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『Joe Dart解体新書 』どこよりも詳しいJoe Dartまとめ(1)――なぜ彼はバークリー大学へ進学することをやめ、地元ミシガン大学を選んだのか?Vulfpeckトッププレイヤーの謎に迫る

KINZTOのDr.ファンクシッテルーだ。今回は「どこよりも詳しいVulfpeckまとめ」マガジンの、16回目の連載になる。では、講義をはじめよう。

(👆Vulfpeckの解説本をバンド公認、完全無料で出版しました)



今回は『Joe Dart解体新書 』として、Vulfpeck(ヴォルフペック)のベーシスト、Joe Dart(ジョー・ダート)についての情報を複数のインタビューなどからまとめている。情報量が多いので、全2回、前後編での記事となった。

※ヴルフペックではなくヴォルフペック読みなのは何故か?は、こちらの記事にてまとめている。👇

Joe Dart(ジョー・ダート)とは

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Joe Dart / 画像出典:http://www.markbass.it/artist-detail/joe-dart/

Joe Dartは、現代最高のグルーヴ・ベーシストの一人である。

2010年代中~後期、謎のファンクバンド「Vulfpeck」が有名になり始めると、皆はすぐにそのベーシストに夢中になった。古典的なソウル・ファンクのグルーヴィーなベースを基本としながら、ジャズ、ロックなどの多大な影響も見て取れ、なにより彼が演奏する音は、常に歌心に溢れていた。

Joeの素晴らしいグルーヴ・プレイを非常によく表している動画が、Vulfpeckの別プロジェクト「THE FEARLESS FLYERS」の「Ace of Aces」だ。常に耳に残るフレーズを弾きながらも、圧倒的にグルーヴィー。後半のスラップも、ファンクとロックの要素が両方あり、非常に魅力的だ。

長身でサングラスをかけ、首を大きく前後に動かしながら情熱的に弾き続ける姿も人々を魅了している。

(2017年時点では、サングラスはKnockaroud社のFort Knoxモデルを使用。レイバンを二回ほど無くしてから、安いモデルに切り替えたらしい。出典:「interview w/ Joe Dart」)

Vulfpeckで彼がメロディー(テーマ)を弾く「Dean Town」は、ファンがそのベースで弾かれるメロディーを大合唱するという名曲に成長した。これは、彼のプレイが皆に愛されているということを示す好例だ。

Vulfpeckのリーダー、Jack Stratton(ジャック・ストラットン)も、Joeを非常に高く評価している。

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右からJoe Dart、そしてJack Stratton / 画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=rv4wf7bzfFE&t=696s

Your bassist Joe is getting a lot of attention

“Yes, and rightfully so. Ultimately the entire band revolves around Joe. He’s such a force. And all those studio legends that play with him lose their minds, they love him. Bootsy Colins was very positive about him. Bernard Purdie loves him, we’re all big fans of Joe. He also gets the most female attention, by the way.”

記者:(Vulfpeckの)ジョーがバンドで注目を集めていますね。

ジャック:そうなんだ。バンドは最終的に、彼を中心にして回っている。Vulfpeckで一緒にプレイしたレジェンドたちは皆、彼のことが大好きなんだ。ブーツィ・コリンズは彼のことを非常に肯定的に評価していたし、バーナード・パーディも彼を愛していた。私たちはみんなジョーの大ファンなんだ。しかも、彼は最も女性の注目を集めているよ。(出典:「Interview with Vulfpeck’s Jack Stratton (transl. from Jazzism)」)

そして、JackはVulfpeckを運営していくにあたり、実は戦略的にJoeをバンドの看板プレイヤーに設定していた。

Vulfpeck has gotten a lot of attention from bassists, they seem to treat Joe Dart as a real discovery.

Joe Dart is pretty obviously the reason why we’re notable in any circle. It’s cool because when you look at the great rhythm sections during the golden age they all had one cornerstone musician who you’d buy the ticket to see. In Detroit, it was James Jamerson on bass; the Meters, you want to see Zigaboo; Booker T and the MG’s, Al Jackson Jr. the drummer I would say. And it’s not to say that you could mix and match all these people and it’ll all still work, but they kind of have one attraction and we kind of defaulted that to Dart. It was like a no-brainer because he’s a rare bassist that can groove and solo and it’s not even the point that he’s soloing it’s just that it’s funky. It’s like Rocco from Tower of Power, it’s just funky, it feels good.

