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#11絵に描いた500円でかぎっ子誕生!引き出せないお金がある事をアナタは知ってますか?(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)

母はいるがお金が少ない暮らしか、お金に困らない暮らしか

引っ越してから数カ月、母子家庭を雇ってくれる職場が見つからず貯金を切り崩す生活でした。知らない間に母はお金がない事に悩み始めていたようです。

それもそのはず、元々パートの稼ぎで大して貯金があるわけじゃないのに、引越しを機に新調した家電に引っ越し費用と出費がかさんでいたのです。
母の算段では仕事を見つけられると思っていたのに、思った以上に就職につけない。

当時の私は、引越しの段ボールを机代わりに使用し、ペン立ては食べた後のコアラのマーチの箱を再利用していました。

参考:株式会社サカモトさんのFBより

お金がないことが何となくわかっているから、あまり欲しがらないように、母を楽しませたいと、必要なものを工作していました。母が『あんたは上手い事、物を使うね』と褒めてくれるから、楽しんでいました。

ただ、のちに知るのですが、母はその姿をとても不憫に見ていたようです。

(子の心、母知らず (笑))


ハローワークの管轄は区単位で扱う求人情報が異なります。最初は居住区管轄のハローワークに通っていたようですが、あまりにも見つからないので区をまたぎ3つに通うようになっていました。

もちろん公共機関を使用するとお金が減るため、雨、雪の日も天候を気にせず、電車でしか行けない場所以外は、子供乗せ自転車で行動していました。


自転車の思いではアルコールを飲んだ後に私を後ろの乗せて運転して人の家の表札にぶつかってコケたり、雪の日にスリップしてこけたことです。

私、黒ひげ危機一髪的に反動で少し飛んだこともあります。

参考:タカラトミー

母はいつでも何でも話してくれました。子どもだからわからないとか色々あると思いますが、何でも赤裸々でした。

「お母さん、おなか減った・・・」

『減ったなぁ。。何食べよかな』

「カレー!」

『カレーな。分かったわ。スーパーいこか。ただお肉はないけどいいか?』

「うん(特に肉好きでもないし・・)」

『お肉入れてあげれず、ごめんな。今、お金がないねん・・』

「うそや~!お金ないん?(ケラケラ)」

お金ないと母は言っていましたが、食べれていたので笑って聞いていました。ただ、うそじゃなかったんです。

この時母は生活保護を一時的に利用することさえも考え始めていました。
今でも生活保護は厳しいといわれますが、当時も厳しかったようです。
社会から向けられる目がありますが、その手前に行政機関の目です。

母は就職が決まらず手元のお金が減る中で、何度か行政機関に保護を受けれないかの相談に足を運んでいたようですが、

『努力をちゃんとされていますか?』
『健康なのだから、仕事はあるはずだからもっと探してください。』
『甘えず、自分で頑張らないと。子供もいるんだから。』etc…

話を聞いてもらえる前に、甘えているんじゃないですよという一言で門前払いされていたようです。

とはいえ、それは嘘ついているわけじゃないので、家に帰ってお金があるわけじゃないんですよね。
今ならお蔵入りした家電を売ればいいと思うのですが、リサイクルショップが当たり前にあった時代ではありませんでした・・・

「お母さん、おなか減ったーーー」
『ごめんな。お茶漬け食べよか?』

永谷園のお茶漬けのりは、私にとって幼い日の思い出の味です。

お茶漬けは仕事の合間に食事を早く済ませる為の食事法らしいですが、我が家は早く食べないといけないわけでもなくメイン料理でした。

ご飯と汁もの。一汁三菜なんて我が家のご飯の記憶にはありません。
お味噌汁は、あさげ、ひるげ、ゆうげの中ではゆうげ派でした。

「お母さん、おなかすいたーーー」
『お金ないんや・・』
「うそや~!だってこの前もそういいながらも買い物してたやん~」
『その時は、ちょっとあったんや。あんた通帳みるか?』
「うん」

お金の話ってタブーだったので、見るかと聞かれてすぐみると答えました。

絵に描いた500円

通帳には *500 と印字されていました。

「お母さん、500円もあるやんッ!!」

『これはなあるけど、引き出されへんねん』

「なんで引き出されへんの?」

『そやなぁ…なんか、・・かなしいなぁ・・。せっかく希望をもって引越してきたのにな・・(グズッ・・)』

最低引出金額が千円単位、硬貨は窓口対応な上に手数料が必要です。
銀行のサービスは便利ではなく、不便な地域で窓口を持つ支店がないことから、引き出すことは容易にできませんでした。

「お金ないの、悲しいな…」

思わずぽつりと言ってしまいました。母が泣くことは悲しかったのです。
ただ、自分のお年玉と同じ預金に対する驚きがあったのも事実です。

・・・

『そやな。。。お母さん、頑張るわ!(ふっきれスマイル)
せやから、あんたはお母さんが仕事で家に居なくても我慢できるか?』

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その後、足蹴く通ったことが功を奏し、正社員で雇用されます。
6歳から首に鍵をぶら下げた「カギっ子」になりました。

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寂しさをお金に変える暮らしへと変化すると同時に、私の人生に「お金」ということは切り離せないぐらい大きなカギになっています。
保有資格が、簿記・FP・宅建・税理士科目とお金周りが多いのもその理由です(笑)

原点には、あの日があります。
私がNPOで経済的弱者を、救いたいと思うのも、この先に抜け出したいと思う自分を救ってくれる誰かに出会いたいと思うからです。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。
節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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