Dr. Nahomi Swan

スワン南保美博士。海外在住の日本人女性。ユング派志向心理士・執筆家。クリスチャンだが幅…

Dr. Nahomi Swan

スワン南保美博士。海外在住の日本人女性。ユング派志向心理士・執筆家。クリスチャンだが幅広い精神性に関心を抱いている。 座右の銘はナウエンの「傷ついた癒し人」。最近の関心ごとは共同親権と宗教2世問題。

最近の記事

隠し子の叫び-父との再会物語#8 未来へ

   一つの家族だった私たちだが、ばらばらになっていく過程で、父も姉も母も私も苦しい過去を抱えながら、過去と決別しながら、過去から学びながら、それぞれの方法で前へ進んでいったのではないかと思う。人はどうやって過去と向きあったら良いのか。この問いを思い巡らす時、私の心にいつも浮かんでくるのは次の言葉だ。「死んだ過去の上に未来を築いてはならない。どんなに苦しくても過去を否定してこそ新しい未来が開けるのだ。そこに希望を置いて出発しよう」これは私の古いクリスチャンの知り合いの家に「復

    • 隠し子の叫び-半世紀後の父との再会物語#7 父との再会

        やっと父の心の準備ができて会えることとなったのは父との書面のやり取りが一年ほど経ってからだった。父は父の住む遠い他県から私の住む地域の飛行場へ来てくれ外へ出ることなく一時間だけそこで会い、蜻蛉返りで帰って行った。父に会いに行く時、夫も同行してくれた。なんとその日は私がずっと父親と思っていた祖父の命日だった。だから私はこの桜咲く日をパパ記念日と名付けた。到着ゲートから出てくる父をどきどきしながら待った。私たちが再会した瞬間失神してしまったらどうしようかと私は思っていたが、そ

      • 私がクリスチャンになった訳 [第9章:洗礼後の試練と課題(完結)]

          これまでの20年を振り返ると本当に様々なことがあった。洗礼前と同様正に山あり谷ありの人生で、私の人生は波瀾万丈としか言えない。33歳の時受洗し、新宗教からカトリックへ改心した。34歳で結婚した夫をクリスチャンとして導き、1年3ヶ月後天国へ見送った。この夫の死と再生の物語「青い蝶々」と題して執筆中である。前夫の他界後すぐに出逢った夫と再婚し、16年間不妊治療を続けてきたが、奇跡が起こり、3ヶ月前に一子である健康な男児を出産した。もう一つの家族にまつわる奇跡。それは日本の単独

        • 私がクリスチャンになった訳[第8章:洗礼の恵み]

            微笑みの国に移り、約一年後に私はカトリックの洗礼を受けた。最初の半年は、まだ迷いがあり、現地の新宗教教会へ御参りに行こうかと思ったり、お寺巡りをし、仏教について学び始めたりしていた。しかしイギリスの教会で感じたように、キリスト教教会に入る度に聖霊に包まれるような感動を覚えその度に洗礼を受けたいと思った。洗礼の決意のきっかけはある若い日本人女性カトリック信徒との出会いだった。彼女は宣教活動で現地入りしていたが、人柄が良いと同時に本当に普通の女の子という感じで、こんな普通の人

        隠し子の叫び-父との再会物語#8 未来へ

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#6 新たな苦しみ

             父の消息が分かった日、私は大変嬉しく高級デパートでシャンパンとケーキとご馳走を買ってきて夫と共に祝った。夫は若い時父親と死別したので自分にも父ができたようで嬉しいと自分のことのように喜んでくれた。翌日父からの文書が届き、私は一層嬉しくなり、急遽休暇を取り夫に置き手紙をおいて飛行機で1人父の住む遠い他県へ飛んで行った。しかし父は会ったら多分三日くらい泣き続けてしまうし、あまりにも突然過ぎてどうしても心がついていかないと折角会いに行ったのに会ってくれなかった。しかし私がそば

