顔を添えて、ピンク色の傘に僕も入れてくれた。マスク越しに笑って細くなった目から、その女性の優しさが伝わった。亜麻色のロングの髪の毛と整った身だしなみからも上品な雰囲気を感じた。
「ありがとうございます。」と僕も笑顔で返す。ニット帽を深めに被ってびしょ濡れの僕は不審者に近い風貌だったにも関わらず、その女性は見ず知らずの僕を傘に入れてくれた。
本当は雑談をしたかったが、傘に入れてもらった上に話し掛けるのは図々しいかと思って、結局、お礼を一言二言だけ言っただけで、僕と女性は2人でピンク色の傘に入ってバスを待っていた。
こんな形で相合傘をするとは。たぶん、相合傘なんて中学生の頃ぶりだと思う。彼女とすらも経験が無い相合傘を、初対面の女性とするなんて。
バスがやってきて再び女性にお礼を言い、僕は2人掛けの席に座った。女性も少し離れた席に座った。混み合っていたバスの車内は、雨のせいで湿度が高かった。
バスが走り始めて十数分後、僕が降りるバス停に着いた。もしも、傘に入れてくれた女性も一緒のバス停で降りるならば、すぐ近くのコンビニで飲み物でも奢りたいと考えていた。しかし、女性はそのバス停では降りず、もっと先のバス停で降りるようだった。
少し残念だな、と思いつつ、バス停に着いた頃には雨が止んでいた。もしも、次に会えたら今度こそお礼と共に何かささやかなお返しをできればと思う。
きっと、僕はあの女性に恋をしたんだろう。
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