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「ANTHRO VISION」人類学的思考法を身に付けるともっと強くなれる

大いに学ぶものがあった.新しいモノの見方を与えてくれる素晴らしい本だ.社会人類学で学位を取り,Financial Times誌の米国編集委員会委員長を務める著者が,人類学を通して身に付けた観察方法や思考方法,物事へのアプローチの仕方が,ビジネスの世界でいかに役立つかを,豊富な興味深い事例と共に解説している.

Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界
ジリアン・テット,日本経済新聞出版,2022

日本での事例も紹介されている.キットカットだ.世界中で食べられているキットカットだが,以前,日本では売上げが伸び悩んでいた.ネスレのグローバル本社の偉い人達にはその理由がわからない.ところが,日本ではキットカットが語呂合わせで受験のお守りとして使われていることに気付いた日本のメンバーが,「ハブ・ア・ブレイク」ではダメだと悟り,日本独自の営業戦略を考案し,ブレイクを引き起こした.上から目線では成功しない.現場で観察することの大切さがわかる事例だ.

このように本書では,人類学者のように「虫の目」で世界を視て,「鳥の目」で集めた情報と組み合わせることで,「社会的沈黙」に耳を澄ます技術としての「アンソロ・ビジョン(人類学的視野)」が紹介されている.

問題として指摘されているのは,現代社会の知的ツールが機能不全に陥っているという事実だ.経済予測にしても選挙結果予測にしても,外しまくっている.その原因は,知的ツールの設計者や使用者の視野が狭いことにある.西洋世界で生まれ,そこで教育を受けて育った人達は,自分たちの思考方法や行動様式を当然のモノであり,誰もがそれを採用していると無意識(無邪気)に信じているが,そんなことはまったくない.これは,西洋に限らず,どこにでもあてはまる.我々の思考や行動にはバイアスが乗りまくっている.まず,そのことに自覚的でなくてはならない.

世界的に社会が凄まじい速度で変化しており,「極端な不確実性」に対処していかなければならない現在において,視野が狭いことは命取りだ.自分とは異なる人々に共感し,理解する必要がある.そのための努力を怠ってはならない.ただ,実際に,具体的にどうすればいいのか.そのための道具として,非常に役に立つのが,「アンソロ・ビジョン」,人類学的なフレームワークというわけだ.

ビッグデータや人工知能(AI)を活用することで,何が起こっているか,様々な事柄にどのような関係があるかは説明できるようになる.しかし,注目している事象の原因,なぜそうなのかということについては,簡単にはわからない.現代の難しい問題を解決していくためには,広い視野と原因を突き詰める視点を持つことが必要であり,未知なるものを身近なものに,身近なものを未知なるものに変化させつつ,見えないモノを見,聞こえないモノを聞くことが重要である.それらを可能にしてくれるのが,アンソロ・ビジョン(ANTHRO VISION)だという.

著者ジリアン・テットは,アンソロ・ビジョンを身に付けるための方法を5つ提示している.

  1. 誰もが自らの生態学的,社会的,そして文化的な環境の産物であることを理解する.

  2. 「自然な」文化的枠組みはひとつではないと受け入れる.人間のあり方は多様性に満ちている.

  3. 多の人々への共感を育むため,たとえわずかなあいだでも繰り返し田の人々の思考や生き方に没入する方法を探す.

  4. 自分自身をはっきりと見るために,アウトサイダーの視点で自らの世界を見直す.

  5. その視点から社会的沈黙に積極的に耳を澄まし,ルーティーンとなっている儀礼や象徴について考える.ハビトゥス,センスメイキング,リミナリティ,偶発的情報交換,汚染,相互依存,交換といった人類学の概念を通じて自らの習慣を問い直す.

それぞれの意味は,本書に示された具体的な課題解決の事例を通して学ぶことができる.とても参考になった.

特に大切なのは,視点,モノの見方だ.人類学であればとにかく現場で観察する.それがビジネスを含めて様々な分野の課題解決に大いに役立つというのが面白い.

大学には様々な学部や学科がある.そこでそれぞれの分野の知識を身に付けているわけだが,そういった知識そのものよりも,そこで身に染み付くモノの見方が決定的に重要だと思っている.私は,化学工学やプロセスシステム工学と呼ばれる分野の出身なので,いつでも何を見ているときでも,収支(物質やエネルギーやお金や人の出入り)を考える,抽象化して把握する(異なるように見える課題の共通点を探る)ことを無意識に行っている.この化学工学的・システム工学的なモノの見方,あるいは思考法は,とてつもなく強力な道具であり,私の活動を支えていてくれる.

多様なモノの見方ができると強いはずだ.そのような観点から,ある分野に引き籠らずに,様々なことを学ぶのには大きな価値がある.大学でいきなり専門の勉強ばかりするのではなく,いわゆる一般教養と言われることも身に付けると良いはずだ.それを役に立たないとか言っている人は,恐らく断片的な知識を頭に叩き込むことを勉強だと思っているのだろう.大事なのはそれではない.

本書「Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界」を読んで,学んだ方法論を意識して実践していこうと思った.ただの知識ではなく,人類学的なモノの見方を教えてくれる本書はオススメだ.

【目次】
まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス

第一部「未知なるもの」を身近なものへ
第一章 カルチャーショック ― そもそも人類学とは何か
第二章 カーゴカルト ― インテルとネスレの異文化体験
第三章 感染症 ― なぜ医学ではパンデミックを止められないのか

第二部 「身近なもの」を未知なるものへ
第四章 金融危機 ― なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
第五章 企業内対立 ― なぜゼネラル・モーターズの会議は紛糾したのか
第六章 おかしな西洋人 ― なぜドッグフードや保育園におカネを払うのか

第三部 社会的沈黙に耳を澄ます
第七章 「BIGLY」 ― トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
第八章 ケンブリッジ・アナリティカ ― なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
第九章 リモートワーク ― なぜオフィスが必要なのか
第十章 モラルマネー ― サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
結び アマゾンからAmazonへ ― 誰もが人類学者の視点を身につけたら
あとがき 人類学者への手紙

© 2022 Manabu KANO.

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