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どこよりも詳しいJoey Dosikまとめ /// 来日直前!Vulfpeckでも活躍する稀代のシンガーソングライターを徹底解説[2] 経歴・前編

KINZTOのDr.ファンクシッテルーだ。今回は「どこよりも詳しいVulfpeckまとめ」マガジンの、49回目の連載となる。では、講義をはじめよう。

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今回はVulfpeck(ヴォルフペック)のメンバー、

Joey Dosik(ジョーイ・ドーシック)について、どこよりも詳しく紹介する記事の2回目だ。


👆前回の記事では、Joey Dosikの人物紹介や、代表曲の解説などを行った。今回は、その経歴について深堀りしていこうと思う。

Joey Dosik(ジョーイ・ドーシック)
画像出典:Joey Dosik YouTubeチャンネル


さまざまなインタビューや資料から情報を集めてきたが、そこには日本語に翻訳されるのが初となる情報もかなり含まれている。

ぜひ最後まで楽しんでいただきたい。それでは、始めよう。




幼少期~中学時代

Joey Dosikの生年は1985年もしくは1986年。(参考:Los Angeles Soul Artist Joey Dosik Shares His 'Inside Voice,' and Jazz Tales, on The Checkout

カリフォルニア州ロサンゼルス市のサンフェルナンド・バレー地域にある、ノースリッジで育ち、高校まではロサンゼルスで生活していた。まずはその時代を紹介していきたい。

I grew up in Northridge, California, which is in the San Fernando Valley, Los Angeles. Yep. So I claim Los Angeles. Typically I'll just say I'm from Los Angeles, California, but we're going in depth right now. My mom is a college professor and taught at CSUN, which is Cal State University Northridge. And we lived right near there.

Joey:僕はカリフォルニア州ロサンゼルス市のサンフェルナンド・バレー地域にある、ノースリッジで育ちました。いつもはカリフォルニア州ロサンゼルス出身って言うんだけど、今日はもう少し詳しく話してみたよ。母は大学教授で、CSUN(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校)で教えていたんです。そのすぐ近くに住んでいました。

Joey Dosik Interview | Vulfpeck - The Third Story
ノースリッジ
画像出典:Google Map
左上の赤い四角がJoeyの育ったノースリッジ。LAの郊外であることが分かる
画像出典:Google Map


幼い頃からバスケットボールを愛していたJoeyは、同時に音楽にも目覚めていく。5歳でピアノを始め、そのうち作曲もスタート。

さらには、10歳でサックスも吹き始めた。

Growing up in Los Angeles, Dosik calls basketball his “first love,” before music. “My folks tell me that I started dribbling a basketball when I was one and a half years-old,” he tells Billboard.

ロサンゼルスで育ったDosikは、音楽の前にバスケットボールを「初恋」と呼んでいる。「1歳半の時にバスケットボールのドリブルを始めたと親が話してくれた」と彼はビルボードに語った。

Joey Dosik Talks NBA-Inspired ‘Running Away’ & Getting A Pep Talk From Quincy Jones: Video Premiere

Well, I’m Los Angeles, born and raised, and I started making music when I was about five years old. I started playing piano and grew up around my parents’ records and loved classical music originally and got sidetracked by the saxophone for a second. It was cool having jazz and realizing the thing I loved doing the most was writing songs and singing, which I’d always done since I was a kid and I went fully into that, and that’s what I’ve been doing.

Joey : 生まれも育ちもロサンゼルスで、音楽を始めたのは5歳くらいのときです。最初にピアノを弾き始めて、両親のレコードに囲まれて育ち、元々クラシック音楽が好きだったんですが、その後(筆者注:ジャズと)サックスに興味を持ちました。ジャズをやっていて、自分が一番好きなことは、子供の頃からずっとやっていた曲を作ったり歌ったりすることだと気づきました。

Joey Dosik on ‘Game Winner’ EP and the Sports of Love and Basketball

Music came when I was five years old. My sister was taking piano lessons. And I was like, What is this? I want to take piano lessons. Why did she get to do it? So I studied with Mrs. Cohen, who was like an 85 year old Jewish grandmother, who would come over to the house and little five year old me would sit down and she would unpack Smarties those like chalky candies, and put them on the side of the piano. And I'd have to play something like a five finger exercise. And then I'd get one smarties. You know, is like very, very old school.

