#12【構】「構造主義」という革命~自由意志っていうけど、ルールにのっかってんで。
バンコクでのバイクの様子。
ノーヘルや複数人乗りなどなんでもありのように見えて、なんとなくの暗黙のルールはしっかりとあります。
サワディーカップ。
今日は前回の続き。
人には「主体的意志」というものがあり、自由に行動できるものである!
という主張ですね。
僕がこの主張に対して感じた
「人それぞれ自由に生きていたら社会って回らないでしょ?」
「自由っていうけど所詮僕らは社会の一員なんだよ?」
というモヤモヤを、今日のメインテーマ「構造主義」がうまくふっ飛ばしてくれます!
「無意識」の存在
前回紹介したような、「主体的意志」が人間の根源だとすると、ある行動に説明がつかなくなります。
それは、「無意識」の行動。
僕たちはすべての行動に「主体的」な「意志」をもっているわけではありません。
当時この「無意識」を発見したのが、かの有名なフロイトですね。
この実存主義と対立するフロイトの理論を、別の形で推し進めたのが構造主義なのです!
社会には根源的なルール(構造)がある
構造主義といえば「レヴィストロース」という人類学者。
端的に言うと、彼は文明の発達していない「未開」のA村とB村を実地調査したところ、A村からもB村からも共通したルールを抽出したのです。
驚くべきことに、村の人たちはなぜこのルールを採用しているのか分かっていません。
つまり、
「無意識になんとなく従っている社会共通のルール」
が存在するということです。
(ここでいう「社会」は極端に言うと「世界」と置き換えていいくらい大きなものですね)
例えば、どの国でも「じゃんけん」に近い手遊び?があります。
タイでもあります。
「三すくみ」で何らかの勝敗を決定するというルールは、「なんとなく」存在する世界共通のルールなのです。
もっと身近なことでいえば、
「個性」とか「多様性」とかっていう「個の表現」を大切にすることを声高に言ったとて、結局「個」を表現できるのはこの社会のルール内でだけです。
生徒会だって学校や授業という根源的な学校構造を変えようとは思わないですよね。
「全会一致で、授業を1コマ30分にしました!」みたいな。
(そんなことされたら結構困ります)
「主体的意志」という幻想
実存主義に対する構造主義の主張はこうです。
「君たちは自分でなんでも決められると思い込んでいるみたいだけど、本当は世界の裏に隠された構造があって、それによってその決断が支配されているんだからね」
僕たちはこのことに自覚的になるべきだと思うのです。
もちろん、自分の意志をもって自由に行動することは大切。
何かに縛られるのではなく、自分のやりたいことをしたい!という考えは大事だし、尊重すべきことだと思います。
でも、忘れてはならないのは
「どこまでいってもルールの枠組みの中で生きている」
という基本の構造。
このことを知らないままに「真の個性」「真の主体的意志」みたいなものがあると幻想するのは危険です。
哲学の歴史としてはこの後も色々変容するのですが、
全部ひっくるめて僕が大事だと思うのは、
「自分の意志で動くの大事だよ!自分らしさ(=個性)も大事だよ!」
「でも、どんな意志や個性も、所詮は社会の枠組みの中で生まれているものにすぎないよ。」
「だから社会構造に『なぜ?』を唱えるのは無意味だよ。そこに個性を求めても意味ないよ。」
という考え方。
「個性」が叫ばれる今日、この考えってむちゃくちゃ大事なんじゃないかなと思っています。
みなさんはどう考えますか???
まとめ
改めて何冊かの哲学書を読み返して思うことは、
「こういうことを中等教育段階で学べたらいいのにな」
ということ。
(え、でも倫政を入試に使った人は学んでる?)
でないと、誤った「個性」が溢れかえってしまって
究極、社会が成り立たなくなってしまいます。
だから、「個性!個性!」とロボットのように連呼している人には、
こんな感じで水を差してあげるといいですよ^^
今回はお堅いお話でした!
でも教育にも通ずる大事な気づきだったので
きちんと残そうと思って書きました。
この間にもタイでのあれこれがたくさんあったので
また次回に!
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