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#6 新たな苦しみ

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語 #5 全てが変わった日

            このストーリーには不思議なプロローグがついている。あれは5年前の夏の終わり頃だった。不思議な人物が私の自宅を訪れたのだ。その頃はまだ夫を外国の自宅に一人残し、私一人で日本のワンルームマンションで暮らしていた。その訪問者は3日間続けて、日が昇る頃ドアチャイムを鳴らした。  ピンポーン。1日目は夢うつつでその音を聞き、起き上がり確かめることはしなかった。  ピンポーン。2日目。「おかしいな。やっぱり昨日も夢ではなかったのか・・・」と思い、恐る恐る起き上がり、覗き窓を見ると、母

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語 #5 全てが変わった日

          隠し子の叫び 半世紀後の父との再会物語#4 海外生活

            私はいつしか、母と距離を置いて生きることが互いにとってベストなのだと理解し、海外生活の道を選んだ。母はいつも姉に「なぜあの子はいつも私から離れていくのか」と寂しそうに語っていたというが、母は心の奥底では、自分が奪ってしまった父親を探し求める心の旅を私が無意識にも行なっていることを薄々気づいていたのではないかと思う節がある。私が駆け落ち同然で日本の難関な資格試験に合格したことも放棄して、母から逃れたい一心で、ヨーロッパ人の恋人の所へ我が身一つで渡った時、旅立ちの数日前に自分

          隠し子の叫び 半世紀後の父との再会物語#4 海外生活

          隠し子の叫び 半世紀後の父との再会物語 #3 大学生時代

             私が大学生になる頃は、バブル全盛期で母の店も非常に景気が良く、私は地元を遠く離れた私立大学へ通わせてもらうことができた。その頃祖父は他界し3年ほど過ぎていたが長寿を全うした祖母は健在であった。母は私が大学へ行くことは経済的余裕があってもあまり良いことではないと思っており「女は短大くらいでいいのに」などと口にしていた。だが、私は将来、祖母のような新宗教の布教師をする傍ら英語の教師になりたいという夢を抱いていたので、どうしても新宗教の本部がある地域の大学に進学し好きな英語を

          隠し子の叫び 半世紀後の父との再会物語 #3 大学生時代

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#2 少女時代

            私の両親は幼少の頃離婚し、私は母方の家族に育てられた。父親が不在となってからの我が家は様々な事情も重なり、生活が困窮し、一家心中を企図したこともあったほどの苦労をしたと聞かされている。シングルマザーとして忙しく働かなければならなかった母に代わって私を育ててくれたのは祖父母であった。祖父母は熱心な新宗教信者で、特に祖母は布教師であったため、母親代わりであった祖母から受けた精神的、道徳的、思想的影響は私にとってかなり強いものとなった。祖母からは「あなたのお父さんだった人はあな

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#2 少女時代

          かなえたい夢:10年後のバースデープレゼント

           私は54歳の超高齢働く新ママ。1歳年下の中国系東南アジア人の夫と結婚後16年間の不妊治療の後、4ヶ月前に健康な第一子の男児が授かったという稀有な運命の持ち主。職業はスクールカウンセラー。肩書きはいくつかあって、公認心理師、国際箱庭療法士(ISST)、カウンセリング心理学博士。そして自称執筆家のクリスチャンである。   こんな私の夢は自分自身への10年後のご褒美。それは自分のセラピールームと書斎を持つこと。多くの心理療法家は生涯現役で自宅を開放して臨床にあたっている。約10年

          かなえたい夢:10年後のバースデープレゼント

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#1プロローグ

             私のこの自伝のメインテーマは奪われた父性を奪還するための半世紀の旅である。私は3年前に、2歳の時に生き別れた実父と50年ぶりに繋がった。この希有な体験は感動と喜びと怒りと切なさが入り混じったなんとも言葉にし難い出来事であり、自分の心の癒しのために書くことが何よりの先決課題であると思い、重苦しい心を抱えつつ早速書き始めたが、半世紀を振り返らけねばならないこの自伝作成は決して容易なことではなかった。50年の人生の一つ一つの出来事を心の中で紐解き、整理し、感情と闘いつつ冷静に

          隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#1プロローグ

          私がクリスチャンになった訳[第7章:洗礼前の試練]

            イギリスの大聖堂の祈りの中で、シスターUとの聖書の分かち合いの中で、イエスは私と共にあってくださることを強く感じていた。しかし何度も洗礼を受けようと思いつつ、決意はつかなかった。結局シスターとの聖書勉強会の直後、私は新宗教本部内にある学校で英語の講師として2年勤めることとなった。当時祖母は、それを大変誇りに思い、喜んでいたと同居人の伯母がよく話していたので、最後の親孝行ができてよかったのではないかと今は思っている。ただシスターUは私が新宗教本部で働くことになってもいつか、

          私がクリスチャンになった訳[第7章:洗礼前の試練]

          私がクリスチャンになった訳[第6章:シスターUとの出逢い]

             シスターUは約3ヶ月間週に一度のペースで一対一で聖書を教えてくださった。福音書の中で一番古くに書かれたものであるからという理由から、シスターが新約聖書の中から選ばれたのはマルコによる福音書だった。この書を中心に読みながら、時々、旧約聖書の大事な箇所も紹介してくださり、ゆっくり静かに聖書勉強会の時が流れていった。シスターが教えてくださった聖書の読み方は、レクチオ・ディヴィナ(霊的読書)であった。この方法は、ゆっくり聖書の一語一語を味わい、黙想と祈りと観想を通じて、神に出逢

          私がクリスチャンになった訳[第6章:シスターUとの出逢い]

          私がクリスチャンになった訳[第5章:帰国後の試練]

            3年間のヨーロッパ滞在後の日本帰国は大変辛いものとなった。初めて日本を長期間離れ、ヨーロッパへ渡った時のカルチャーショックを上回る衝撃で、所謂、逆カルチャーショックに悩まされた。特に決して近代的な家族とは言えない我が家であったからかもしれないが、ヨーロッパで修士号を取得して自分では一回り大きくなったつもりでいたけれど、28歳で恋人と結婚せずに戻ってきた私は、まるで出戻り娘のように扱わられ、一番最初の試練として私を待っていたのは、お見合い結婚を強いられということだった。その

          私がクリスチャンになった訳[第5章:帰国後の試練]

          私がクリスチャンになった訳[4章:イエスとの出逢い]

             それからヨーロッパには3年住み、婚約寸前まで進んだ彼とは上手くいかず、苦しいことがたくさん起き、洗礼を受けるまで後一歩というところまでいった時期もあった。後半の滞在期はノルマン様式で有名な大聖堂のある大学都市で過ごした。あの頃の私は新宗教の教えをまだ信じながらも、大聖堂に毎日通い祈りを捧げ、クリスチャンの友人たちと触れ合いながら、この人たちのようにイエスを受け入れて生きれたら、どんなに楽になれるのだろうと思っていた。その反面、私の信じる新宗教が世界宗教として認められる日

          私がクリスチャンになった訳[4章:イエスとの出逢い]

          私がクリスチャンになった訳[3章: 聖書と共に旅立った日]

          私はヨーロッパに一年滞在後、日本へ帰国し地元の学校で教職についた。これも神様のお計らいだと思うが、勤務先はカトリックの学校だった。そこでのシスターたちの出会いが私が後にカトリックの洗礼を受けるきっかけとなる。シスターたちが学校行事の際にお祈りされる時、その祈りの言葉の一つ一つが私の心に染み込んでくるような感じがした。そんな時、私はいつも「やはり神様は一つ。どこにでもおられる。どんな宗教を通しても私に語りかけてくださる」と思いつつ、私の信仰する新宗教の儀式からは得られない感動を

          私がクリスチャンになった訳[3章: 聖書と共に旅立った日]