Joey : 音楽がやってきたのは、僕が5歳のときでした。姉がピアノを習っていたんです。それで僕は、「これは何だろう? 僕もピアノを習いたい!」って感じでした。

そして僕もピアノを習うことになったんです。コーエン先生は85歳のユダヤ人のおばあちゃんで、家に来ると5歳の僕を座らせて、スマーティーズのようなお菓子をピアノの横に置いてくれました。そして僕は練習曲を弾かないといけませんでした。弾けるとスマーティーズがもらえるんです。すごく古いやり方ですね。

the third story : Joey Dosik

Joey : I picked up the guitar in high school. I sit down with elton john song book and learn but I didn't really take it seriously. It was kind of my passion project as well, because I was kind of deep into this instrumental piano and then saxophone.
Leo :  So in high school, you're playing saxophone, too.
Joey : I started playing when I was 10. And I was like, forget this piano. I don't care. My parents said, you need to study classical piano until you're done with high school. This is mandatory saxophone. You can do it. You can't do it without you don't have to do it whenever I was pissed off about that. And look at me now mom and dad. Thanks, Mom and Dad.

Joey : 高校ではギターも始めました。エルトン・ジョンの曲集を見ながら勉強したんですが、あまり真剣にはやりませんでした。インストゥルメンタル・ピアノやサックスにのめり込んでいた時期だったので。

Leo : 高校でもサックスを吹いていたんですね。

Joey : サックスは10歳の時に始めました。その時はピアノなんて忘れようって思っていました。ピアノなんてどうでもいいって。でも、高校を卒業するまではクラシックピアノを勉強しなさいって両親に言われたんです。お前ならできるって言われていましたが、いつもそれにムカついていました。さぁ、今の私を見て(笑)。パパとママ、ありがとう。

同上


ちなみに9年生(中学3年生)の時には、学校主催の募金を募るイベントで、学生の保護者であったというエディ・ヴァン・ヘイレンと共演している。こちらにはサックスで参加したとのこと。


高校時代

高校に進学したJoeyは、ピアノではなくサックスでの音楽活動がメインになっていた。演奏ジャンルはジャズ。

この頃はロサンゼルスの複数のコミュニティでセッションに参加したり、また自らのジャズバンドでもライブを行っている。サックスは地元で知り合った先生に習っていたようだ。

ちなみに、この高校時代にセッションなどでカマシ・ワシントンサンダーキャットブランドン・コールマンと出会っている。彼らはロサンゼルスの「レイマートパーク(Leimert Park)」という地域で凄腕ミュージシャンのコミュニティを形成しており、Joeyもそこに飛び込んでいっていた。

First band you were in?
My friends and I had a jazz combo in high school. We used to play gigs at this bar in Van Nuys called McRed’s. It kinda felt like a biker bar but people would bring their dogs inside. We would set up and play jazz standards in there. It was pretty weird and great. Those were the first gigs I ever played.

初めて参加したバンドは?
僕と友達は高校でジャズコンボ(筆者注:少人数編成のジャズバンド)を組んでいました。僕たちはヴァン・ナイズ(筆者注:Joeyの地元)の「McRed's」というバーでよくライブをしていました。バイク乗りがよく来るバーのような雰囲気で、お客さんは犬を連れて店内に入ってくるんです。そこでジャズのスタンダードを演奏していました。ちょっとおかしな感じでしたが、とても素敵な時間でした。それが私が初めて演奏したライブだったんです。

My Firsts: Joey Dosik

I studied in LA with a teacher that I've found through like a local music store. He was just a great gigging saxophone player. And he was a great teacher, he really taught me a lot about tone.

