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一期一会の世界を楽しむ

先日は、近くのショッピングモールまで買い物に出かけた。

私は外出が億劫で、できれば家でゆっくり過ごしていたいと望む、根っからの面倒くさがりだ。

その性質を今はダメだとは思わない。

そんな私で良い!と認めている。

面倒くさがりの私が、外出を決意すると、どうしても効率を重視してしまい、滅多に出かけ無いのだから、この際まとめてしまおう!と、色々買うものが増えて、大荷物になる傾向がある。

特にこんな暑い日が続く時期は、何か必要になる度にこまめに外出なんてしていられない!

できるだけ1回で済ませられるようにしたい。

そんな訳で、私は出かけたく無いあまりに、日用品や調味料が減るのを、極端に気にするようになっていたのである。

その日も、白だしとめんつゆ、洗濯用液体洗剤、それからワンコのこゆきのデザートとして活用している大根(1本丸ごと!)を買おうと 意欲満々だった、これだけでもかなり重く嵩張ってしまう。

自家用車があり、運転が出来るなら、こんな荷物全然気にせず、颯爽と買い物に出かけられるだろう。

私は車には縁の無い人生なので、自分の足でしっかり歩き、荷物を運ぶしかない。

幸いにも、娘が半分荷物を持ってくれるので、心強く買い物を楽しめる余裕もある。

だからちょっと調子に乗り、冷凍食品の野菜や(最近ハマっているお粥生活に使うのに便利なので)、新鮮な葉もの野菜をどんどんカゴに入れていき、もう手が痺れるくらい重くなってしまった💧

そして調味料売り場に行くと、うちが愛用している白だしが売り切れていて、更にはのどくろのだし塩も全く見当たらない。

買いたい物をメモしてきたのだけど、欲しいものの4つくらいが売られていなくて、今回は諦めるしかなかった。

帰り道で娘が呟いた。

「ちょっとうちの冷蔵庫の中身を見直した方がいいってことかもね、まだまだいっぱい食品がストックされてるのに、どんどん詰め込み過ぎるのは、良くないよって言われてるから、スーパーで売り切れたり、見つからなかったりして、買えない物が発生するのかもよ」と。

なるほど👀!と妙に納得した。

私は、生活保護という名の存在給を受け取れるようになり、本当に安定した暮らしが出来るようになった。

この安心安全な状態を保ち、もう二度とあの極貧生活には戻らない!と私は頑なに、今の暮らしを守ろうとしていた。

すると、冷蔵庫の食材が少なくなってくると、何とかして補充しなければ!とソワソワしてくる。

冷凍庫にわざと余らせた刻み野菜を凍らせてストックしているのだけど、これを使うといざというときの野菜が無い💦という不安が、どんどん溜め込む性質に磨きをかけてしまうようだ。

娘の言葉に、もうそんな被害妄想は卒業する時だと、教えられた気がした。

減ることを恐れず、どんどん使う。

減っても、他の物がちゃんと有ることを認める。

有るにフォーカスして、今ここで安心して暮らしを楽しむ。

私の不安症は、長年の苦労から培われたものなので、なかなか手強いけれど、それでも地道に確実に向き合い、手放していくしかない。

よく行くスーパーであっても、それは全く同じスーパーでは無い、私の出した過去の周波数により、パラレル移動した場面のスーパーなのだ。

だから欲しい食品が必ず有るとは限らないし、予想外の新商品に出会える可能性だって大いにある。

まさに一期一会の世界なのかもしれない。

そう思うと、この一瞬一瞬が特別で奇跡で、とても貴重なものに思えてくる。

毎日を全く同じと捉えて怠惰に過ごすのか?

この一瞬が貴重だから、新鮮に感じて奇跡の今を精一杯慈しむのか?

私たちは全てを選択出来る自由を与えられている。

私は宇宙を信頼して、不安を手放し、今ここで一瞬一瞬を新鮮に感じて、安心して楽しみたい。

冷蔵庫内の食品が減っても、他の食品がまだまだ沢山有る。

調味料が減っても、他の調味料でまかなえる。

これでなければ絶対ダメ!!ということなんて全然無い。

今私に必要な感覚は、全てが順調だから安心して、全部何とかなる!!と信じて、日常を楽しむことなんだと思う。

不足感からの買い物を卒業して、一期一会のスーパーを楽しめる私にシフトして行こう♪



ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️









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