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自己紹介 │ 本日の出来事





・人生は引き寄せの連続だ。

今日は母が転院した病院に行ったらお隣さんも来てくださり本当にありがたい。
母が「この病院知ってる男の子いるわ」とよく分からないこと言っていて軽く流したのだが、トイレの介助の時に母が話してた看護師さんがなんと幼なじみで、昔からよく実家にも遊びに来てくれたので母も覚えていて相変わらず本当に優しい男だった。
彼(以後G)とは小学校からの仲だったのだが、私が精神的におかしかった時に迷惑をかけてしまい、そこから疎遠になっていた。
なんでも話せる仲だったからこそ、私はそんなGの優しさに甘えていたのかもしれない。
今日久しぶりに再開して2分程度言葉を交わしたのだが、魂が揺さぶられる感覚になった。その当時はあまり分からなかったが。
彼との事はこれからもこのnoteに出てくると思う。
ご縁に感謝。私共々、母をよろしくお願いします。



・幼少期

昔の自分は天然パーマと小さい身体で(今もそうなのですが)、それがコンプレックスで、その時期はヤンキーブームで周りも超体育会系みたいな環境もあって、弱そうに見られるのがずっと嫌で下を向いて生きてきた。
今でいう超陰キャである。
イジメも受けたり、その子供らが私の母を侮辱するなどがあったりしてご近所さんとよく揉めていた、母親同士が。

いつもクラスのリーダー的な子と私の二人で周りから見れば兄弟のようにニコニコ遊んでいてテレビゲームをしたりしていたが、同級生なのに確実に上下関係があった。
「そいつに気に入られなきゃ...」
近所で通学路も同じで習い事も同じで、
向こうは4月生まれ、私は3月の早生まれ。
多少の体格差はその頃だと違ったりするものであるが、私の場合は特に体も細く内気だったので人からナメられやすかった。

彼らからしたら犯罪も全部「悪ノリ」の範疇。子供だから許される、といった感じで。意見をすれば仲間はずれにされる。
子供同士なのでほんの些細な事ではあるが、私がその子たちがやってる行為がずっと嫌で、後ろから着いていくだけだった。彼らの後ろにいればいじめられずに済む、と。


・集団リンチされる


小学五年生の頃、踏み込んではいけない区域にも関わらずそこを秘密基地として、私はそこに一緒について行かされて、リーダーの子が足を怪我したから絆創膏をその子の祖母に頼んでもらってきてくれと言われ、私がその子の家に絆創膏をお願いしに行くと当然のように、
「どこで遊んでるの?」
と言われ、秘密基地をその子の親にバレてしまったのである。子供なので親から詰められたら話してしまう。
当然やってる事も良くない事だったので、それも本人らは分かってるから「秘密基地」と言っていて。

「お前がチクったのか?裏切り者が!こいつ集団リンチしようぜ」

と、リーダーの周り7人全員から本気で袋叩きにあった。死ぬかと思い本当に泣いた。血が出て服がベトベトになるくらい全員から殴られた。
子供ながらに恐怖と絶望を感じた。
周りの子らもリンチは「やらざるを得ない状況」だったのだと思う。
影で悪さをしていても、口が上手かったのでそのリーダーの子は担任の先生に非常に気に入られていた。
明るくてリーダーシップあって学級委員や生徒会長もやってたりしてて、頭も良く力も強く運動神経もよくて能力もあって...小学生当時はずっとエリートで才能の塊みたいな存在であった。
いつも仲良く遊んでいたのに、ある日「裏切り者」扱いされ、同級生達にリンチされるのは肉体的よりも精神的に堪えた。
リンチを境に、人間にはこんな一面があるのか、と幼い頃に初めて憎しみと競争心が生まれた。
した方はいじりの延長だと思う。
今となっては完全にどうでもよい存在ではあるが、人格形成に深く関わった出来事であった。
母はそんな悪ガキが許せない、正義感の本当に強い性格で学級問題になって学校相手でも母が出向いたりしてくれていた。学校(先生側)もいじめはないと黙認を通している。
そんな母をその子らが口撃したりもあった。
私をそばでずっと守ってくれる母は小さい頃から神様のような存在であった。

・転機


そんな私が当時、新日本プロレスがゴールデンで流れていてものすごく興奮したのを覚えている。そして厳しかった父の影響で毎日トレーニングして柔道を習い始めて人生が簡単に変わり始めた。

「あれ、こんな事覚えたら小学生であっても、大人を簡単に○せちゃうじゃん...」

そこに行くようになってから彼らのいじめや母への侮辱もなくなった。
生徒のリーダー側であった担任の先生は、それまで私は勉強が苦手であったり積極的でない性格で他の子より遅れていたと思う、その先生にはそのせいで何度も殴られていた。当時はあまりにも理不尽だと感じていたが、トレーニングをして自分自身が変わり始めて体育の相撲の授業の時に勝ち続けた時、先生の態度の変わり様には驚いた。

やり返しはしなくても、同級生は私を柔道経験者(その時点でほんの数ヶ月なのだが)と分かってるから手を出される事は一切なくなった。
小学生の数ヶ月は、今考えると一日が年単位のように感じたりする。
ほんの小さな事で一気に逆転できるんだ、と。
当時は攻略本を見つけた感覚だった。

イジメられ過ぎてた反動で、外で自分以外の子がイジメられている現場を見たら、腕試しといわんばかりに真っ先に行ったりと少し色々してしまった事もあった。
そうして心の中にあるルサンチマンがカタルシスに変わっていった。