Joey : 僕はLAで、地元の楽器店を通して見つけた先生に習いました。彼はすごいライブをやっているサックス奏者だったんです。素晴らしい先生で、音色について本当にたくさんのことを教えてくれました。

the third story : Joey Dosik

I would go to these jazz jam sessions and Kamasi Washington, Thundercat, Brandon Coleman. He's amazing musicians, they would be playing gigs there or playing at the jazz jams or just hanging out in the neighborhood. They always sounded like that. They always sounded like the genius musicians that they are. And now they're literally on the world stage in Kamasi Washington was the guy who played saxophone on everybody's gig, he showed up to everyone's gig, you know, and I'm sure he played a lot of free gigs. You know, and I'm sure he played a lot of free gigs. And now he is getting this amazing spotlight and this kind of platform to showcase this thing that he's always been doing and evolving. And it's, it's sort of exposing his genius and the genius of Leimert Park to the rest of the world. And I think it's a beautiful thing.


Joey : (筆者注:高校時代に、レイマート・パークの)ジャズセッションに行くと、カマシ・ワシントンサンダーキャットブランドン・コールマンがいました。素晴らしいミュージシャンで、彼らはそこでライブをやったり、セッションで演奏したり、近所をぶらついたりしていました。彼らはいつもそんな感じで、そして天才的なミュージシャンだったんです。そして今、彼らは文字通り世界の舞台で活躍しています。カマシ・ワシントンは、みんなのライブやセッションでサックスを吹いて、みんなのライブに顔を出していました。そして今、彼はスポットライトを浴び、プラットフォームを手に入れ、進化し続けています。そしてそれは、彼とレイマート・パークの素晴らしさを世界中に広めることになるでしょう。とても素敵なことです。

同上



またJoeyはこの高校時代に特筆すべきこととして、フリージャズのレジェンド・ベーシスト、ヘンリー・グライムスが音楽シーンに復帰するためのバンドに参加している。

You grew up in Los Angeles, and one of your first notable musical accomplishments was playing a role in Henry Grimes’ return to jazz in 2003, when you were still in high school.

Oh my god, how did you find out about that?

Google. I saw Nick Rosen’s name mentioned, and so I googled his name and your name together, and that story came up.

This is a story that…. hasn’t gone untold, especially in Los Angeles. Henry Grimes was one of the most in-demand jazz bass players in New York in the late ’50s and ’60s. He played with everyone from Sonny Rollins to Thelonious Monk to Albert Ayler to Benny Goodman, and studied with Robert Zimmerman, who’s one of the most famous classical bass players of all time. And then he just disappeared—and he disappeared for almost 35 years. He didn’t play any bass. And then he was rediscovered. Once we found out he was rediscovered, a teacher named Steve Isoardi reached out to Nick Rosen—he knew that Nick was really into Albert Ayler.
Nick Rosen deserves a lot of credit for reaching out to Henry—he used to call him every day for two weeks, until he finally got ahold of him. We started hanging out with him and jamming with him. That was in my jazz saxophone days. We were playing music with him, and he hadn’t played music in 35 years, and all these people in the community came together out of interest, just like, ‘Wow! Henry Grimes is back!’
We started jamming with him, then we started playing shows with him. We did that for a year, and he sort of got back on his feet—musically, he got back on the horse. He’s an amazing, beautiful person. He went back to New York. I’m glad that the L.A. part of the story is getting recognized. It was amazing, I was in high school, and being in high school and getting to experience all of that was really important.

Allegra : あなたはロサンゼルスで育ち、最初の注目すべき音楽的功績のひとつに、2003年、あなたがまだ高校生のときにヘンリー・グライムスのジャズ復帰に一役買ったことがありますね。

Joey : えっ!どこでそれを知りました?

