見出し画像

私がクリスチャンになった訳[第7章:洗礼前の試練]

  イギリスの大聖堂の祈りの中で、シスターUとの聖書の分かち合いの中で、イエスは私と共にあってくださることを強く感じていた。しかし何度も洗礼を受けようと思いつつ、決意はつかなかった。結局シスターとの聖書勉強会の直後、私は新宗教本部内にある学校で英語の講師として2年勤めることとなった。当時祖母は、それを大変誇りに思い、喜んでいたと同居人の伯母がよく話していたので、最後の親孝行ができてよかったのではないかと今は思っている。ただシスターUは私が新宗教本部で働くことになってもいつか、キリスト教に私が戻ってくると漠然と感じておられたという。シスターの勘は当たっておられた。
  英語講師を勤める傍ら、私は密かに勉強を続けていた。私の信仰する新宗教の女性教祖をフェミニズムの観点から研究したいという目標が生まれ、それに取り組んでいたのだ。正に小さな迫害者として、イエスの教え打破に挑み、新宗教を世に伝えるための学問の道を歩もうと思っていたのだ。某有名大学大学院のの宗教学科合格を目指して、勤務の後、外国語、宗教学の勉強をし、論文も書き続けた。2回目の受験勉強中は地元の東北に戻って来ていたが、なぜか新宗教の教会にお参りにいく気持ちになれず、図書館で勉強の合間に、カトリック大聖堂へ赴き、祈りを捧げていた。聖書ももう一度開き読んでいた。いけない、私はこんなことをしている場合ではない。私は新宗教信者として、フェミニストとしての教祖を生涯かけて探究していくのが私に課された使命なのだと思いつつも、キリスト教に惹かれていく気持ちを抑えることができなかった。大学院に提出する「T教の女性観」という論文の最終段階に取り組んでいた時は命懸けだった。3日間寝ずに、パンやおにぎりをかじりながら書き続けた。その論文執筆の中で、内在的理解という新宗教学者の言葉に出逢い、私は、T教教団を批判し、教祖の教義を純粋に見つめる作業をしたいと思っていたが、その段階でT教女性信者たちの(私とは異なった)女性観を内在的に理解する姿勢を持つことができたように感じ、その瞬間、私はこれで新宗教とはお別れするのだろうと直感的に思えた。
  結局、大学院には合格せず、神様のご計画はいかばかりかと思い、なぜかその時急遽シスターUにお会いしたくなり、近況を報告し連絡をしたところ、あなたから電話あった時、ピピっときたのよと言って、仕事先を紹介してくれた。なんとそれが在住歴20年以上になる現在の拠点東南アジアの国であったのだ。シスターが紹介してくださった仕事は、同じ修道会が運営する女子学院での日本語の教員だった。欧米へいつか戻りたいと思っていた私にとって、東南アジアは未知の世界であった。ただこの国は微笑みの国と言われるが、私は計画的にこの国へ呼ばれたのではないかと思うような体験をヨーロッパ滞在時代にしていた。ヨーロッパ大都市の片隅で鉛のように重たい心を抱えながらトボトボ歩いていた冬の日の夕方。ホームレスの若い男性が目の前に現れ、ふと私に言った。「僕の父に会ったことがある?」と。私はいいえと答えると、彼は父親に会わせてくれ、そのホームレスのおじさんが私を見て咄嗟に口にしたのだ。「微笑んでいればきっと大丈夫だよ」その彼の言葉に誘われるように、7年後私は微笑みの国へ移動していた。そしてこの微笑みの国で私は多くの試練にあい、収穫も得られることとなる。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?