記者:Vulfpeckはベーシストからも注目されています。彼らはジョー・ダートを素晴らしいプレイヤーの登場だと思っているようですね。

ジャック:ジョー・ダートがいるからこそ、どのサークルでも注目されるんだよ。黄金期の偉大なリズム・セクションを見てみると、どのセクションにも一人の礎となるミュージシャンがいて、それを見るためにチケットを買ってしまうんだから、クールだよね。デトロイト(筆者注:モータウン)ではベースのジェームス・ジェマーソン。The Metersではジガブー・モデリスト、ブッカーT&MG'sではアル・ジャクソンJr.がそうだった。そして、僕らのバンドではそのミュージシャンをジョーに決めたんだ。彼はグルーヴとソロができる稀有なベーシストで、ベースソロに高い比重が置かれることもなく、すべてにおいてただファンキーなんだ。タワー・オブ・パワーのロッコみたいな感じで、最高にファンキーなんだ。(出典:「Vulfpeck Keep It Beastly」)

Vulfpeckに触れると必ず、素晴らしいJoeのプレイに耳が奪われてしまうが、実はこれは計算だった。JackはちゃんとJoeにスポットがあたるようにしていたのである!

そんなJoeのプレイスタイルは、先ほどのJackのインタビューでも少し触れられているとおり、ベースソロに比重が置かれないスタイルだ。基本的にバンドを支えるグルーヴの基礎をがっちりと固めることをプレイの信条としている。

Vulfpeckはもともと、「そこにヴォーカルがいる、というふりをして演奏する、ヴォーカル無しのファンクバンド」として結成された。つまりインストバンドだが実は歌ものバンドに求められる、グルーヴに徹したプレイが必要だったのである。(これについての詳細は、私の過去記事にて解説👇)

本人もこのスタイルについてインタビューで答えており、また、彼のインタビューでは「タイム感の重要性」が語られている。

僕が成長していくうちに、”ベースは音楽の土台であり、支える位置にいることも重要”ということに気づいた。モータウンでのジェームス・ジェマーソンだったり、ディアンジェロなどでのピノ・パラディーノのプレイだね。つまり、楽曲を堅実に演奏するなかで確実になにかを訴えてくるタイプのベーシストに注目するようになったってこと。それは、グッドなフィーリングを楽曲にもたらすってことで、自分自身に注目を集めるんじゃなく、バンド全体のサウンドを動かしてグッドなグルーヴを生み出すことだったんだ。(出典:ベースマガジン2019年10月号)

My favorite bass tone is Bernard Edwards’ on the Chic records; something about that midrange tone is so satisfying to the ear and so funky. My favorite pure-tone player is Pino. When I’m recording, I’m always thinking, “What would Pino do here?”

僕の好きなベース・トーンは、Chicのバーナード・エドワーズのものだ。その中音域のトーンは、耳を満足させるような、ファンキーな感じがするからね。そして、お気に入りのピュア・トーンのプレイヤーはピノ・パラディーノ(筆者注:どちらも世界的なグルーヴ・ベーシスト)。レコーディングをしている時、いつも「ピノならここで何をするだろう?」と考えているよ。(出典:Bassplayer誌「Vulfpeck's Joe Dart: "We intentionally keep things on edge and in the moment"」)

What are you focusing on in your playing lately?

I’ve worked up some speed, dexterity, and stamina, and when I’m playing I’m mostly thinking about time and groove at this point. When people ask what’s an important rudiment of practice, I always say it’s time. I try to think like a drummer when I’m playing. As a bass player I feel a certain responsibility, because while other instruments are able to stop and start, the bass has to keep going. When the bass stops, you notice. So I go out there with a big sense of duty to hold it down. My job is to groove and lay down the foundation for the rest of the band, and I love that.

記者:最近の演奏で重視していることは何ですか?