Allegra : Googleです。ニック・ローゼンの名前が挙がっていたので、彼の名前とあなたの名前を一緒にググったら、その話が出てきたんです。

Joey : これは......特にロサンゼルスではあまり語られていない話です。ヘンリー・グライムスは、50年代後半から60年代にかけてニューヨークで最も需要のあったジャズ・ベーシストの一人でした。彼はソニー・ロリンズからセロニアス・モンク、アルバート・アイラー、ベニー・グッドマンとも共演し、最も有名なクラシック・ベーシストの一人であるロバート・ジマーマンに師事していたんです。その後、彼は姿を消し……35年近く姿を消していました。彼はベースを弾いていなかったんです。そして再発見された。彼が再発見されたことがわかると、まずスティーブ・イソアルディという先生がニック・ローゼンに連絡を取りました。彼はニックがアルバート・アイラーに本当に夢中だと(筆者注:そのアルバートと共演していたヘンリー・グライムスのことも大好きだと)知っていたんです。

ヘンリーに手を差し伸べたニック・ローゼンは大いに称賛に値するでしょう――ようやく連絡が取れるまで、ニックは2週間毎日彼に電話をかけ続けていたんですから。僕たちは彼と一緒に遊んだり、ジャムをしたりし始めました。僕のジャズサックス時代のことですね。僕たちは彼と一緒にバンドを組んで演奏していましたが、彼は35年間音楽を演奏していなかったので、コミュニティの人々は皆、興味から集まってきて、まさに「すごい!」と盛り上がっていました。「ヘンリー・グライムスが帰ってきた!」

僕たちは彼とジャムを始め、それから一緒にライブをやるようになりました。そうやって1年間一緒にやってから、彼は本格的に音楽界に復帰しました。彼は素晴らしく、美しい人です。彼はその後ニューヨークに戻りました。ロサンゼルスの時代が評価されているのは嬉しいですね。僕は高校生でしたし、高校生でそのすべてを経験できたことは本当に重要なことだったと思います。

Fan Interview: Joey Dosik By Allegra Rosenberg

ヘンリー・グライムスはアルバート・アイラーとの共演も有名だが、本当に多彩なジャズマンのアルバムに参加し、1960年代のフリージャズ全盛期を多いに盛り上げたレジェンド。そんな人物と高校生にして、1年間も同じバンドにいたというのは、どれだけ大きな出来事だったのか計り知れない。

こういった経験によって、彼はいよいよジャズのサックス奏者として、音大へと進学していくのである。



ミシガン大学時代

高校を卒業したJoeyは、ロサンゼルスを離れ、遠くミシガン州のミシガン大学アナーバー校へと通い始めた。入学は2004年、ジャズサックスで奨学金を得てのことだった。

Jazz artist Joey Dosik came to the University of Michigan on a saxophone scholarship in 2004.

ジャズ アーティストのJoey Dosikは、2004年にサックスの奨学金でミシガン大学にやって来ました。

On The Daily: U of M Alum to appear on ‘Jimmy Kimmel: Live!
ミシガン大学アナーバー校
画像出典:US College Navi


And, I mean, when I went to music school, I was really focused on the saxophone. I was really focused on like, this sort of aesthetic of like, mid to late 60s, John Coltrane, Eric Dolphy, Ornette Coleman, Albert Isler.

Joey : 大学に通っていた頃は、サックスの演奏にすごく集中していました。1960年代半ばから後半にかけての、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマン、アルバート・アイラーといった美学にすごく集中していたんです。

NEBULA MUSIC PODCAST / Joey Dosik Interview

この発言から、Joeyが大学生活でのめり込んでいたジャズに、フリージャズがあったことが伺える。これはやはり、高校時代のヘンリー・グライムスとの共演が影響を及ぼしているのだろう。

現在のJoeyのサックスプレイからは、過去にフリージャズに影響されていたということはあまり伺うことができない。そういう点で、この話はとても面白いと言えるのではないだろうか。


ちなみにこの時期のインタビューが残されているが、それによれば大学2年までに、レオン・ンドゥグ・チャンクラー(マイケル・ジャクソンのBilly Jean、P.Y.T.、Baby Be Mineを叩いたジャズドラマー)など、複数のレジェンド級のジャズミュージシャンと共演したことが明かされている。

Dosik, who hails from Los Angeles, got his start playing piano before switching to saxophone in the third grade. After finding a good teacher and absorbing large quantities of Coltrane, it wasn’t long before Dosik was blowing along with some of the world’s top musicians – Arthur Blythe, Nels Cline, Henry Grimes, Ndugu Chancler and Azar Lawrence, to name a few.

