政治家に要求される倫理を示したマックス・ウェーバーの「職業としての政治」
倫理も責任も何もあったものではない,口先だけの政治家が目に付く.そういう今なので,「職業としての政治」を取り上げる.国家レベルでの政治について書かれた本ではあるが,心情倫理と責任倫理の2つを区別する考え方は,日常生活の様々な場面での人々の振る舞いを解釈する上で有用だろう.
マックス・ウェーバー,「職業としての政治」
本書でマックス・ウェーバーは,政治とは何かという定義から始め,その裏付けが暴力にあることを指摘し,欧米の歴史を参照しながら,政治家が持つべき資質について論じている.政治家と官吏とが果たすべき役割の違いを明確にし,官僚政治の問題を指摘している.
ここでは,特に政治家の倫理について考察されており,宗教的価値観につながる心情倫理と結果責任を問う責任倫理の2つを区別することで,政治家に要求される倫理とはいかなるものであるかを明確に示している.
まず,官吏(国家公務員)と政治家(特に政治指導者)の役割と責任の違いについて書かれていることを紹介しよう.
生粋の官吏はその本来の職分からいって政治をなすべきではなく,「行政」を―しかも何より非党派的に―なすべきである.・・・官吏である以上,「憤りも偏見もなく」職務を執行すべきである.闘争は,指導者であれその部下であれ,およそ政治家である以上,不断にそして必然的に行わざるをえない.しかし官吏はこれに巻き込まれてはならない.党派性,闘争,激情―つまり憤りと偏見―は政治家の,そしてとりわけ政治指導者の本領だからである.政治指導者の行為は官吏とは全く別の,それこそ正反対の責任の原則の下に立っている.官吏にとっては,自分の上級官庁が,―自分の意見具申にもかかわらず―自分には間違っていると思われる命令に固執する場合,それを,命令者の責任において誠実かつ正確に―あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように―執行できることが名誉である.このような最高の意味における倫理的規律と自己否定がなければ,全機構が崩壊してしまうであろう.これに反して,政治指導者,したがって国政指導者の名誉は,自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり,この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし,また許されない.官吏として倫理的に極めて優れた人間は,政治家に向かない人間,特に政治的な意味で無責任な人間であり,この政治的無責任という意味では,道徳的に劣った政治家である.こうした人間が指導的地位にいていつまでも跡を絶たないという状態,これが「官僚政治」と呼ばれているものである.
日本では,ノブレス・オブリージュ(欧米社会の道徳感で,身分の高い者には相応の社会的責任と義務があるという考え方)が根付くことなんてないのかもしれないが,政治家をはじめ影響力を持つ人が社会的責任を果たそうという意志も態度も示せないのは嘆かわしいことに思える.
次に,心情倫理と責任倫理について見ておこう.この2つの倫理の対立を,マックス・ウェーバーは以下のように述べている.
まず我々が銘記しなければならないのは,倫理的に方向付けられたすべての行為は,根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ,すなわち「心情倫理的」に方向づけられている場合と,「責任倫理的」に方向づけられている場合があるということである.心情倫理は無責任で,責任倫理は心情を欠くという意味ではない.もちろんそんなことを言っているのではない.しかし,人が心情倫理の準則の下で行為する-宗教的に言えば「キリスト者は正しきを行い,結果を神に委ねる」-か,それとも,人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行為するかは,底知れぬほど深い対立である.
これだけだとピンと来ないかもしれないが,次の例を読むと,思い当たることがあるのではないだろうか.
突然,心情倫理家が輩出して,「愚かで卑俗なのは世間であって私ではない.こうなった責任は私にではなく他人にある.私は彼らのために働き,彼らの愚かさ,卑俗さを根絶するであろう.」という合い言葉を我が物顔に振り回す場合,私ははっきりと申し上げる.まずもって私はこの心情倫理の背後にあるものの内容的な重みを問題にする.そしてこれに対する私の印象はといえば,まず相手の十中八九までは,自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンティックな感動に酔いしれた法螺吹きというところだ,と.
身勝手な正義感をむき出しにする○○警察などは心情倫理家の例だろう.SNSで誹謗中傷して誰かを追い詰める人の中には正義感からやったと弁解する人もいる.「職業としての政治」を読んで,今の時代の政治について今一度考えてみることには意味があるだろうし,また,自分の言動を見直してみることも大切だろう.
マックス・ウェーバー,「職業としての政治」
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