ジョー:スピード、器用さ、スタミナが鍛えられてきたので、演奏している時はほとんど、タイム感とグルーヴのことを考えています。練習で大事なことは何かと聞かれたら、いつも「タイム感」だと答えています。演奏するときは、自らをドラマーのように考えています。他の楽器が止まったりまたスタートするのに対して、ベースは演奏を続けていかなければならないからです。ベースが止まったら、グルーヴも止まってしまう。だから、僕はそれを回避するという大きな義務感を持って外に出ています。僕の仕事は、グルーヴ感を出してバンドの基礎を築くことであり…それが大好きなのです。(出典:Bassplayer誌「Vulfpeck's Joe Dart: "We intentionally keep things on edge and in the moment"」)

このように、ソロやリードという分かりやすいプレイスタイルではなく、グルーヴやアンサンブルでスタイルでバンドに貢献したい、という考え方は、同じくVulfpeckでプレイするギターのCory Wongにも通じるものがある(Coryのギタースタイルについての詳細はこちら👇)。

JackがJoeをバンドの看板プレイヤーに据えたことで、本人の力量も相まって彼は瞬く間に注目を集めていく。デビューから2年後、22歳にして、JoeはNo-Treble誌の「2013 Reader Favorite Bassists」で5位に選ばれた。(出典:「2013 Reader Favorites」

1位から、モータウンのジェームス・ジェマーソン、ディアンジェロのピノ・パラディーノ、マーカス・ミラー、ジャコ・パストリアス…。そして5位にJoe Dartだ。
その後もリスナー、業界の双方から注目され、Vulfpeckに大物ゲストを呼ぶ際にも重要な役割を果たしているのは、先ほども述べたとおりである。

それでは、Joeのプレイスタイルについてはここまでにして、いよいよ彼の経歴、バックグラウンド・ストーリーに入っていこう。


Joe Dartの経歴(Vulfpeck結成まで)

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👆19歳にしてJackに才能を見出されたJoe
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=lh_dm8m92Kk

Joeは1991年、ミシガン州北部で生まれた。祖父はプロのヴァイオリン奏者のイスラエル・ベイカー、両親もアマチュアではあるがミュージシャンという音楽一家に生まれ育った。両親は5人の子どもたちと一緒にバンドを組むことを望み、彼は8歳になるとベースを演奏するようになった。(本章経歴出典:「interview w/ Joe Dart」、ベースマガジン2019年10月号、「Joe Dart: “The one thing you absolutely can’t skip on is developing great time”」

両親が地下室にドラム、ギター、キーボードも揃えてくれて、兄弟でどれかの楽器を選んで、家族でバンドを組んでみるということになった。僕はベースを選び、学校から帰ってきたらずっとベースをプレイする日々だったよ。中学生くらいになったら学校のジャズ・バンドに参加するようになって、そこではジャズだけじゃなくてファンクやフュージョンもプレイすることがあったね。13歳から高校生の終わりくらいまではずっと続けていたよ。毎日、放課後になるとジャムっていたもんだ。(出典:ベースマガジン2019年10月号)

両親からの影響で音楽的に早熟だった彼は、幼い頃からスティービー・ワンダー、プリンス、アース・ウィンド&ファイヤーなどのファンクに大きな影響を受ける。

アメリカ中西部、ミシガンという都市の北部で生まれ、周囲には隣接した街がまったくない環境だった。だけど、インターネットやCD、そして何人かの良い先生たちのおかげでファンクを学ぶことができたんだ。ファンクは幼い僕の心を鷲掴みにしたよ。5、6歳の頃に僕の両親はスティービー・ワンダーやプリンス、アース・ウィンド&ファイヤーとか、そういう70年代の音楽を聴かせてくれて、家ではいつも踊っていたもんだよ。そうやってグルーヴ・ミュージックに対する耳をどんどん育てていけたんだろうね。それで、いつしか”グルーヴ”が僕にとって重要な要素になっていったのさ。(出典:ベースマガジン2019年10月号)

また、実際に技術面でJoeをファンク・ベーシストへと導いたのは、ミシガン州に住んでいたベーシストの先生たちだったという。

ジョー:僕はミシガン州の北部で育った。そこは音楽的に恵まれた土地とは思えないかもしれないけれどーーそこにはデトロイト、シカゴ、ニューヨークなどから素晴らしいベーシストが集まっていたんだ。彼らは元々ミシガンの住人で、演奏するために沿岸部に引っ越してきて、セミリタイアすることにしたんだよ。

記者:彼らについて、私たちが知っている名前はありますか?

