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隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語 #5 全てが変わった日

  このストーリーには不思議なプロローグがついている。あれは5年前の夏の終わり頃だった。不思議な人物が私の自宅を訪れたのだ。その頃はまだ夫を外国の自宅に一人残し、私一人で日本のワンルームマンションで暮らしていた。その訪問者は3日間続けて、日が昇る頃ドアチャイムを鳴らした。
 ピンポーン。1日目は夢うつつでその音を聞き、起き上がり確かめることはしなかった。
 ピンポーン。2日目。「おかしいな。やっぱり昨日も夢ではなかったのか・・・」と思い、恐る恐る起き上がり、覗き窓を見ると、母が男になったような人が立っているのが見えて、私は思わず「あ、お母さん!」と言うと、その男は英語で「お邪魔してすみませんが・・・」と語り始めた。私は、怖くなり、黙ってじっと立ちすくんでいると、その男は去っていった。
 ピンポーン。3日目。「又か。今日は警察に相談しなければならないなあ」と思いながら、そっと覗き窓を覗いてみた。するとハンチング帽を被り眼鏡をかけた紳士風の老人が立っているのが見えた。その男は右に首を傾げ、私の方を心配そうに見つめ、ドアを開けて欲しそうな顔をしていた。なんとなくその姿に好感を持ったが、やはり怖くてドアを開けることはできなかった。しばらくするとその老人は背を向けて寂しそうに歩いて行った。その哀愁の背中を見つめながら、私の心を過った言葉はユングの「アニムス(内的男性性)」(女性の無意識の中に潜在する男性像)であった。
  
  この不思議な出来事の2年後、私の半世紀の人生が一夜にして一変した出来事が起こったのだ。
  その頃は外国人の夫も日本に移住しており、二人で母の身辺整理の手伝いをしていた。母のスナックの二階が物置部屋になっていたので、その部屋の整理をしていると埃に塗れた書類の中から幾つかの手紙が見つかった。差出人が遠い他県在住の父となっており非常に驚いた。それらの手紙から、父は望んで親権を手放したわけではなく、15年以上も再婚もせず、私と姉に送金を続け、いつか私たちに会える日を夢見て懸命に働いていたということがわかった。その手紙から紳士で知的で温かい父の人柄が伝わり、熱いものが胸に込み上げ思わず涙が頬を伝った。相当な歳になっているだろうが、まだ生きているのだろうかと思うと居ても立っても居られず、帰宅後すぐにネット検索をした所、所在がわかった。ネットのサイトの父の写真を見て震えた。あの不思議な老人の訪問者と同一人物に見えたからである。
  手紙を送った後、父からすぐに返事が来た。その封筒を開ける瞬間の震えるような思いは今でも忘れられない。半世紀も悪い人と聞かされていた人が手紙の返事をくれたのだ。まるで鍵のかかった戸棚の隅にじっと50年間座っていた悪魔の人形に突如生命が蘇り口を開くのを待っているような瞬間である。息を飲みながら父の文書を読み始めた。そこに書かれてあった内容とは・・・。
  父は事情があって家を出たが、非常に後悔し、その後、私と姉のために必死に働き送金を続け、いつか大物になり家に戻る日が来ることを夢見て頑張っていた。15年以上も再婚もせず頑張り続け、バブル期のある日に富豪になり、母に再婚を求めたがそれは受け入れられず、家に帰ることは許されなかった。そのため再婚をしたが、新しく授かった子供には私と姉のことを忘れないように、私の漢字の名前の一文字をつけ、いつも私たちを心に抱きながら生きてきた(私は命名に姉の一文字をもらい、姉は父の一文字をもらっている)。心の準備ができず、今すぐは無理だが死ぬ前に再会を実現させたい。それまで父は頑張る・・・というものだった。
