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4作目「顔たち、ところどころ」ペア鑑賞

映画監督アニエス・ヴァルダ(作中で87歳)と、写真家でアーティストのJR(作中で33歳)は、ある日一緒に映画を作ることにした。JRのスタジオ付きトラックで人々の顔を撮ることにした二人は、さっそくフランスの村々をめぐり始めた。炭鉱労働者の村に一人で住む女性、ヤギの角を切らずに飼育することを信条とする養牧者、港湾労働者の妻たち、廃墟の村でピクニック、アンリ・カルティエ・ブレッソンのお墓、ギイ・ブルタンとの思い出の海岸、JRの100歳の祖母に会いに行き、J.L.ゴダールが映画『はなればなれに』で作ったルーブル美術館の最短見学記録を塗り替える・・・。アニエスのだんだん見えづらくなる目、そしてサングラスを決して取ろうとしないJR、時に歌い、険悪になり、笑いながら、でこぼこな二人旅は続く。「JRは願いを叶えてくれた。人と出会い顔を撮ることだ。これなら皆を忘れない」とアニエスはつぶやく。願いを叶えてくれたお礼にと、彼女はJRにあるプレゼントをしようとするが・・・。(公式サイトより)

エッセイ的な幸せと自分のしごと text by フダ

 大学院生の頃までは小説やエッセイをよく読んでいたのだけど、最近はめっきり読まなくなってしまった。興味がなくなったわけでは全くないのだけど、なんとなく日々の仕事に直結する、ビジネス書や業界関連の本を手に取ることが多くなっている。

 人生にはエッセイ的な幸せがある。ひどく仕事に疲れてふらっと外に出た時の夜の空気がすごく気持ちよかったり、久しく会ってない知り合いのSNSのポストで妙に心を温かくなる、そういった類いの幸せだ。

 この映画はエッセイ的な幸せを飛び抜けて上質に描いている。老いた女性監督と若い写真家が旅をしながら市井の人の写真を撮り、大きな壁に貼り付けていくという、大胆さと繰り返しが心地いいフォーマット。壁の使い方のアート性と、それを写す画角の美しさ。その顔を見て微笑みながら話す本人から溢れる人間味。監督と写真家の小気味よくも哲学を感じさせる会話の妙。色々な指標をハイレベルでクリアしていって、ああここに映る「ふつうの人たち」もなんだかんだ幸せに生きているのかな、と思わせる。

 ビジネスは人の心、さらに言ってしまえば人のニーズにある程度のボリュームや深さ、一般性を求めるので、エッセイ的な幸せはなかなか直接サービスとして提供しづらい。「なんだかんだ幸せに生きる」の「なんだかんだ」の辛さを解消し、導いてあげようとするのがほとんどのビジネスだ。
 その事がすごく寂しいわけでもないのだけど、元々は人々の人生の物語やこころにすごく関心があったので、エッセイ的な幸せそのものを提供しようとする人生もありえたのかなあ、と、映画をみた後の深夜の散歩でふと思う。

切り取るようで繋げるアート text by タケヤマ

 素晴らしい映画なのは観るとすぐに分かると思う。親子以上に年の離れたアニエス、JRのふたりの芸術家のセンスも。フランスの田舎の市井の人たちの生活も。ふたりが会話する場面設定や映像も。そして所々に登場する猫もすべてが美しい。

 JRは市井の人々の大きなポートレイトを壁に貼る。それは魔法のように人々のプライドをくすぐり、人々を繋いでいく。個人的に印象的だったシーンは、港湾労働者のシーン。港湾労働者の本人ではなく、そのパートナーに焦点を当てたことに、アニエスのセンスを感じた。創作の過程で、夫の支え方、ストとの向き合い方など、彼等の人間性とフランス社会を浮かび上がらせたからだ。

 最後はゴダールに会えず悲しんだアニエスをJRがこれまでずっと拒んできたサングラスを外すことで慰めて物語は終わる。アニエスは、目が悪くなってきていて遠くが見えにくくなっていたし、JRは常に色付きのサングラス越しだったことは象徴的だ。それでも、ふたりとも物事をしっかりと見つめられるのは、やはり見ることよりも想像力なのだろうか。

 ゴダールが家にいなかった時に、JRが「物語構成への挑戦か」という趣旨の発言をするので、ある程度、映画のプロットは決まっているのだろう。それでもドキュメンタリーとしての良さもあって、どこまでが決まっていたことなのか、作り手にも興味がわく、不思議な映画だなと思う。

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