【怪異譚】肝試し
昭和の終わり、1980年代には、まだ廃墟と呼ばれるところが数多くあった。
廃墟と言うよりは空き家といったほうがよいだろうか?
バブル景気が始まる直前くらいには、誰も住んでいないで、朽ち果てている住宅がかなりの数、アチコチにあったのだ。
”エンドサンチ”もそういう廃墟だった。
外から見ると、壁や屋根に穴が開いていたり、窓ガラスが割れていたりでボロボロだった。
おまけに、家の周りにはゴミかガラクタか、よく分からないもの、例えば錆びた三輪車や昔の雑誌、ボロボロの布切れが大量にはいったビニール袋などが大量に置かれていた。
当時、小学生だった私の同級生の中には、”お化け屋敷探検”と言って、その廃墟に忍び込んだものが、何人かいた。
大抵は、「中に子供の描いた絵があって不気味だった」とか「誰もいないはずなのに線香の匂いがした」などということを得意げに話してきた。
小学生最後の夏休み、事件は起こった。
夏休みが始まってすぐのことだ。
テレビでは恐怖体験談特集がやっていた頃だ。
その中で、近所の廃墟に肝試しに入った者が行方不明になるという内容の再現ドラマがあった。
それを見た同級生の高橋君が、私を含めて仲がよかった4人に声をかけて、「俺たちもやろうぜ!」と言い出したのだ。
さすがに夜は怖かったので、日の長い夏の夕暮れ、それは実行された。
内心、私は非常に怖かったが、高橋君を先頭に恐る恐る5人で”エンドサンチ”へと入っていった。
廃墟の割には、埃っぽくないなぁ、などと思っていたところ、前の方にいた高橋君が「わぁ!」と大声をあげた。
すると突然、何を言っているのか分からない怒鳴り声と共に、熊のような大男が追いかけてきたのだ。
5人の内、私を含めて3人は何とか逃げることが出来たが、先頭の高橋君を含め、2人が逃げ遅れた。
その後、逃げ遅れた2人の姿を見ることもなく、親や学校などには、悪いことをしていたこともあり、話せずにおり、同級生同士でも、それについて話すことはタブーとなった。
夏休みが開けても、逃げ遅れた高橋君を見ることは無かった。
家の事情で隣地区の小学校に転校したということだった。
転校は夏前から決まっていたということだったが、我々の中では「エンドサンチのクマ男に捕まり、殺された」という怪談となり、そして小学校の卒業を迎えた。
中学生になり、消え去った高橋君と同じクラスで再会した。
高橋君がいう事には、”エンドサンチ”とは「遠藤さん家」で、高橋君の母方の実家にあたる家だという。
今は誰も住んでおらず、お盆とその前後だけ、盆参りと大掃除で、親戚一族が集まっていたという。
高橋君は、自分の実家がお化け屋敷とされていることを、敢えて隠しており、頃合いを見て、皆を驚かせようとしていたという。
転校することを知り、この時とばかりに仲の良い親戚に相談して、肝試しに私を含めた3人を誘ったのだと言う。
皆が飛び上がって驚き、慌てて逃げていく姿は面白くて忘れられないと笑いながら話してくれた。
それを聞き、私には、一つの疑問が生じていた。
「あれ?肝試しって5人で行っていたのでは。そして、高橋君の他に、もう一人いなくなっていたのでは?」と。
あれから30年以上経っているが、私はまだ、その疑問を口に出せずにいる。
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