  この内容に非常に感動したのはもちろんのことだが、まず第一に私が感じ驚いたのは、父は人間だったということだった。それまで私は祖母や母から聞かされていたことの印象から、魔物かこの世の人ではないようなイメージを父に抱いていたのである。そして、この手紙の内容から今までずっと忘れていたことを咄嗟に思い出した。私が高校生の時に、母が急に「大金持ちから求婚されたけど、断ろうと思っているの。あなたも急にお父さんがこの家に来たら嫌でしょう?」と言い出したのである。そして母はその1週間後くらいに「あなたを父親のない子供にしたのは私だから、この罪だけはどんなに償っても償い切れない」といつもになく申し訳なさそうに哀しそうに言ったのだ。私はその時、なんのことを言っているのかさっぱりわからず、その母に求婚した人はよっぽどのお金持ちだったのだろうなあということしか思えなかった。しかし、父の手紙が見つかり、その時の記憶と繋がった。父は家を出た後、非常に後悔をした。そして、何度も家に戻ろうとしたが受け入れてもらえず、家に帰るためには相当な大物にならなければいけないと思い、企業家として富豪になるまで上り詰め、やっと母に再婚を申し込めるまでに至った。しかし、母はそれを私にはっきりと伝えずに断ったのであった。(姉は当時もう成人し職についていたので、この話がどこまでどのように姉に伝わっていたのかはわからない。)父の話になると大抵被害者のような顔をする母が、あの毛皮のコートの贈り物の時のように時々加害者のような申し訳ない顔をする時があったが、その意味もその時になってやっと理解できた。母が私たちの写真を送っていたのも送金を受け取っていたためであるということにもやっと気づくことができた。私の住む国に父親も住んでいるかもしれないが私に近寄ってきても無視しなければいけないと言った意味もわかった。それは父が私に危害を与えることを恐れたのではなく、父と私が繋がることで母が隠し続けてきたことが発覚してしまうことを恐れていたためだったのだ。
  父も私もそれぞれに半世紀後に繋がった驚嘆と喜びに満たされた。父の表現はこんな風だった。私から連絡があった日、あまりにも嬉しくて、週末にいつも出かける自製の山小屋に行く前に山の近くのペットショップで鯉の稚魚を100匹買い、全て川に流したという。そして夜になると、いつものように山の上で夜空の星を眺め始めた。そこで父は、会えなくなった家族たちのことを思い、この同じ星を同じ日本の遠い場所で見ている人たちがいると星に思いを馳せてきたという。その日、私から半世紀後連絡が来たことは、まるでその夜空の星たちが突然地上に降ってきたような感動だったいう。
  私の感激はと言うと、心の中の真ん中にある山の上に駆け登り、両手を上げて叫びたい気持ちだった。
 「世界中の皆さん、聞いてください!私にはお父さんがいました。私のお父さんは悪い人ではありませんでした。私のお父さんは私を棄てていませんでした。私は、夫に棄てられた惨めで悲しいシングルマザー、スナックのママの娘だけではありませんでした。知的で紳士で温かい実業家の父の娘だったのです!」
  互いに別々の家族のある私たち。社会的地位のある父。半世紀も経って、やっと出逢えたのに、心の準備ができないからと言われすぐに会って抱きしめてもらうこともできない。父の娘として公に姿を現すことさえ思い通りにいかない「隠し子」のような存在になってしまった私。だから私は叫ぶ、この感動を心の中で。これは私の隠し子のプライド、心の叫び!!