ジョー:たぶん知らないだろう。彼らは80~90年代にニューヨークやLAでベーシストとして働いていたんだけど、子供ができて家族ができた時に『中西部に戻ろう』と思ったんだ。地元の楽器店で教えたり、週末には地元のパブでギグをしたりしていた。僕は週末に彼らの演奏を見て、週の間にレッスンを受けていた。彼らは偉大な先生であり、偉大な演奏家であり、僕をファンク・ベースの道へと導いてくれたんだ。(出典:「Joe Dart: “The one thing you absolutely can’t skip on is developing great time”」

こうして、両親からの音楽的影響と、それを実践することができるベーシストの先生、という二つの要素が結び付き、Joeは10代のうちにみるみるその腕を上げていく。

当時強く影響されたベーシストとしては、彼はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グラハムP-FUNKのブーツィー・コリンズアース・ウィンド&ファイヤーのヴァーダン・ホワイトスティービー・ワンダーの弾くベースライン、そしてタワー・オブ・パワーのロッコ・プレスティアなどを挙げている。

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フリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)/ 画像出典:ACL Review: Red Hot Chili Peppers Flea and company kill it

My bass teachers realised that as a young bass player, nothing will get you excited like a band that features the bass prominently. For me, that was the Red Hot Chili Peppers, and then later Earth, Wind & Fire, Sly & The Family Stone. I fell in love with it.”

You use a super-tight, Rocco Prestia-type picking style.

“One of my heroes. When I think back to starting to play bass, I could have learned using one finger, two fingers, three fingers, or a pick, but it just so happened that my primary teacher was a two-finger bass player. The downside of that is I don’t have the full three-finger dexterity. I also didn’t learn the kind of Victor-style slap thing. I learned the Flea-style slap thing.

ジョー:ベースの先生たちは、若いベーシストとして、ベースが目立つバンドほど興奮させてくれるものはないと気付かせてくれたよ。僕にとっては、それがレッド・ホット・チリ・ペッパーズで、後にアース、ウィンド&ファイアー、スライ&ザ・ファミリー・ストーンとなった。僕はそれに惚れ込んだんだ。

記者:あなたはロッコ・プレスティアのような超タイトなピッキング・スタイルを使っていますね。

ジョー:僕のヒーローの一人だ。ベースを弾き始めた頃を思い返してみると、1本指、2本指、3本指、またはピックを使って学ぶこともできたんだけど、たまたま僕の主な先生が2本指のベーシストだったんだ。欠点は3本指の器用さがないことでね。また、ヴィクター・ウッテンのようなスラップも習っていなかった。僕はレッチリのフリーの演奏からスラップを学んだんだ。(出典:「Joe Dart: “The one thing you absolutely can’t skip on is developing great time”」

こうして、Joeは14歳になるころにはプロのベーシストとして生活することを夢見るようになり、スポーツを辞め、すべての時間を音楽に捧げるようになった。ハーバースプリングスにあった高校でもバンドを組み、学校のバンド、また学外のジャズバンドでも演奏。地元のバーやパーティーでプレイし、次のステップとして、彼は音楽大学へ進学することを決意した。

そして、バンド仲間が進学し、自身もサマー・キャンプに参加した、バークリー音楽大学へ入学することを決めた。バークリーと言えば、世界中のジャズ・プレイヤーにとって憧れの学び舎である。数多くのトップ・プレイヤーを輩出し、また最高峰のジャズマンによる授業も受けることができる、ジャズをプレイする人間にとってまさに世界一の音楽学校、と言っても過言ではない。

しかし、Joeはここでギリギリのタイミングで、彼の人生を大きく変えた「心変わり」をする。

Joeはある日、彼の兄が通っていた地元のミシガン大学へと足を運んだ。兄に会うためだ。Joeは大学を見学し、そのまま大学のある街、アナーバーに残った。

兄はJoeにこう言ったというーー「今夜、素晴らしいバンドが”Blind Pig”でライブするから、よかったら一緒に行こう」。

結果的に、この夜がすべての始まりとなった。誰がそんなことを予想できただろうか?

なんと、その日は「My Dear Disco」のライブだった。チケットはソールド・アウト。満員の観客の中で繰り広げられる圧倒的な演奏に、18歳のJoeは完全にノック・アウトされた。

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Theo Kaztman / 画像出典:https://soundcloud.com/andjustinforall/theo-katzman-four-fine-gentlemen-one-of-these-nights-the-eagles-cover-live-in-rotterdam-18

その当時の「My Dear Disco」には、後にJoeと一緒にVulfpeckで活動するTheo Katzman(テオ・カッツマン)、そしてJoey Dosik(ジョーイ・ドーシック)が在籍していた。しかも、「My Dear Disco」はメンバー全員がミシガン大学(U-M)の音楽学部の学生であり、皆が作曲面でも演奏面でも飛びぬけた才能を発揮していた。

I was completly blown away by those guys, by Theo, by Joey, and the whole crew. And that's sort of I think at that moment realized like "OK, this is a really, really amazing music scene, amazing music school these guys were really and that was what I wanted to do, what they were doing so, when I finally come to U-M, I met Theo and Jack.

