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「plan75」から見えるもの

早川千絵監督の映画作品。「満75歳から生死の選択権を与える制度が国会で可決された!」というセンセーショナルな設定で物語が展開していく。2025年には、75歳以上の人口(いわゆる団塊の世代)が全人口の約18%、65歳~74歳が約12%、20歳~64歳が約54%(厚生労働省HPより)と推定されている。映画の冒頭では、老人を襲撃する若者の姿が描かれ、増大する社会福祉関連予算によって産業振興施策が進まず、新たな成長分野が育たないことで若者の雇用機会が減っていく。自分たちの働き場所を奪ったのは増加する一方の老人たちだ!という理論展開だ。健康診断に訪れた老人同士の会話の中に「こういうところに来るのは肩身が狭いね、いつまでも長生きしたいみたいで・・」との言葉がある。なんとも意味深な言葉である。

高齢者にも活躍の場をもっと提供してみたら・・

2016年、神奈川県相模原市の障害者施設で無差別殺傷事件が起こった。「社会の役に立たない人間は生きている価値がない」というのが犯人のお粗末な主張。その入所者が支払っているお金を元手にして食料や物品の出入り業者が潤い、施設という媒体を介して経済循環が発生し、結果としてそのお金から労働の対価である給料をもらって生活を維持していたことを犯人クン自身はどう考えるのか。「生きている価値はない」と罵った人間から「おまえはそれ以下だ」とブーメランが帰ってくるように思えてならない。
定年退職の制度がいまだに残っているのはどうしてだろうか?一般的な定年年齢となっている満60歳になっても、諸先輩方は、まだまだお元気だし、実際に第2の就職に就かれて働いているのが現状だ。年金も満65歳からの支給を前提とした組み立てになっている。空白の5年間はどうするのか。やっぱり働いて生活費の足しにするしかないのが実態である。ならば、どうだろう、この際本人が体力の限界として一線を引く決意をするまで働いてもらうのは?もちろん、新人採用とのバランスを考慮し、全体の賃金抑制として給料は減額させていただくことが前提ではあるが・・とりわけ、ものづくりを支える職人の世界では後継者が育成されるまで現役で頑張ってもらう必要があるかもしれない・・

家族とは何なのか。地域とは何なのか・・

「plan75」は、一見すると長生きする高齢者が若者のターゲットにされる世代間を分断するような内容と受け止められがちだが、一方で、映画に描かれている高齢者の多くが、家族関係や地域コミュニティーから離脱しての生活を余儀なくされている独居老人が主人公である。それだけ、現代は人間同士の関係性が極めて薄くなっていることの証左と言える。なかなか関係性をつなぐ止めておくことは難しいのも現実だ。自分のテリトリーに他人を入れたくないと考える人が増えているのも現実だ。
ただ、何気なく集まってこられるようなスペースが存在し、お互いの存在を確認できるような緩やかなシステムが構築されていれば、たとえそれが家族と呼ばれるものでなくとも、地域全体で安否確認を実践する小さな輪となり得るかもしれない。そのことが、孤独死の減少に寄与すればなおのこと意義深い。終活業務に取り組んでいる自分としては、改めて考えさせられる映画の一つである。

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