“Initially, it just felt good to blow air and speak with it,” Dosik said. “But eventually, it began to feel more like an extension of my body.”

After arriving at the University last year, Joey sought out fellow musicians to form a quartet, which came to include Music junior Matt Endahl on the piano and Music senior Chad Hochberg on drums. After a year of playing together, local bass extraordinaire and Music senior Andrew Kratzat stepped into the picture, providing the firm foundation they needed. “Andy’s probably too humble to admit it, but he really gives us our sense of definition as a group,” Dosik said.

That kind of unity and sincere respect for one another is a trait that distinguishes the quartet from other groups. “When I’m playing with these guys, it’s like being able to jump off a cliff and have no fear. They’re my safety net.”

Besides providing a flexible framework, the other members are accomplished musicians in their own right. From fronting avant-garde acts to displays of individual virtuosity, this rhythm section is composed of some of the best talent Ann Arbor has to offer.

“We want to be able to play anything,” said Dosik, in reference to the group’s diverse repertoire. Whether soulful selections like Marvin Gaye’s “What’s Going On?” or the more atmospheric world of Radiohead

ロサンゼルス出身のJoey Dosikは、ピアノを始めた後、小学3年生でサックスに転向した。良い先生に出会い、コルトレーンを大量に吸収した彼が、アーサー・ブライスネルス・クラインヘンリー・グライムスレオン・ンドゥグ・チャンクラーエイゾー・ローレンスといった世界のトップ・ミュージシャンたちと一緒に吹くようになるまで、そう時間はかからなかった。

「最初は、ただ楽器を演奏することが気持ちよかった。でもそのうち、自分の体の延長のように感じるようになったんです」

昨年大学に入った後、Joeyは仲間のミュージシャンを探してカルテットを結成し、3年生のMatt Endahlがピアノを、4年生のChad Hochbergがドラムを担当することになった。1年間一緒に演奏した後、地元の天才ベース奏者で4年生のAndrew Kratzatが加わり、彼らが必要としていた強固な基盤を提供した。「アンディは謙遜しすぎて認めないかもしれないけど、彼がグループとしての統一感を与えてくれるんだ」とJoeyは言う。

このような団結力と互いへの心からの尊敬が、カルテットを他のグループととは異なる特別なものにしている。「このメンバーで演奏しているときは、崖から飛び降りても怖くないように思える。彼らは僕のセーフティネットなんです」

柔軟な枠組みを提供するだけでなく、他のメンバーもそれぞれ熟練したミュージシャンだ。アヴァンギャルドなアクトの前座を務めたり、個々の名人芸を披露したりと、このリズム・セクションはアナーバーが誇る最高の才能で構成されている。

「何でも演奏できるようになりたいんだ」とJoeyはグループの多様なレパートリーについて語った。「マーヴィン・ゲイの "What's Going On?" のようなソウルフルな曲から、レディオヘッドのような曲まで」

Local quartet stays and plays together

レオン・ンドゥグ・チャンクラーと共演したのは、こちらのレイマート・パークのミュージシャンが集ったアルバム。同作にてJoeyはカマシ・ワシントン、ブランドン・コールマンとも共演。



この大学時代は学内でも優れたプレイヤーとして名が通っており、後輩からも一目置かれる存在であったということを、後にVulfpeckで共演するWoody Gossが語っている。

Leo : Apparently Theo Katzman went into the jazz school as a drummer apparently. Joey Dosik also went to revolutionize the saxophone, you're all there you buy the same age same class?
Woody : Now the was a senior when I was a freshman. Joey was either a senior grad within the same year I think this year. So they were like super quality member at you know college still has that difference between seniors and fresh total it's less than high school but like they were in another world.

Leo:Theo Katzmanはドラマーとしてジャズ科に入って、Joey Dosikもサックスで革命を起こしたと聞いています。みんな同じ年齢で同じクラスだったのですか?

