【怪異譚】社(やしろ)
5才くらいまで、私は父の仕事の都合であちこちと転々としていたのだが、その体験は長野県のI市というところに住んでいた時のものだ。
I市では空き家になった古い民家を借家として住んでいた。5才になるかならないかという頃だったと思う。
小さな子供のことだから、特にわだかまりなどなく、すぐに近くの子供たちと一緒に遊ぶくらいに仲良くなった。鬼ごっことか、かくれんぼとかそういうごく当たり前の子供の遊びをして過ごしていた。
神社にある奇妙なロープ
私の家の近くにあった神社の境内も、格好の遊び場の一つだったのだが、不思議なことがあった。
と言うのも、社殿の後ろに細い道があるのだが、鬼ごっこなどをしていても、皆そこから先に入ろうとしないのだ。
細い道は、たしかに白いロープのようなものでふさがれていたのだが、子供でもまたげるくらの背の低いものだったので、道に入ることは容易に思えた。
にもかかわらず、その細い道に入れば逃げられるのに、その前で立ち止まるのだ。
不思議に思って「この細い道の方になんで逃げないの」と聞いてみると「入っちゃいけないと言われているから」」とか「お父さんに叱られるから」とか、そういう声が返ってきた。
現在になって考えてみると、白いロープはしめ縄のようなものであり、細い道の向こうはいわゆる”入らずの森”というやつで、地元の人には聖なる区域だったのだろう。
しかし、そんな事情など知らない”よそ者”のしかも”恐れを知らない子供”の私は、その社屋の後ろにある細い道の向こうに何があるのだろうかなどと考えたりしていた。
幼い子供の大冒険
ある日”冒険”と言って、その細い道に入っていくことにした。幼い私一人で。
周りの仲間が恐れて誰も入ることが出来なかった道に、5歳の幼児が一人で入るのだ。もう本人は英雄気分だ。
白いロープを抜けて、細い道を行くと、特に困難な障害などはなく、あっという間に道は終わりとなった。
道の終わりにあったもの
道の終わりにあったのは、真っ黒な”社(やしろ)”だった。何が祀られているのかは分からないが、その形はまさしく神社のそれだった。
大きさはどのくらいかは覚えていない。非常に大きかったようにも思えるのだが、それは建物というよりは、”社(やしろ)”の後ろにある大岩が目に入ったからかもしれない。
いや、正確に言えば、大岩は”社(やしろ)”の後ろではなく。大岩の中に”社(やしろ)”が半分めりこむ様な形で建っていた。
岩の大きさはだいたい直径10mくらいあっただろうか。岩の中に閉じこめられたように建てられた真っ黒な”社(やしろ)”。
それは今、考えても異様な光景であり、その不気味さ、非日常的な感覚は今でも私の心に焼き付いている。
社が黒かった理由は
私はその雰囲気に圧倒されながらもおそるおそる”社(やしろ)”に近づいた。”社(やしろ)”からは低いうなり声のような音がもれているように感じた。
”社(やしろ)”に近づくのは非常に怖かったのだが、それを子供特有の未知への好奇心が上回り、扉の前へと近づくと私はあることに気が付いた。
遠くから見たとき真っ黒だと思っていた建物は真っ黒では無く、何やら文字のようなものが書かれており、それが”社(やしろ)”の壁という壁を埋め尽くすように書かれていたのだ。もちろん、幼児の僕には、何が書かれているかなんて分かるわけがなかったのだが。
今、考えると、そこに書いている意味が分かれば、”社(やしろ)”には絶対に近づかなかっただろう。
後々のことを考えると、この”社(やしろ)”に書かれていた文字は、”耳なし芳一”の身体に書かれた文字のように、お経かもしくは鎮魂の呪文のようなものであったと思われるのだから。
社の扉を開けると
さらによく見てみると、”社(やしろ)”の扉には、恐ろしい猛獣でも閉じこめているのではないかと思わせるような大きな南京錠がかけられていた。
私は、これじゃあ中に入れないな、十分に探検したし帰ろうかな、と思いながら、南京錠を無視して扉を開けようとすると、カチャと音がして、南京錠はあっけなく扉から取れて地面に落ちたのだった。それを見た私は「まぁ開いたんだし」と思い、恐る恐る扉を開けた。
扉を開くと中は真っ暗であった。
いや、真っ黒と言った方がいいかもしれない。外の光がボンヤリとしか入ってこなかったため薄暗かったこともあるのだが、なによりも”社(やしろ)”の内側の壁一面にも文字が書かれており、それが”社(やしろ)”の中を暗く感じさせることの一番大きな原因だった。
社の中にあったモノ
それでも目をこらして”社(やしろ)”の奥の方を見ると、”社(やしろ)”を飲み込んでいた大岩が剥きだしになっており、その中央部だけが何やら岩の色とはまったく異なった華やかな色彩が浮きだっていた。
よく見ると、それは着物、それも真っ赤な振り袖だった。岩に振り袖が貼りつけられていたのだ。
しばらくの間、その血のように鮮やかな赤に、目を奪われていたのだが、暗がりに目が慣れてくるにつれて、着物が岩に貼り付けられていたのでは無いということが分かった。 着物は貼り付けられていたものの一部であり、そこに貼り付けられている”モノ”が着ていたものだったのだ。
”人”ではなく”モノ”としたのは、それが、決して”人”では無かったからだ。確かに振り袖の袖からは手が出ていた。
しかし、それは人間の手とは思えないようなほど土褐色にひからびたもので、ほとんど後ろの岩に同色化しており、そのような形に岩が削られているようにも見えた。
その手は、これも真っ黒な鉄輪で岩に固定されていた。
そして、そこから視線を上の方に移すと、そこには、ほとんど後ろの岩に同化していたが、確かに”顔”のようなものがあった。それを見て、私は自分が”見てはいけないものを見てしまった”ことを悟った。同時に我慢できないほど怖くなり、その場から逃げ出そうとした、その時!