僕はテオ、ジョーイ、そしてクルー全員に完全に吹き飛ばされた。そして、その瞬間に「これは本当に、本当に素晴らしい音楽シーンで、素晴らしい音楽学校であり、彼らがやっていることは、僕がやりたいことそのものだ」と思ったんだ。そして僕が最終的にU-Mに入学したことで、僕はテオとジャックに会うことができた。(出典:「interview w/ Joe Dart」)

この夜のライブがきっかけとなり、彼は「こんな素晴らしいプレイヤーがいる大学に入りたい」と決意し――バークリー大学からミシガン大学へ志望校を変更するのである。

ミシガン大学は日本ではそこまで知られていないが、音楽だけでなく様々な分野で優秀な人物を多数輩出している、アメリカでも毎年トップにランキングされる有名大学のひとつだ。

結果的に、JoeはTheoを追いかけてミシガン大学音楽学部に入学したのだ!専攻もTheoと同じジャズ科である。

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ミシガン大学アナーバー校 / 画像出典:「College Tuition Compare-アメリカの大学情報

そしてミシガン大学音楽学部に入学してすぐ、JoeはJackとも出会うことになる。

Joeのインタビューによると、Joeの高校時代に同じ寮に住んでいた親友のTomが二人の仲介役になったということだ。Tomはなんと、大学時代にはJackの家の向かいに住んでいたのだと言う。

Jackはちょうど、自分のファンクバンド「Groove Spoon」のベーシストが抜けてしまったばかりで、代わりとなるプレイヤーを探していた。TomはJackに「高校時代の友人にフレッシュなベースプレイヤーがいる」と、そしてJoeに「向いの家にとんでもないミュージシャンがいる」と紹介し、二人が出会うきっかけを作った。

また、Jackのインタビューによると、Theoが二人を繋いだ、と語られている。TheoはJoeが高校時代に録音したMyspaceをJackに紹介し、それを聴いたJackはすぐにJoeと会うことにした、となっている。

"That’s when I freaked out,” Stratton recalled. “I actually freaked out in a visible, potentially making everyone uncomfortable, way. I had to take a breather. It was warranted because it was definitely a turning point. I told Theo that this kid was a freak. So Joe then played with us in Groove Spoon."

「あの時はとても興奮した」とジャックは語る。「私は興奮を抑えられず、落ち着くために一息ついた。これは間違いなく転機になる。私は彼に、”こいつはヤバいぜ”と返した。そして、ジョーは私のバンドで演奏してくれるようになったんだ」(出典:http://tomorrowsverse.com/story/who-is-vulfpeck-27695.html

こうして大学入学からほどなく、19歳にして、Joe DartはJackのバンド「Groove Spoon」で演奏するようになった。そこには後にVulfpeckでも歌うAntwaun Stanleyも参加している。当時の動画がこちらだ。👇

そして、Joeのインタビューによれば、Joeが初めて参加したGroove Spoonのライブで、ようやく彼はTheoと知り合うことが出来たと言う。

Theo and I met at the first groove spoon show. I was a member of the band, and in groove spoon and also had Antwan Stanley. First show, I met Theo, and he just, he was freaking out, you know. Theo, Woody and as anyone would seeing Antwaun. And I mean, I was freaking out and so yeah we hit it off and pretty pretty shortly thereafter I played with Theo for the first time. And, yeah, it was just very organic and it was at a group spoon show that I first met Woody. And I was very lucky to go to U of M at a time when all of these amazing musicians were there and those musicians have gone on to be my friends and bandmates.

