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264DAY -梅雨入り時の奥多摩日記-
もしこの世に上界下界という概念があるとしたら、奥多摩は上界であるはずだ。何故ならそれを否定しようとすると、「都会と自然とどちらが心地よいか」という問いが発生し、それを自然であると肯定できないはずがないからである。
人間が生物である以上、自然を拒むことは本能的にできない。全ての人間が美味しい空気を吸いたいと望み、自然からのマイナスイオンを感じたいはずだ。それは世の中のゲームやネットなんかをも超越した中毒性を持っているのではあるまいか。
そう考えざるを得ないほどに、自然の持つ神秘性は凄まじいのである。人間は思い込みで変わる生き物だ。人間が元来持つ本能的な自然の受け入れ。それと人間の精神的特性が錯綜する時、人はとてつもなく心地よい気分になる。
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朝になると、すでに外は明るかった。窓外に山がくっきり見え、鷺がゆったりと通り過ぎる。虫の音色が辺りにこだまし、ありとあらゆる物質に響き渡っている。
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心地よい気分はいつか不快感に取って代わられる。だからこそ常に来たくなる。それが本能なのだ。
電車で帰路に着く。常に余韻が残っている。しかしながら余韻が少しづつ着実に減っているのが分かる。だからまた来るだろう。この余韻を人生で出来るだけ長く感じている為に。
そしてdragon-etはルーヴルへ行く。
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