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素敵〜なぜ”てき”がいるのか〜

こんばんは、いっせいです。

以前も「シャレ」という言葉について書きましたが、今日も同じように気になる言葉が出てきました。
友人とLineをする中で「素敵」という言葉を使ったのですが、ふとなぜ”敵”という言葉が使われているのか、気になりました。

素敵という言葉の由来

まず、結論から書いてしまいますが、「漢字文化資料館」という大修館書店さんが運営されているサイトにて既に考察されていました。当て字であり、素敵に"敵"が使われている理由ははっきりとわかっていないようです。

「すてき」は、江戸時代も後半になってから使われ始めたことばですが、その語源は、「すばらしい」の「す」に「的」がついたもの、という説が有力です。と言われてもピンと来ない人も多いでしょうが、江戸の終わりから明治にかけての時期には、泥棒のことを「泥的」、官僚のことを「官的」というような俗語があって、それと似たような用い方をされたものなのでしょう。となると「すてき」とは「す的」なのであって、「素敵」は当て字だ、ということになります。事実、「すばらしい」を「素晴らしい」と書くことから生じたのでしょうか、「すてき」を「素的」と書く書き表し方もあって、昔はこちらの方が「素敵」よりも優勢だったといいます。つまり、「素敵」に「敵」が使われているのには、きちんとした理由は全くない、ということになるのです。

「漢字文化資料館」

なので、ここからは独自で解釈していこうと思います。

”敵”という言葉

まず、敵という言葉についてデジタル大辞林では、次のように書かれています。

1 戦い・競争・試合の相手。「大国を敵に回して戦う」「敵の意表をつく」「敵をつくりやすい言動」⇔味方。
2 害を与えるもの。あるものにとってよくないもの。「民衆の敵」「社会の敵」「ぜいたくは敵だ」
3 比較の対象になる相手。「敵のほうがもてる」「弁舌にかけては彼の敵ではない」

「コトバンク」

1と2の意味は良くない意味になります。
素敵という言葉に関わってきそうなのは3の印象を受けますね。

素敵という言葉は”相手を認めている状態では?”

一方で”素”という感じについては、次のような意味があります。

他の要素がつけ加わらない、ありのままのさまをいう。そのままであること。

「コトバンク」

"素敵"という言葉は褒め言葉として使われます。

敵という言葉が「自分の比較の対象になる相手」を指すのであれば、その比較相手を変に脚色せずそのまま捉えている状態なのではないでしょうか?

”素敵”という言葉は、自分と匹敵する相手に対して、その相手を卑下することなく相手のありのままの姿を捉えられる状態を指すのかな、と感じます。

比較するのは、自分自身の位置を捉える時に行う行為です。
比較相手と自分の状態をそのまま捉えること。自分の物差しを持てている状態自体がすばらしいことなのかな、と感じます。

特に答えもないことを考える、いろんな頭の引き出しを広げる良いチャンスですね。

あなたはどう思いますか。ぜひ考えてみてください。

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