テオとはグルーヴスプーンの初ライブで知り合うことができた。僕はバンドメンバーで、そこにはアントワン・スタンレーもいた。その夜に客として来ていたテオに会ったんだけど、彼は、とんでもなく興奮しまくっていた(笑)。テオ、ウッディ、そして誰もがそうであるように、皆がアントワンのヴォーカルに驚いていた。僕自身もライブで興奮してたから意気投合して、その後すぐにテオと初めて演奏したんだ。

そして、同時にとても自然な流れで、同じ夜にウッディとも出会ったんだ。素晴らしいミュージシャン達が集まっていた時期にミシガン大学に行けたのはとても幸運だったし、そのミュージシャン達は今でも僕の友人やバンドメイトになってくれている。(出典:「interview w/ Joe Dart」)

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Woody Goss / 画像出典:Keyscape Sessions - VULFPECK: Woody Goss

さて、ここで最後のピースが登場する。Woody Goss(ウッディ・ゴス)。Theoの友人で同じミシガン大学ジャズ科の学生、Joeの先輩にあたるキーボード・プレイヤーだ。

Jack Stratton、Joe Dart、Theo Kaztman、そしてこのWoody Gossが、2011年にVulfpeckを結成するメンバーである。

つまりJoeが語るところによれば、彼が参加した最初のGroove Spoonのライブが、Vulfpeckのメンバー4名が生まれて初めて一堂に会した夜なのだ!

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Vulfpeck。右からJack Stratton, Joe Dart、Theo Kaztman,, Woody Goss /  画像出典:https://www.indienative.com/2019/10/hill-climber-jp

そして、物語が動き出す。2011年初頭、Jackは、友人のJake Birch(ジェイク・バーチ)から「卒論に使うためのバンドレコーディングをさせてくれ」と頼まれた。

Groove Spoonは10人規模の大人数編成だったため、大学卒業後は金銭的に活動が難しいだろうと考えていたJackは、新しい少人数編成のメンバーでこのレコーディングに関わろうとする。Jackは信頼していたミュージシャンの友人(と後輩)、つまりTheo Katzman、Woody Goss、そしてJoe Dartを呼び寄せた。

僕(筆者注:ジョー・ダート)とテオとウッディにジャックからメールが送られてきたけど、その時点では僕はまだ彼らとはプレイしたことがほとんどなかった。ただ”オーディオ・エンジニアの学科に通っているジェイク・バーチという友人の卒業課題のために君らに集まってほしい。君たちを集めてテープに録音して、オールドスクールなやり方で仕上げたい”とメールをもらったんだ。(出典:ベースマガジン2019年10月号)

こうして集められた4人は「Beastly」を含む3曲を録音。バンドはドイツ語で「Vulfpeck」と名付けられ、全く宣伝活動をすることなく、いきなりネットで利益を上げ始めた。

"I deemed (Vulfpeck) successful back in 2011 when I opened up our iTunes and there was a 100 bucks in it, un-promoted and unsolicited,” Stratton said. “I strive to have low expectations for the group, and we’ve easily exceeded them every step of the way. (Vulfpeck) is well beyond my expectations. It feels great.”

「2011年にVulfpeckが成功したと判断したのは、私たちのiTunesを開いたときだった。そこには100ドルが入っていた。宣伝もしなかったのに――まったく予期しなかった結果だった。」とジャックは語る。「私はグループに対してあまり期待しすぎないようにしているけれど、Vulfpeckはすべてのステップで簡単にそれを超えた。期待をはるかに超えた成功、最高の気分だった。(出典:http://tomorrowsverse.com/story/who-is-vulfpeck-27695.html

こうしてVulfpeckはスタートした。この結成時の詳細なバックグラウンドについても、私のnoteに記してある。👇

Joe Dartの経歴(Vulfpeck結成以降)

Joeにとって、憧れの先輩Theo Kaztmanと一緒に活動できるVulfpeckでの時間は特別なものであったと思われる。

Vulfpeckは好調にリリースを続け、「Mit Peck(2011)」、「Vollmilch(2012)」「My First Car(2013)」「Fugue State(2014)」を発売。

もちろん、Joeは全ての作品で演奏している。最初の録音である「Beastly」から、グルーヴで全てを語るプレイが一貫していて素晴らしい(ちなみに「Mit Peck(2011)」「My First Car(2013)」のジャケットはJoeの写真が使われている)。さらに、「Fugue State(2014)」の「Sky Mall」では、珍しくフリー仕込みのバキバキのスラップを披露している。


そしてVulfpeckの初ライブは、2013年のアナーバーの「Blind Pig」。JoeがTheoの演奏を初めて聴いて、ミシガン大学に入学しようと決意した場所である。もう、ここまでのストーリーで一本の映画ができるくらいだ。

そして、ミシガン大学に入学した彼は、念願だったMy Dear Discoにも正式加入する。

バンド名は「Ella Riot」と変化して、TheoとJoeyもソロキャリアのためにバンドを離脱していたが、それでもこのバンドはJoeにとって憧れのバンドだったのだろう。(👇Joe参加ライブ、やはり場所は「Blind Pig」)

Joeはここでミシガン大学を中退、プロミュージシャンとして活動する方向に舵を切る。学位を取得しなかった理由については、インタビューで「My Dear Discoとツアーを回るため」と説明している。

Did you complete your degree?“

I didn’t. I left in 2010 to hit the road with the very band that I saw in high school that inspired me to go to U of M. That was My Dear Disco.