岩なのか、顔なのか分からなかったものの中心あたりに急に二つの白い穴生まれた。 そう、それはどう考えても”目”だった。それも、黒目の無い白目だけの目玉が二つ、見開くようにして、現れたのだ。
暗い”社(やしろ)”の中、暗褐色の岩肌の中で鮮やかに彩られた振り袖、そして無機質な中で、それだけが生々しい雰囲気を持った目玉。
その光景は、幼い私の心に焼き付き、そして今でも恐ろしさと共にハッキリと思い出すことが出来る。
逃げる私を追いかけるモノ
その圧倒的な恐怖の中で、私は泣き出す余裕すらなく、ただ逃げようとして、大岩に背を向けると、全速力で走りはじめたのだった。
”社(やしろ)”から外に飛び出した時、後ろの方で何か音がした。
この”社(やしろ)”に入ろうとした時に聞いた低いうなり声のような音。
そして”ガチャン”と何か金属製のものが落ちたような音。
さらにガチャガチャと金属のようなものを引きずりながら、何者かがこちらに向かってくるような音。
私は、その音から逃げだそうと、死にものぐるいで振り向きもせずに走った。
「とにかく、早く逃げるんだ!」
その気持ちだけが、その時の私の全てだった。
ところが、来るときは”社(やしろ)”まであっという間に感じた道なのに、走っても走っても最初の入り口にたどり着くことが出来ないのだ。
全速力で走っているため、息はとぎれとぎれになり、意識も朦朧となってきて、ただ耳に響く、僕を追いかけているような音と低いうなり声だけが鮮明に聞こえた。
走っても、一向に出口は見えず、追いかけてくる音だけが次第に大きくなり、明らかに僕との距離を縮めていることが分かった。
息も絶え絶えになり、足がもつれ、「もうダメだ」と諦めかけたとき細い道の入り口にあったロープのようなものが見えた。
最後の力を振り絞って、白いロープを飛び越えるようにして走りぬけると同時に、遠ざかっていくうなり声。
「助かった」と思った途端、私の全身の力はすぅっと抜けて、意識を失った。
気づくと家に帰ってきていた
気が付くと、私は自分の家の布団の中だった。目を覚ますと、母が布団の脇にいた。
目を覚ましたのに気づいた母は「よかったぁ」とだけ、心の底から言って、黙った。母の目はずっと泣いていたかのよう見えた。
私が布団から起きようとすると、母は押しとどめた。
「どうして」と言おうとした僕の口を母はふさいだ。
そして、低い声で諭すように「静かにしていなさい」とだけ言った。
その母の迫力に圧されて、私は、また布団に横になった。
もう一度寝ようと目を閉じると、隣の部屋がヤケに騒がしい。どうやら近所の人の何人かが、家に来て騒いでいるようだ。
「どうしてくれるんだ!」とか「これだから、よそ者は」とか「とっとと出ていってくれ!」など怒号が飛び交う中、「すいません、すいません」と謝る父の声が壁越しに聞こえた。
その騒ぎの原因が私であろうことを何となく了解し、「僕は何をしてしまったのだろうか」と怯えながら、しかし身体を襲う疲れには勝てず、また眠りについたのだった。
社に入った報い
朝、起きてみると家の中はすっかりと片づいていた。引っ越しには慣れっこだったが、こんなに急な引っ越しは初めてだった。
父は「仕事が終わったから、引っ越しな」と私に言ったのだが、本当のことかどうかは分からない。
ただ覚えているのは、父の運転する車に乗り、I市の家を離れたとき、数日前までは何も無かった葬式の黒白幕や花輪が借家の近所の家にいくつも立っていたこと、そして黒い”社(やしろ)”があったあの神社は、厳重なバリケードのようなものがされ、誰も入れなくなっていたこと、その2つだけは覚えている。
突然の引っ越し、何軒もの近所の葬式、神社の封鎖、そして幼い私が見た黒い”社(やしろ)”とその中にいた”モノ”。
それらが実際に関係があったのか、どうかは分からない、仮に関係があったとしても、どう繋がっているのか、想像すらつかない
ただ、このこと、というよりI市に住んでいたということすら、これまで私は父や母に聞いたことはなかったし、父や母からも語られることはなかった。
おそらく、これからも話題に挙がることは無いだろうから真相は闇の中で、幼い頃の悪夢として、私の記憶の中に残っていくのだろう。
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