  一夜にして悪人と善人が逆転した。祖母の呪文から、母の心理的圧迫から、「殉教者の娘としての罪悪感」(信田、2018)から、「毒親」(スーザーン・フォワード著、羽田詩津子訳、『毒親の棄て方ー娘のための自信回復マニュアル』、新潮社、2020年出版)の縛りから、一気に解放された瞬間を味わった。夢の中で、門番の祖母がやっと死に絶え、監禁状態から抜け出すことができた。母に乗せられたコーヒーカップの中でぐるぐる回り続け、路頭に迷った半世紀の旅が終焉した。母と川の激流から逃れようと必死に泳ぎ続けた人生の中間地点で、今まで想像しなかった大激流に出逢い、古いものが一気に流された。大波が鎮まり、新天地へ導かれた時、父が方魚した100匹の鯉の稚魚が、新しい多くの命として私の中で芽生えた。2020年5月24日父の手紙が見つかった日。平凡で穏やかな初夏の日曜日。私の中で全てが変わった日だった。
  父との繋がりには鳥肌の立つことばかりが絡んでいる。私からの手紙が父の元に届いた日、父の実家の兄からも電話で連絡があったという。50年後に、私と叔父が、別々に、父の居場所をそれぞれ見つけ、全く同じ日に連絡をしてきたという奇縁に父は大変驚き、合わす顔もないと思いずっと避けてきたが、終活の時期を迎えた今こそ私たちに会ってお詫びをしたいと思うようになったという。そしてもう一つ非常に驚いたことがあった。長く海外在住している私だが2年前まで日本に3年間住んでいた際、地元の某教育機関の教員の公募を見つけ採用され2年半勤めていた。なんとその教育機関が父の母校であるということを父と繋がった後に知ったのだ。父は、私が博士となって父の母校で教員をするまでに成長し、自ら父を探し求め連絡を取ってきたことに大変感動し喜んだ。私もわずかの期間でも父の母校で教職につけたことが何よりも嬉しかった。こういった共時性の体験は神の計らいとしか思えず、いつ思い出しても感動と震えに心と体が包まれるのだ。
  そしてもう一つ大変不思議だったこと。それはあの父に遭遇する前の奇妙な出来事である。3年前に自宅を訪れた老人だが、SNSで見つけた父の写真にそっくりだったため、父と繋がってから本人にあれは父だったのではないかと尋ねたところ、半世紀間一度も出身地へ戻ったことがないという。なのであの老人は、夢や幻であったのだろうが、ユング心理学的理論に従えば「ビジョン」と言える。3回目のビジョンを見た時、私の心の中に「アニムス(内的男性性)」という言葉が浮かんだ。父はまるで「アニムス(内的男性性)」のような存在で、いつも父と私は内的世界の中で繋がっていたと私の半世紀の心の旅を回顧する時、実感できる。しかし、あの時、私は理論的に考えてそう思ったのではない。「アニムス」という言葉が本当に自然に心の中に浮かんできたのである。そして、その「アニムス」のビジョンは1回目、2回目、3回という過程の中で少しずつ変化していった。1回目は覗き窓の外を確かめに行かなかったため「空白」だ。2回目は男になったような母の姿、3回目は父の姿であった。2回目の人物が英語を話したことは興味深い。私にとって英語は、新しいアイデンティティを与えてくれた未来の世界との媒介言語であり、父と私が理解でき、母が理解できない言語という意味で、非常に象徴的な意味を持つものだ。男のような母の姿は「父と母の二人分頑張るお母さんだから、性格がきつくても許してあげてね」と祖母や親戚たちに言われた母のイメージを思い出す。
  この3つのビジョンは、私のアニムスの成長的段階を示しているように思う。2回目と3回目のアニムスの違いは、ユングに従えば、「否定的アニムス」あるいは「アニムスに取り憑かれた女性」VS「肯定的アニムス」(ウェーア、 1987)と言えるかもしれない。しかし、ユング派志向のフェミニストである私は『ユングとフェミニズムー解放の元型』(1987)の著者デマリス・S・ウェーア(1987)(村本 詔司、中村 このゆ 訳、ミネルヴァ書房、2002年出版)の次の主張に賛同する。「ユングが体験的なものや非合理的なものだけでなく、わたしたちの最も深い霊的問題の現実をも強調したことは、西洋社会の物質主義是正に向けての一つの顕著な動きである。女性的なるものを正当に評価しようというユングの努力の中にさえ含まれているのだが、女性たちと女性なるものへの恐れをただすことは、ユングの心理学をホーリスティックな心理学と霊性にするうえでどうしても欠かすわけにはゆかない一歩であろう。女性たちはユングの心理学がそのように発展することを必要としているのである」(p. 163)。「アニムス」(内的男性性)や「アニマ」(内的女性性)や「影」(無意識の中に潜在する抑圧された誇れない自分の部分)といった「元型」(集合的無意識の内容を表す共通したパターン)を静止した本質的なものとして捉えるのではなく、私たちの経験と視点で日々解放されるべき対象であると理解する努力をウェーア(1987)に倣って私は忘れたくないと考えている。(続く)

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