記者:学位は取得しましたか?

ジョー:いや、取得しなかった。2010年に大学を離れたのは、高校時代に見たバンドと一緒に活動するためで、それがMy Dear Discoだったんだ。(出典:「Joe Dart: “The one thing you absolutely can’t skip on is developing great time”」

What did you study?

“Jazz bass. I was one of the few guys who came playing electric bass. Pretty much everyone else was on upright. If any kid comes up to me and says, ‘Should I go to music school?’ I would say, ‘Yes, absolutely’. They don’t ask me, ‘Should I finish music school?’ or ‘Should I get a degree in music?’ which is a different thing. But I went to music school, met my future bandmates, and it never would have happened if I hadn’t gone.”

記者:大学では何を勉強されていたんですか?

ジョー:ジャズベースだよ。僕はエレクトリックベースを弾きに来た数少ない学生の一人だった。他のほとんどの人はアップライトだった。もし子どもが僕のところに来て「音楽学校に行くべきか?」と聞いてきたら、僕は 「もちろん!」と答えるよ。それは「音楽の学位を取得する必要がありますか?」という質問ではないからね。そこは違うポイントだと思う。僕は音楽学校に行ってVulfpeckのメンバーにも会ったし、行かなかったら絶対に実現しなかったことなんだ。(出典:「Joe Dart: “The one thing you absolutely can’t skip on is developing great time”」

またこの間に、JoeはVulfpeckでDarren Criss(Gleeで有名なシンガー)のツアーサポートを行ったりするなど、サポートミュージシャンとしても活動していた。さらに前述のとおり、No-Treble誌の「2013 Reader Favorite Bassists」で5位に選ばれている。

(Darren Crissとのツアーの様子👇)

そして、さらに同時期、彼はもうひとつの重要なキャリアをスタートさせている。

Theo Katzmanのソロ・アルバムだ。

TheoはソロキャリアのためにMy Dear Discoを離れたあと、2011年に彼の初のソロアルバム「Romance Without Finance」をリリースした。

この作品ではほとんどの楽器をTheo本人が演奏しているが、部分的にJoe、Woody、そしてJoey Dosikが参加しており、準Vulfpeckとでもいうようなメンバー編成になっている。Joeは「Called To Tell You」「Country Backroads」「I Feel Love (All The Time)」に参加。

(👇Joeが出演するPVも作られている)

Theoの音楽は伝統的なロックを土台としたポップミュージックで、特に「Romance Without Finance」ではアコギの響きが重視されている。こういった音楽にも、Joeは非常によく順応し、以降もTheoの活動のサポートを行っていくようになる。

👆こちらはTheoのツアーでの様子だ。スラップベースのスタイルが完全にレッチリのフリーであり、Joeの中のロックの要素が、Theoのロックを土台としたフィールドで発揮されると、このような形となって表れるという好例だろう。(しかも54秒で飛び出すフレーズは、Vulfpeckでも似たフレーズを弾いている。)


Vulfpeckは最初のうちは世界的なバンドではなかったが、2014年のSleepfyツアーをきっかけに、知名度が爆発的にアップ。この時までにMy Dear Discoは無期限の活動停止に入っており、以降のJoeはVulfpeckのメンバーと、Theoのバックバンドのメンバーを主な仕事としてキャリアを形成していく。

Vulfpeckは「Thrill of the Arts(2015)」でDavid T. Walkerをゲストに呼び、同年ニューヨークの有名ライブハウス「Brooklyn Bowl」に出演すると、 Bernard Purdie(アレサ・フランクリンのドラマー)とZiggy Modeliste(ミーターズのドラマー)をゲストに呼ぶことに成功。

そのまま勢いをつけ、「The Beautiful Game(2016)」「Mr Finish Line(2017)」「Hill Climber(2018)」では James Gadson(ビル・ウィザーズで叩いた伝説のドラマー)、 Bootsy Collins(P-FUNKのベース)、Michael Bland(プリンスのドラマー)などをゲストに呼ぶ。さらには Louis Coleなどの新世代のミュージシャンとも積極的に関わり、これらのゲストからいずれもJoeのプレイはとても高い評価を受けていた。