Woody:いや、僕が1年生の時にTheoは4年生で、JoeyはTheoと同い年だと思ったな…彼らは大学では超優秀なメンバーだったんです。彼らは別世界にいた感じでした。

the third story : woody dogoss


ちなみに、今名前が挙がったTheo KatzmanとJoeyは、なんと大学生活中に一緒に暮らしていた時期があったという。

Theo Katzman(ティオ・カッツマン)/// Vulfpeckのメンバー
画像出典:Theo Katzman YouTubeチャンネル

Leo : So you in college you had connected with Theo?
Joey: Theo and I lived together for three years in college like we we were.

Leo: 大学時代にTheoとつながっていたんですか?

Joey:Theoとは大学時代、3年間一緒に住んでいたんです。

the third story : Joey Dosik

First roommate?
I lived with the same five guys from my sophomore to my senior year in college. We all became very close. That time still feels like the most important years of my life. We still keep in touch today and some of us still collaborate and make music together.

最初のルームメイトは?
大学2年生から3年生まで同じ5人で暮らしていました。僕たちは皆とても仲良くなりました。あの頃は今でも僕の人生で最も重要な時期のように感じます。僕たちは今でも連絡を取り合っており、今でも協力して一緒に音楽を作っている人もいます。

My Firsts: Joey Dosik


Theoとはこの大学時代、一緒に住んだだけでなく、同じバンドもやっていた。それがMy Dear Discoである。

サングラスがJoey、左側がTheo。このライブはテレビ放送された
画像出典:My Dear Disco - White Lies - Live on Fearless Music HD


My Dear Discoは、同じミシガン大学のTyler Duncan(後にVulfpeckのレコーディングなどに大きく貢献する人物)が始めたバンド。最初はToolboxという名前で2005年に発足、2007年にヴォーカルを加えてMy Dear Discoとなった。Joeyはこの段階で参加している。

Joeyはこのバンドでは主にキーボードを担当。内容もジャズではなくエレクトロ・ポップで、こうした音源からJoeyが当時はジャズ以外にも幅広い音楽に携わっていたことが分かる。

My Dear Discoは2008年に有名になり、全米のフェスやテレビ番組にも出演。2009年にはTlyerによれば「170回くらいライブをした」くらい精力的に活動、ミシガン大学のアナーバーでも著名なバンドになっていた。

Woody GossがMy Dear Discoの追っかけになっていたり、My Dear Discoのライブを観たことでJoe Dartがバークリー進学を辞めてミシガン大学に進学することになるなど、熱狂的な支持を集めていたのである。

大学時代のJoeyの大きな活動としては、やはりこのMy Dear Discoが挙げられるだろう。

Joeyは2008年に大学を卒業2009年9月までMy Dear Discoに在籍した。ちなみにJoeyが辞めた後はTheoも辞め、その後はベーシストとしてJoe Dartが参加している。Joeが参加した段階でバンド名は「Ella Riot」に変わったが、バンドは2011年に活動休止となった。

(ちなみに、このMy Dear Discoのドラマーが、Ice BoyとしてVulfpeckのライブに参加したMike Sheaである)

Mike Shea(マイク・シア)
画像出典:Vulfpeck at Levitate Music & Arts Festival 2022 - NOCAP Shows Livestream Replay (Full Set)


Joeyは大学時代、他にもいくつかのレコーディングに参加しているが、どれもジャズアルバムではなかった。このあたりも聴いてみると面白いだろう。


JoeyはMy Dear Discoの活動中は大学を卒業してもミシガンに残っており、2009年9月の脱退後、ロサンゼルスに戻ることにした。

大学はジャズサックス奏者として進学したが、こうした大学生活でジャズ以外のバンドに誘われ、精力的に活動したことが、Joeyの未来を大きく変えていったのではないかと思われる。

なぜなら、2012年にVulfpeckに参加したのも、同じようにジャズ以外のバンドに誘われてのことだったからだ……。


それでは、今回の記事はここまでとなる。

次回はこの経歴の続きを、2023年現在まで解説していこう。👇



―――――著者情報――――――

Dr.ファンクシッテルー

イラスト:小山ゆうじろう先生

宇宙からやってきたファンク博士。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動しています。
「KINZTO」の活動と並行して、音楽ライターとしても活動しています。

■バンド公認のVulfpeckファンブック■


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