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学校教育関係者のための AI×教育(2)

(1)でお伝えしたように、

UNESCO(2021)の、
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000376709
こちらの資料。
目次はというと、和訳(仮訳)するとこんな感じです。(長いです)


1. はじめに 
2. 政策担当者のためのAIエッセンス 
 2.1 AIの学際的性質
 2.2 AI技術について簡単に説明します 
  2.3 AI技術の簡単な事例紹介 
  2.4 AIの開発で考えられる傾向: 「弱い」AIと「強い」AI 
  2.5 AIの能力と限界に対する批判的見解 
  2.6 人間・機械協調知能 
  2.7 第4次産業革命とAIがもたらす雇用への影響 

3. AIと教育を理解する:新たな実践と利益-リスク評価 
  3.1 AIを活用して、どのように教育を充実させることができるのか。 
    教育管理・提供のためのAI活用について 
    学習・評価におけるAIの活用 
    AIを活用した教師の能力向上と授業の充実 
  3.2 教育現場において、AIを公益のためにどのように活用するのが最適
    なのか。 
  3.3 教育におけるAIの倫理的、包括的、公平な利用をどのように確保す
    ればよいのか。 
  3.4 AIとともに生き、働く人のために、教育はどのように準備できるの
    か。 

 4. SDG4達成に向けたAI活用の課題 
  4.1 データ倫理とアルゴリズム・バイアス 
  4.2 男女共同参画AI・男女共同参画のためのAI 
  4.3 教育におけるAI活用のモニタリング・評価・研究 
  4.4 AIは教師の役割にどのような影響を与えるのでしょうか。 
  4.5 AIは学習者のエージェンシーにどのような影響を与えるのか。 

5. 政策対応のレビュー 
  5.1 政策対応への取り組み 
  5.2 よくあるお悩み相談 
  5.3 資金調達・パートナーシップ・国際協力 

6. 政策提言 
  6.1 システム全体のビジョンと戦略的優先課題 
  6.2 AIと教育政策の包括的原則 
  6.3 学際的な計画とセクター間のガバナンス 
  6.4 AIを公平、包括的、倫理的に利用するための方針と規則 
  6.5 教育管理、教育、学習、評価におけるAI活用のマスタープラン 
  6.6 パイロットテスト、モニタリングと評価、エビデンスベースの構築 
  6.7 教育のための地域AIイノベーションの育成 

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000376709

まずは、「1. はじめに」ですが、書き初めは、懸念から始まっています。

AIは国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を支援する可能性がある一方で、急速な技術開発は必然的に複数のリスクと課題をもたらし、これまでのところ、政策論議や規制の枠組みを上回っているのが実情

UNESCO(2021)資料

1. AIと日本の学校教育での最近の流れ

スマートフォンのパーソナルアシスタント(Siriとか、OK Googleとか)や、カスタマーサポートのチャットボット、娯楽の推奨(レコメンド)から犯罪予測、顔認識から医療診断まで、実は既に私たちの生活の中に、AIは既に入り込んでいます。

教育(学校教育、教育サービス)でも、インテリジェント、アダプティブなどと呼ばれる学習システムが、学校や大学教育にも日本でも入り込んでいます。
英語の発音、鉄棒の動作解析、など、GIGAスクール構想での1人1台端末と回線の確保によって、EdTechと呼ばれる商品・サービス群が、学校で利用されることが促進しました。
文部科学省が、端末と回線、経済産業省は、こうしたEdTechと呼ばれる商品・サービス群の導入をしていました。
このうち、経済産業省は、令和3年度(2021)・4年度(2022)と、「EdTech導入補助金」という事業で、企業や団体の商品・サービスを、小学校〜高校に至るまで、希望するところに導入していました。
令和4年度(2022)の報告書があります。

https://ictconnect21.jp/edtech2022/edtech2022_reports/

このサイトで報告書が出ている、学校向け商品・サービスの多くに、実はAIが用いられています。

また、教育産業・学習支援業と呼ばれる、塾や予備校、通信教育にも、AI が使われています。TVCMで見かける企業でも、「AI使って個別学習」を唄い始めるものも出てきています。

実は、ChatGPTが開発してリリースされる以前から、既に日本の学校教育でもAIは使い始められているのです。
こうしたAI利用の教育・学習サービスが開発され、商品・サービス化され、学校に導入された、という一連の過程の中で、今回の生成型AI、ChatGPTの利活用についての騒ぎにはならなかったのです。

なぜなのか?
これを解く鍵が、「『AIとはなにか』を知ること」だと、筆者は考えます。

2. AI という語の定義

AIは「人工知能」と和訳されます。
本来ならば、「人工」とはなにか、「知能」とはなにか?を論じ詰めないと「人工知能」の内容に関する定義にすらならないのですが、ここでは、略します。

