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~ある女の子の被爆体験記18/50~    現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。 “救護所1 "

(おばあちゃんを探しに一人で広島に来たノブコ。広島の街は、死んだ人々と瀕死の人々で、全てが変わっていた。相生橋の手前で、死んだ馬を見た時、ノブコは一歩も動けなくなった。)

焼けた靴

「おい、君。大丈夫か。おい、いいか、しっかりしろ」
ノブコは肩を掴まれた。眼鏡をした、若い兵隊さんが立っていた。
「おい、どうした。君は、火傷は負っていないね。どっから来たんだい。
ケガはないかい。歩けるかい」
ノブコは、声が詰まってしまったかのように、返事が出来なかった。
「君、足が真っ赤になってるじゃないか。みせてごらん。こりゃぁ、ひどいぞ。靴底が溶けてなくなっているよ。これは痛いだろうに」
兵隊さんがノブコの足を手のひらにのせたので、ノブコも自分の足をみた。ノブコの靴は破れていて、つま先の部分から指が外に出ていた。
足を持ち上げると靴の裏は底が抜けており、腫れ上がった赤い足が見え、皮が剥けて血が出ていた。炭や砂が傷を覆うように張り付いていた。
今まで気づかなかった、痺れるような痛みが、ズキン、ズキン、ジーン、ジーンとひどく足全体を刺激した。
「君ね、こんな足じゃ、歩こうったって歩けないだろう。救護所に行って手当てしなけりゃいけないよ」
ノブコは自分の足を引っ込めた。
兵隊さんは、ノブコと目を合わせるように腰をかがめた。
ガラスが割れた眼鏡が落ちないように左手で持ち上げながら、兵隊さんは目を見て言った。
「さぁ、この近くに救護所があるから。な、一緒に行こうや」
どうしたものか、ノブコは返事が選べずに下を向いた。
おばあちゃんを早く見つけに行かなくてはいけないし、それには相生橋を渡らなければいけない。でも、恐ろしくて、恐ろしくて、あの橋は渡れない。でももし救護所に寄り道しているあいだ、おばあちゃんが助けを求めているとしたら、どうしよう。時間を無駄に過ごしていられない。
おばあちゃんの家にいかなくてはならないのだ。
おばあちゃんが一人で待っているかもしれないのだから。
けれども一方で、足が震えて立てない自分がいた。本当は、もう怖くて、恐ろしくて、相生橋の方を振り向くこともできないのだ。ひとりでこの橋を渡ることなど、できない。立ち上がる気力も、枯渇しきっていた。
「なぁ、君。ここにいたって、どうしようもないさ。足を手当てしてもらってさ、そしたらまた歩けるだろうよ。さぁ、一緒に行こう」
眼鏡の兵隊さんは、自分の水筒を取り出しノブコに飲ませた。
そして両手でノブコの両腕を握った。
「救護所に行ったら、もっと飲めるぞ。ちょこっと休んで、それからまた行きたいところに行けばいい。さ、立ちあがって。一緒に歩こう」
ノブコには、兵隊さんの言葉が、ガラスの向こう側でしゃべっているような声に感じられた。兵隊さんに腕を支えられ、ノブコは兵隊さんに言われるがまま、救護所を目指して歩き出した。

救護所には、焼け落ちた建物の跡にテントが張られていた。
そばにある破れた水道管から、噴水のように水が吹き上げている。ノブコは小走りに歩き、水しぶきの中に頭を突っ込み、ゴクゴク、ゴクゴクと喉を鳴らせて水を飲んだ。
ハァッと息継ぎをして、またひとしきり飲んで、顔を洗い、髪の毛も服もびしょびしょに水をしたたらせた。
顔に風が当たると、ひんやりと涼しく感じた。
「なぁ君、名前はなんて言うんだい」
兵隊さんの問いかけに答えたノブコの声は、少し枯れていた。
「ノブコ、といいます」
「ノブコちゃんか。ようしゃべってくれたな。
じゃあ、次は足を洗おう。汚れをきれいに落としちまわないと、バイ菌が巣を作っちまう。足が膿んでしまったら、歩けなくなっちまうぞ。そりゃ大変だからな。きれいに洗ったら、救護所で手当てしてもらおう」
ガレキの上に腰を掛けて、底の抜けた靴と破れた靴下を痛みをこらえながら脱ぐと、真っ黒な素足に水しぶきを当てた。足の裏全体が、ズキンズキンと脈を打つように痛んだ。
兵隊さんは、
「そんなんじゃ駄目だ。もっと、ごしごし洗って。まだ砂がついてるじゃないか」
と、血が流れても容赦なくノブコの足の傷を洗った。
痛みで顔を歪めていたノブコは、隣でむさぼるように水を飲んでいる子供を見た。男の子は何もしゃべらず、たった一人で、テントの前に並ぶ人々の列の中へと消えていった。
ノブコは、自分の足が赤い色を取り戻し、血が流れるのを見て、不思議と安心した。
「なぁ、今までどこを歩いてきたんだい」
兵隊さんに聞かれ、ノブコは、呉からおばあちゃんを探しに一人で出てきたこと、線路にそって歩いてきたこと、呉の家族のことなどを話した。


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