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力まず軽やかに


過去の記事で私は仕事についてこういう事を書いていたのですが、生き方に力が入っている事に最近気付かされました。


「質の高いお菓子作り」をしようと決めて色々積極的に仕事に取り組んできたつもりでしたが、いつの間にか「店側目線」で物事を見るようになっていて、それは社員がする事であってバイトがする事では無いというところまで知らず知らずのうちに首を突っ込んでいました。


例えば「人に指示を出す」という点。

社員さんがいつも厨房にいるわけではないので
不在の時に年功序列的な感じで自分が指示を出さないと店が回らないと勝手に責任感を感じ、自分より後に入ってきた人や新人さんに対して色々指示出しをしていました。

そして自分の物差しでいつまで経っても仕事が出来ない相手にイライラしたり、「こういう風にすればもっと効率良く動ける」と思った事は良かれと思って相手に伝えたりする事もありました。

「向上心を持って仕事に取り組む」という点でそこが分別できておらず、解釈を履き違えていたなと反省しました。

良かれと思ってやっていた事がただの出しゃばりになっていました。


それに気付いてからは何か出来事が起きた時に「これはバイトがすることなのか?」と一旦冷静になってから判断しようと思い、それから余計な事はしないようにしています。



そしてもう1つ。

「相手を変えようとしない」

世の中本当に色んな人がいて、なぜその人がそういう言動をとったのか全く理解出来ない事もあって、いくら注意をしても言う事聞かないし、社員さんから注意してもらっても全くダメで、そういう相手に対してどうこうしようとしても時間の無駄だし、一々腹を立てていても状況は何も変わらない。

私はそれがストレスになっていて仕事も楽しくないし、自分の仕事に集中したいのにそういう人が近くにいるだけで要らないアンテナが働き憂鬱な気持ちになっていました。

私は余程の事がない限り人を嫌いになることってあまりないと思っていましたが、人としてこの人無理だな嫌いだなと感じた相手には分かりやすく態度に出てしまうようです。

大人なんだから適当に振る舞っていれば良いものをそれが出来ない所は自分の未熟な所であり変えていかなければいけない部分だと思っています。

ただこれが自分にとってはなかなか難しくて...。


本音と建前が得意ではないと思います。

裏表がない所が良いと褒めてもらった事があり、これまで人と関わる中で建前で話した事ってあまりないのかもしれません。(建前で話してる事もあったかもしれないけどそういう意識で話してこなかったと思う)

仕事場では建前で話す機会があると思いますが、建前で話されるとその人をどこまで信用して良いのかわからなくなります。

本音が知りたいと思うけどそれは仕事場で求める事では無いのかもしれませんね。

あくまでも仕事関係の人として割り切れたらもっと力まずに過ごせれるのかなと思います。


職場の人皆と本音で話したいと思うのはきっと求め過ぎですね。(何か寂しいなと思っちゃうけど...)


人に対して警戒心あるのに本音で話せる相手をどこかで求めているのかもしれませんね。よくわからない自分。


人を信じたいのかな。多分。


あと、長く働けば働くほど不要なプライドも出てきたりしてこれも手放していかないといけない部分だと思っています。

いつの間にか自分の存在意義を職場に求めていましたね。



こうやって文章に書き出してみると色々断捨離していくものがより明確に見えてきました。


難しく考え過ぎてしまう所もあるので、これから少しずつこれらの荷をおろし、軽やかに過ごしていきたいと思います。













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