読者のみなさんが、およそイメージしている「人工」や「知能」と、広義の「人工」「知能」との語の定義との間に、おそらく乖離がないから、と考えているからです。

では、このユネスコ資料では、どのように紹介されているかといいますと、
歴史的に定義の変遷を記しています。

「人工知能」という言葉は、1956年に米国のダートマス大学で開催された
ワークショップで初めて使われ、
「知的機械、特に知的コンピュータープログラムを作る科学と工学」※1
という意味で使われました

※1(McCarthy et al., 2006, p. 2)

半世紀以上も前(私も生まれる前)に「人工知能」の語は生まれています。
その後、現在に至るまで、概略的に申せば、線形なりLogカーブなりで、右肩上がりに順調に発達してきたわけではなく、時には大学や専門研究機関にAIは籠ったり、社会に公開されてガッカリされたり、研究資金がついたりつかなったりの浮沈を繰り返しています。特に沈んだ時には「AIの冬」という表現がなされたりしました。
時には、人工知能に関する工学や言語学の域外から、
・何が「知能」を構成するのか
・機械は本当に「知能」を持つことができるのか
といった、哲学的な議論も交えて、AIの歴史は進んでいきます。
哲学的な議論を交えて、人工知能を定義する一例として、以下のような定義もあります。

人間の知能の秘密を探る一方、人間の知能を可能な限り機械に移植し、機械が人間と同じように知能を発揮できるようにすることを目的とした現代科学技術の一分野であり、「知能科学」とも呼ばれる。

(Zhong, 2006, p. 90)

AIを、私たちが通常人間だと考える能力によって世界と対話するように設計されたコンピュータシステムと定義するかもしれません

(Luckin et al.、2016)

多角的な視点から「人工知能」に関する定義がなされていますが、これらを探して書き連ねることが目的ではありませんので、本連載では「人工知能」の定義を、ユネスコ資料にある、下記を「人工知能」の定義として述べていきます。

知覚、学習、推論、問題解決、言語対話、さらには創作活動など、人間の
知能を模倣した機能を持つ機械。

UNESCO「科学的知識と技術の倫理に関する世界委員会」(COMEST, 2019)

そして、現在の「人工知能」の位置ですが、何回目かの「AIの冬」が終わり、生成型AIにより、こうした、より社会や日常生活への「実装」のフェーズに来ているのかもしれません。

AI研究の難しいが抽象的な仕事の多くは終わっている...
実装の時代は、ようやく現実の世界での応用が見えてくるということだ。

(Lee, 2018, p. 13)

・学校教育は「実社会」の一部であること
・こどもも若者も教職員も学校生活とは異なるプライベートな「日常生活」があること
を考えると、生成型AIの登場というのは「AIの社会実装」を、より表出化・可視化させる一つの事例に過ぎないのかもしれません。

3. 2021年段階でのAIの社会実装例

AIの実装が進展している領域の一つに医療分野があります。
「え?生命のやり取りを直接的に行う医療でAI?」
と感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、実は進展しているようです。
日本の医療ドラマでも、2010年代には
AI 利用による半自動手術 vs 『私、失敗しないので』な凄腕女医
みたいなテーマが出てきますが、
「AIは未完成の機械で、凄腕の人間優秀」
というパターンで描かれる例が少なくはありませんでした。

外科手術というのは、手を動かす身体性を伴うものであり、半自動手術というものは、
「AI+ロボット+人間の判断・」
で、AIだけで可能なものではありません。
ドラマ内には、診断すらも「全自動」でするエピソードもありますが、これまたAIによる全自動というものは失敗に終わります。
(第5期:2017 )
あくまでドラマの中の話(フィクション)ですが、現実はどうなのでしょうか。

AIを使った画像処理技術と放射線科医を一緒にすると、
AI技術と放射線科医の組み合わせが、AIと放射線科医のどちらか単体よりも優れていることが分かってきた

(Michael Brady, Professor of Oncology, University of Oxford, quoted in MIT Technology Review and GE Healthcare, 2019)

AIや自動化されたプロセスの成長は、しばしば医療提供プロセスから人間味が失われるのではないかという懸念を生む。しかし、業界が発見しているのは、その逆が真実になりつつあるということだ:
AIは、働き過ぎの医療従事者のリソースと能力を拡張し、プロセスを大幅に改善することができる

(MIT Technology Review and GE Healthcare, 2019)