昔と比べて多少強くはなったものの、中学になっても柔道こそ続けたが過去にイジメられ過ぎて性格が陰キャすぎてなかなか周りに馴染めなかったように思う。仲のいい子もいるにはいたが、教室にいるかどうか分からない影の薄いやつといった感じだ。

中学の頃は部活の先生もかなり体育会系の人で体罰は当たり前であったが、それはまあ愛の部分(という洗脳教育…)もあって耐えられた部分もあったが、その後何年も引きずる事になるトラウマをその先生によって植え付けられる事になる。
それが大人になってから(というかつい最近)、とある事で消えてしまった。
その事はまたnoteに書こうと思う。

・PUNKとギターとの出会い


今振り返ると地獄みたいな日々も、高1の終わりでPUNK ROCKとギターに出会って一気にハジけて高校デビューした。
全部が奇跡のような体験だった。
高校でハジけた後はずっと毎日天国だった。本当にこの世の楽園、理想郷みたいな。
高一の終わりくらいまでド陰キャだったのが、学校の一軍だった先輩の影響でPUNKの魅力に取り憑かれた。
変わらず続けた柔道も大した成績を残せたわけではなかったが、部活も学校も本当に好きになっていた。

私はルールが苦手であった。
高校までの学校生活は本当に窮屈だった。
ずっと友達にも先生にも距離があった。
診断こそ受けていないが、発達障害の気質がある。
小さい頃はエンパスでもあった。エンパスについてはまたnoteに書きます。


・大人になっても馴染めなかった社会と、現実逃避の先に待っていたもの

亡くなった父の声も、リラックスしていると届いてくる。いつでもそばにいる感じで、声というか意志が届く。
本当に厳しかったが、父のことを尊敬していた。
そんな父から小さい頃は、抑えつけられた事に対して当時は反発していた。父に反発するのが許されなかったからPUNKに、遊びにのめり込んだ。
甘々な母と真逆だったが、どちらも「間違ったことは許さない」性格の人である。

当時は見返したいという気持ちは私の原動力でもあった。
だが、振り返ると結局は遊ぶためだけのモチベーションで自分の事ばかり考えて無責任に生きてきたと思う。

美容学校を卒業し、少し美容師をやっていたのだが理想と現実とのギャップで長く続かず。
今でこそほとんど聞かなくなったが、当時は「ゲーム喫茶」というとんでもなく怪しい店で働いていた。
客層も異様で、お金も少しは稼げて、人生経験ができるノリで生きていたからそんな世界が心地よくなっていた。
22歳頃からドラッグをやっておかしくなって(それは確実に自業自得である)、27歳の5月に閉鎖病棟に入ってそこから入退院を計3回、トータルで1年半以上居た。
この辺の話もいつかnoteに書きます。

その閉鎖病棟で私がそこの患者と軽い事故のようなものに巻き込まれ(本人が意図してやった訳では無いと思うので別に相手に恨みはなく、ただ事故の延長)、退院してもその痛みがずっと続いていたので痛み止めを毎日飲んでいたのだが、ついに手足の神経が鈍くなってきて体に力が入らず倒れてしまった。

28歳の終わり頃に頸椎ヘルニアになり診断では頚椎5,6番損傷。
それまでの自分の行いが自分に返ってきたのだと分かった。
その当時、私の行いで沢山の人に迷惑をかけてしまった。自分自身が常に自暴自棄状態だったので、とても人に話せるような人生ではなかった。

柔道を通して強くなった気になっていた自分は、全然弱かった。

手術して首の痛みは少し落ち着き一命は取り留めたのだが、手術後に首から下が麻痺して動けなくなったのである。携帯やパソコンを触るどころか、首から下の感覚が全くない麻痺状態。

父も母も妹もよくお見舞いに遠くまで来てくれていた。父は仕事帰りに、いつも元気もらっていた。
そして沢山の人達に助けていただきました。

それまではスピリチュアルと無縁だった生き方をしていた自分がそこからスピリチュアルと出会い、医師からは見放され首から下が全く動けなかった麻痺も歩けるまでに回復し、生き方が本当に変わっていった。
私がお手本にしているスピリチュアルは、ふわふわ系とはちょっと違って堅苦しい部分があるかもしれないのでご容赦ください。

・父の存在


それからは父とは尊敬し合える関係になり、仕事も70過ぎまで続けて本当に頑張り屋な人だった。
ずっと強い人だった。
かっこ悪い姿を見せたりかっこ悪い事をせず、家族を常に大切にしてくれていた。
本当に何にも負けない強さが父にはあった。

父の急死と、その日から起こった母の認知症(認知症の表面化)で、親子の密度もや感覚の違いはもちろんあると思うが自分自身が親に対してどれ程依存してきたかよく分かった。

自然を愛し生き物を大切にする父と自分は真逆な生き方をして来た。
私は生前の厳しすぎる父の言葉をあまり聞かなかったのだが、今は父の意志が上から降りてくる。いつも父が近くにいてくれる感じで、昔よりは自分を律する事ができるようになってきたように思う。
迷った時はしょっちゅう夢に出てきて何かを教えてくれる。


・これからnoteで発信したい事

社会不適合者で普通の道は歩めてない生き方ですが、そんな自分だからこそ発信できる事があるかもしれない。
こんな人生もあるんだな〜、そんなものもあるんだな〜程度で見てくださるとありがたいです。
人に生き方を伝えるといった高尚な事を言うつもりはありません。
多くの人に伝わらなくても、誰かの魂に伝わればいいと思ってnoteを始めました。
まだ使い方が分からず慣れてないものでお見苦しい部分、過激な部分もありますがよろしくお願い致します。


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