これらの中では、特に「The Beautiful Game(2016)」の「Dean Town」が人気となり、世界中の音楽ファンにJoe Dartが認識されるきっかけとなった。

前述したように、この曲はライブになるとベースのメロディをファンが大合唱する曲に成長していく。

また2018年にはVulfpeckの別プロジェクト「THE FEARLESS FLYERS」が始動。こちらも世界的に非常に高い評価を受け、とくにその短い時間で高精度なグルーヴのみを叩きつけるプレイスタイルは、新世代のファンクとして一躍脚光を浴びるようになった。(「THE FEARLESS FLYERS」結成のストーリーについてはこちら👇)


これらの勢いのもと、Vulfpeck(とTHE FEARLESS FLYERS)は様々な有名ライブハウスやフェスに出演。2017~2019年には連続してRed Rocksに出演し、さらに2019年にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)をセルフ・プロデュースでソールド・アウトさせ、14000人の観客の前で圧倒的なライブを行った。

レコード会社や企業に頼らずにMSGをソールドアウトさせたファンクバンドは史上初である。このニュースは世界の音楽シーンを震撼させ、新しい音楽キャリアの築き方として大きな話題となった。

そして2019年、Music Man社はJoe Dartモデルのシグネチャー・ベースを制作。

さらに同年、英Bass Guitar Magazine誌のベーシスト人気投票で首位を獲得、同誌の表紙を飾り、さらには日本のリットーミュージック社によるベースマガジンの表紙も飾った。様々な活動が実を結び、世界的な注目度も飛躍的に高まっていると言える。

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画像出典:Bass Guitar 170

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画像出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B07WW3SL62/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_2RvdFb7HRCZ19

そして…彼は自らにとってとても大事なミュージシャンとの絆も、さらに深いものにしていっている。

Theo Kaztmanは2017年からソロ・プロジェクトを本格化させ、Vulfpeckがオフの間にコンスタントなツアーを開始しはじめた。リリースも精力的で、スタジオ盤「Heartbreak Hits(2017)」「Modern Johnny Sings: Songs in the Age of Vibe(2019)」、ライブ盤「Theo Katzman on Audiotree Live(2018)」「My Heart Is Live in Berlin(2019)」などが発売されている。

Joeはこれらのすべての作品に積極的に参加し、ツアーも一緒に回っている。

Theoはバンドを「Theo Katzman And Four Fine Gentlemen」と命名。メンバーはLee Pardini(kb)、James Cornelison(gt)、Jordan Rose(ds)、そしてJoe Dartだ。

Joeはこのバンドで、本当に楽しそうに演奏している!

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映像出典:https://www.youtube.com/watch?v=icWS_4vv58U

Joeはコーラスも得意だ。大好きなTheoの歌声を支えるこのバンドにおいては、ある意味、もしかしたらVulfpeckよりも解放された瞬間があるのかもしれない、と感じる。

もちろんVulfpeckやTHE FEARLESS FRYERSが楽しくないというわけでは決してないだろうが…18歳の彼の前に突然現れたヒーローに誘われ、彼のメインキャリアを支えているという生活は、何よりもJoeにとって心温まる時間になっているのではないだろうか。

Joeのキャリアを追って分かったことは、何よりも深い、Theoとの絆だった。是非、これからもそれを続けていってもらいたいし、彼らが一緒にライブをしている姿を早く見たいと思わずにはいられない。


以上が、Joe Dartの2020年7月までの経歴である。次回記事は、「Joe Dart解体新書」の続編――彼を象徴する曲「Dean Town」がどうやって作られたか?どうやって演奏しているのか?という秘密に迫る。さらに、彼の詳細な使用機材まとめ、さらにゲスト参加作品の一覧も記事にまとめた。そちらも合わせてご覧いただきたい。

トップ画像出典:https://fr.wikipedia.org/wiki/Joe_Dart


◆著者◆
Dr.ファンクシッテルー

イラスト:小山ゆうじろう先生

宇宙からやってきたファンク研究家、音楽ライター。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。


◇既刊情報◇

バンド公認のVulfpeck解説書籍
「サステナブル・ファンク・バンド」
(完全無料)


ファンク誕生以前から現在までの
約80年を解説した歴史書
「ファンクの歴史(上・中・下)」


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