と、
『AI × 人間』
すなわち、人間のアシスタントとして、もう一つの相棒(自分とは違う視点)、という形で、AI を利活用すると「診断」という点において、優れた効果を発揮するようです。
このユネスコ資料原文でも "empower" が多用されており、AI が信頼性高く自動化される単純化作業などの過程のところはお任せ(それでも人がチェックしないとならないわけですが)して、人はより専門性が必要な高度な判断や総合的な思考を求められる作業に没入できる時間や機会を、作り出してくれるのかもしれません。

『AI × 人間』と私は書きましたが、掛け算はどちらかが、「0(ゼロ)」や「-(マイナス)」であると、重大事案が発生したときのインパクトが大きくなります。ですので、
人を "empower" する AI の使い方は、『人間 + AI 』
という方が、重大事案のインパクトが少ない、適切な利活用の概念かもしれません。

医療以外にも、一般的になりつつあるAIの応用例としては、

  • Auto-journalism

  • AI legal services

  • AI weather forecasting

  • AI fraud detection

  • AIを活用したビジネスプロセス

  • スマートシティ

  • AI ロボット

などがあります。
ただし、人間集団の中には、誤った使い方をしようとする集団が残念ながら存在するのも事実であり、特に下記の2つの動向には注意を払わねばなりません。

  • 自律型兵器

  • Deep-fakes

4. 社会でのAI利活用を学校教育での参考に


例えば、医療。
可視化できない内臓の様子を見るために、医療では様々な機器が発明され、レントゲン撮影をはじめ、超音波検査(エコー)や、CTやMRIなどが活用されています。

教育も同じくで、「考える」「記憶する」と言う脳内の構造なり動きや働きを、可視化することは不可能です。
それにも関わらず、学校教育においては、こども・若者の成長に期するための「評定・評価」をしなくてはなりません。医療でいえば「診断」となるでしょうか。

結果、学校教育には医療のような機器はありませんから、評定・評価、理解度などをチェックするために、

  • ペーパーテストやWebテスト

  • 口頭試問(授業中の挙手ー回答も)

  • 技能チェック(音楽演奏や体育実技など)

  • 提出物(ノートまとめ、作文、感想文、絵画、工作など)

など、学習者の脳内にある不可視なものを表出させざる指示を出さざるを得ません。
加えて、「成長」という差分や連続する時間軸での変化をもチェックすることになります。(eポートフォリオを使う一つの側面がこれですが)

これまで、近代学校制度が明治時代に始まり、戦後に受験競争が加熱し、という流れの中で、この流れが未来永劫続くかというと、生成型AIの出現は、
この「提出物」という「評定・評価」(診断)をするためのものの生成過程において、これまで「人」だけだったものが『人+AI 』になったことのインパクトは、すなわち「提出物」の「価値」が低下、または、「評定・評価」のために使用する選択肢を、「人」だけだった時代から消失したことを意味するものと考えます。

高等教育機関(大学・短大・専門学校、高専の一部)においては、それぞれの機関が、機関全体や機関の一部においては、と独自の見解やポリシーを発出しています。

  1. 限定して使用して良い(罰則の有・無)

  2. 全面的に禁止する  (罰則有り)

の2パターンに分かれかなと私は分類しています。
「レポートや、卒業論文など作成において、そのままAIが生成した文章はNG」
のパターンは多いなぁと。

初中等の学校教育関連に話を戻しますと、児童生徒への提出物への生成AIの利用については、(利用規約上は初等での児童の個人使用は不可)

  • 高等教育機関の一部のように制限する・抑制する(罰則付き)

  • 適切に使用することを承諾させた上で全面使用を許可する

という措置に加え、

  • これまでの評定・評価のあり方の再検討

  • 生成AI時代に即した評定・評価のあり方の検討

  • 提出物の教育効果に関するリゾンデートル(存在意義)の再検討

  • 生成AI時代に即した生成AIを利活用した提出物のあり方の検討

という検討・再検討の議論がなされねばならないと感じます。

加えて、措置にも検討・再検討にも、

  • AIをいかに利活用するかの倫理(道徳ではない)

を、これから向かう社会の方向と乖離しないように、考えねばならぬ時代に突入したように思います。

「学校現場じゃ「措置」だけすればいい」
とお考えの方もいるかもしれません。
ただし、措置したところで、児童生徒側に倫理がなければ、剽盗や盗用し放題で、教職員といえど、AIを使ったか使わなかったかの判断はつかなくなるでしょうし、仮に剽盗や盗用判別ソフトを入れても、精度の問題があったり、導入運用コストは発生します。

なにより、常に「児童生徒を疑う」性悪説となる世の中であれば、児童生徒はもとより、基本は性善説で児童生徒を指導する風土のある「学校」と「教職員」の皆さんが、精神的な齟齬をきたして、ギスギスするようになるのは、なんとなく想像できる気がいたします。

さて、いかがしましょうか。
(次回へ続く)




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