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『存在と時間』を読む 全88本

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2022年3月の記事一覧

『存在と時間』を読む Part.56

 第2章 本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性

  第54節 本来的な実存的可能性の証しの問題

 最初に一点指摘しておきたいのは、この章と節のタイトルにある「証し」という語についてです。この語は原文では>Bezeugung<であり、「証明する、裏付ける」を意味する動詞>bezeugen<を名詞化したものです。第54節のタイトルは原文で、>Das Problem der Be

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『存在と時間』を読む Part.57

  第55節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎

 ハイデガーは、良心は開示性の1つとしてこの構造に含まれているものですが、そのうちでも「語り」と密接な関係にあると考えています。良心は「呼び掛ける」ものであり、実存する現存在の心に「語り掛ける」ものです。良心の呼び掛けは語りの1つの様態なのです。
 この呼び掛けには3つの要素があります。序論における存在への問いの考察を覚えていますでしょうか。存在へ

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『存在と時間』を読む Part.58

  第57節 気遣いの呼び掛けとしての良心

 良心の呼び掛けで、呼び掛けられる者は現存在ですが、呼び掛ける者は誰でしょうか。この問いにはすぐに答えられるように思えます。呼び掛ける者もまた、呼び掛けられる者と同じように、現存在です。この現象では、現存在が良心においてみずからに呼び掛けるのは明らかだからです。
 しかしこのように答えることは、存在論的に十分なものではありません。良心において呼び掛ける

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『存在と時間』を読む Part.59

  第58節 呼び起こすことの理解と負い目

 この節は長く、日本語訳では特に難解なところだと思います。原文を参照しながら、訳すのが困難な概念の意味を把握していきましょう。

 呼び起こしは、配慮的な気遣いをしている世界内存在を、そのもっとも固有な存在可能に呼び起こします。そのためこの呼び掛けは、何に向かって呼び起こすのかを実存論的に解釈するさいには、個々の現存在における具体的な実存の可能性を画定

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『存在と時間』を読む Part.60

 第58節の続きです。

 無であること、負い目を負っていることは、現存在の存在を規定する根本的な概念です。現存在の根拠のうちにはこのような否定性がそなわっているのであり、現存在は実存することにおいてすでに〈負い目ある存在〉です。
 これは同時に、他者にたいしてもつねに〈負い目ある存在〉であるということです。わたしたちは生きているだけで、他者にたいして何らかの責任を負っているのです。他者が物質的あ

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『存在と時間』を読む Part.61

  第59節 良心の実存論的な解釈と通俗的な良心の解釈

 この節では、実存論的な良心の解釈と、通俗的な良心論の対比が行われます。通俗的な解釈は、存在論的な視点からみて疑わしいものであるとハイデガーは考えています。それでも通俗的な良心の経験も、何らかの形で前存在論的に、良心の現象にふさわしいものがあるのではないでしょうか。存在論的な分析には、日常的な良心の了解を無視して、こうした了解によって生まれ

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『存在と時間』を読む Part.62

  第60節 良心のうちに〈証し〉される本来的な存在可能の実存論的な構造

 これまでハイデガーは良心を実存論的に解釈することを試みてきましたが、良心についての根源的な解釈を進めるためには、良心を現存在の開示性の現象として理解する必要がありました。この開示性としての良心は、「良心をもとうと意志すること」と規定され、これは現存在そのもののうちに、現存在のもっとも固有な存在可能の証しが存在することです

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『存在と時間』を読む Part.63

 第3章 現存在の本来的で全体的な存在可能と、気遣いの存在論的な意味としての時間性

  第61節 現存在にふさわしい本来的な全体存在の確定から始めて、時間性を現象的にあらわにするまでの方法論的な道程の素描

 ここから第2篇第3章に入ります。これまで現存在の本来的で全体的な存在可能について、実存論的な構想を立てることを試みてきました。この章は、第1章で考察された〈死に臨む存在〉と、第2章で考察さ

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『存在と時間』を読む Part.64

  第63節 気遣いの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的な状況と、実存論的な分析論全般の方法論的な性格

 すでに第45節では、この節のタイトルにある「解釈学的な状況」について次のように語られていました。「すべての解釈には、それに固有の予持、予視、予握がある。これらの〈前提〉の全体をわたしたちは”解釈学的な状況”と呼ぶが、解釈が解釈として、ある探究の明示的な課題とされる場合には、こうした解

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