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気軽にそんなこと言うなよな

「大多数の子たちと比べたら、ちょっと、いや、ちょっとどころじゃなく変わったところもあるかもしれないけど、明るいよね。笑っているときなんてとびきり可愛い。」
 そう母が穏やかな顔でわたしに語りかける姿を見て、心の底から安堵した。ちゃんと「明るい娘」として母の眼に映ることができているのだ、と。
 なぜ安堵したかというと、最近の休日のわたしは、用事がなければ一日の大半をベッドで眠って過ごしているからだ。それを母に異常と感じ取られていないか、気がかりだったのだ。決して体調不良によるものではない、肉体は至って健康だ。しかし、アマゾンプライムで映画や海外ドラマを観て、観終えれば眠り、ふと目覚めて本を読み漁り、ひと段落すればまた眠る。この繰り返しでいつの間にか夜が更け、深夜0時~朝6時が最も活発に動ける時間となってしまった。休日はこんな調子でも、出勤の日はしっかり時間に余裕をもって外出し、滞りなくきっちり8時間働いているのだから不思議なものである。
 そんな体たらくのわたしに対し「ずっと眠たい状態が続くってちょっと危なくない?大丈夫?」と純粋な気持ちで心配してくれた友人もいれば、はたまた「あーなんかわかるわ、俺も似たような過ごしかたしている。」と共感を示してくれた知人もいた。おそらく、この状態は平常なものではないのだろうが、深入りせずわたしに接してくれた友人・知人には感謝する。深くつっこまれると、やや説明が難しい。自分でもなぜこうなっているかよくわからない時点で、もうどうかしているかもしれないからだ。
 この休日をただ無為に溶かすことと直接関係しているかはわからないが、わたしはいま月2回通院をしている。内科や形成外科ではない。精神科だ。元々寝つきが非常に悪く、すっきり眠ることができる市販のサプリや睡眠導入剤でやり過ごしてきたが、8月のお盆明けに限界を感じたため、札幌の中心部にある精神科に出向いた。ネットでは、予約なしでも診察を受けることができるとの記載があったため、飛び込みでいったのだが「それは通院の方のみで、初診の方は要予約です。」とその扉を閉ざされてしまった。冷静に考えてみれば、そりゃそうだ、と納得した。というのも、わたしが精神科へ行くのはこれが初めてではないからである。詳細は省くが、19〜20歳の頃にも約1年通院していた。良くも悪くも何だかいい加減な先生で、こんな感じでも医者として成り立つのだな、と失礼極まりないが妙な安心感があり、大学に再び通いはじめるまでずっと行っていた。しかし、20歳の秋に「実は、もう通院やめようと思っています。また大学にちゃんと行きたいし、通院していること自体家族や仲の良い友人にすら言ってないけど、それでも元気になれた実感があるんです」と、言ったら「そうか、でもまた何かしんどくなったらいつでも来てくださいね。」という風に、あっさりわたしはその病院を“卒業”した。だから、同じ病院には絶対に行けないと私は思ってしまった。
 結局、9月頭頃から自宅とそう遠くない距離にある別の精神科に通院しはじめたのだが、毒にも薬にもならぬといった膠着状態で、何なら1ヶ月もしないうちに睡眠導入剤と精神安定剤の上に抗うつ剤も仲間入りした。4年前は精神安定剤のみだったため、日常的に3種類も薬を飲むのは人生初だ。慣れてしまえば何てことはないが、この世には慣れてはいけないことも数多くある。この日常は、これから先の人生ずっと続く日常にしてはいけない、したくないとわたしは考えている。それでも、ままならないのだ。そんな、ままならない自分が不甲斐なくて惨めで毛布の中でうずくまる夜を幾つも越えてきた気がする。どうしても寝ないとまずいという日は、支離滅裂なリズムで数分間激しく踊り、身体をくたくたにして薬も飲んで寝る。たまに、絶対によくないとわかっていながらも、酒で薬を飲んで眠る日もある。できる限り他人に迷惑をかけないように、試行錯誤しながら毎日をやり過ごす。目に見えないからこそ、これしか方法がない。
 メンタルが強い/弱いという話を今年は特に耳にするようになったと1年を通してわたしは実感しているが、おそらくその定義について誰も説明できないのではないだろうか。人間には必ず脆く、柔らかく、繊細な部分が絶対に存在している。
 心は一度砕けたらもう二度と元には戻らない、元に戻ったように見えるのであれば、それは元の形によく似せて、欠片を寄せ集めて継ぎ接ぎだらけの形になっただけなのである。

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