見出し画像

シャニマスが私を武者震いさせている件

 シャニマスが来る

 麒麟がいつ来るかは分からない。もしかすると、来るのは麒麟ではなく秀吉かもしれない。だがシャニマスはどうだろうか。シャニマスは来る。明日来るのだ。私は震えている。武者震いだ。今更説明は不要だろうが、あえて述べたい。シャニマスで、4月1日におきることを。

 まず、エイプリルフール。もはやソシャゲといえばエイプリルフールといった感も強いこのご時世、今年も昨年同様に何かが起きるだろう。前回は突拍子もない謎の物語(分岐あり)が出現し多くのプレイヤーを困惑させていた。シャニマスは妙なところに力を注ぐので、今回も期待できるのではないだろうか。

画像1

意気込みは高く評価したい

 ついで来るのは芹沢あさひにとって2枚目のP-SSRとなる【空と青とアイツ】。私はストレイライトの物語をそれなりに追いかけてきたつもりだが、実を言うと芹沢あさひについてはまだまだ分からない部分が多く(まぁそういうキャラクターだから仕方ないのだが)、このカードは何としても手に入れ、ストーリーを読み、その活躍を見届けたいという切実な思いがある。あと演出がめっっっっっっっっっっっちゃいい!!!

画像2

これは何の関係もないオデュッセウス(FGOの推し)

 そしてこれは推測の域を出ないが……新ユニット「ノクチル」もこの日を皮切りに実装され始めるのではないだろうか。昨年のストレイライトがそうだったように。その場合、一番手となるのは浅倉透。公式プロフィールによれば「透明感あふれる佇まいには誰をも惹きつけるオーラがある」とのこと。私は一言「顔がいい……」と言ってぶっ倒れた。彼女に向けられるユニット内からの感情(主に樋口円香からの感情)がどのようなものかも楽しみにしている。

スクリーンショット 2020-03-30 23.36.21

透明少女

 そして最後に……『WorldEnd:Break Down』。ストレイライトのイベントだ。詳しくは後述するが、明らかに今回のイベントは和泉愛依にまつわるイベントになるはずだ。そして、ストレイライトにとっても、シャニマスにとっても重要なイベントになるだろう。私をワクワクさせている最大の要素だ。

 さて、私の興奮を説明するだけならこれでいいのだが、どうせなら少しだけ「自分語り」をさせてほしい。
 より正確に言えば、この一年のストレイライトを私がどのように見て、追いかけてきたのかを、多くの人に知っていてほしい。『WorldEnd:Break Down』に対して私がかける思いは本当に大きい(私がどうこうできる話でもないのだが)。では私はなぜそれほどの思いを抱いているのか。その説明を、頼まれてもいないくせに、してみたいと思うのだ。

 4つの記事を振り返って

 ストレイライトについて、これまで私は4回記事を書いてきた。

・第1の記事

 『ストレイライトへの視線』は、2019年4月10日に公開。同月1日から芹沢、黛、和泉という順番でP-Rのカードが配布され、プレイヤーは彼女たちのW.I.N.G.編の物語に触れることができた。その直後に書かれたこの記事は、ストレイライトの各メンバーに対する印象を主にまとめたものだ。

 私は、アイドルというのは非人道的な職業だと思っている。その最大の要因は「常に他人の視線に曝されている」という不可避なリスクだ。そして、時にそのリスクを軽んじて進むアイマスの物語に、あまりに勝手で都合が良すぎると思ったことも少なくない。
 だが、ストレイライトは、人の目線に曝されるというアイドルの残酷な宿命と真摯かつ巧みに向き合えるユニットなのかもしれないと期待を抱いている。

 記事の中で私は、アイドルが「視線に晒される」ことに注目した。ストレイライトのメンバーが、アイドルとして必ず直面するリスクに対し、各々の戦術や矜持を抱えつつ挑戦していく。その姿は、時に無責任に「ありのまま」を掲げる事よりもずっと困難で、現実的で、それでいて誠実だと私には思えた。特に和泉愛依には、キャラクター面でも物語性でも響くものがあり、同時に彼女のこの先の物語に一抹の不安もあり、一層の関心を持って追いかけることになった。

・第2の記事

『Straylight.run()の感想』は、そのタイトル通り、2019年夏のストレイライトのイベント『Straylight.run()』の内容を振り返り、その感想を記したものだ。

 まず冒頭ではS-Rのコミュも踏まえてユニットとしてのストレイライトの状況を把握。その後はイベントのストーリーを時間軸に沿って追っていった。余談だが、今振り返るとすごく読みづらい構成になっていたので、機を見て形式を編集しておきたい。

・こうして、シナリオは一貫してあさひと冬優子の対立軸にこだわる。能動と受動。運命的な対立軸が、ストレイライトの最大の強みである。この対立軸は、冬優子とあさひの互いへの尊重によって輝き、強化される。その対立軸を、軸線上から外れた位置で見守り、支え、時には進めるのが今の愛依であり、そしてこれから彼女もまた、運命的対立軸と向き合っていくのだろう。

 芹沢あさひと黛冬優子の相克を能動・受動の対立軸になぞらえたことは、現在の私の考えの根幹を成していることから極めて重要だ。これに対する違和感がないわけではないが(後述)、ユニットの構造として大きく外れてはいないと思う。

 そして同時に、和泉愛依が露骨なほどにその対立関係から外されていることが、逆に彼女の今後を予感させていた。遠くないうちに実装された感謝祭シナリオへとその伏線は結びつく。

 だが、私は感謝祭編の意味を低く見積もりすぎていた。感謝祭編のシナリオは確かに感動的であったが、ある意味ではStraylight.run()の流れを踏襲しており、それほど大きな意味のあるシナリオではないように思えたのだ。
 感謝祭編での重要ポイントは、和泉愛依が芹沢あさひと黛冬優子をライバルとして認識した点であると考えている。先述した対立軸に、和泉愛依がようやくファイティングポーズをとった。この意味は本当に大きかったはずなのだが……今悔やんでも仕方のないことだが、あの当時思考をまとめていれば、もっと鮮明にストレイライトを理解できたかもしれない。

・第3の記事

 見過ごしてしまった感謝祭編の内容も含めて、和泉愛依とストレイライトのあり方について、一つのモデルを得られたと自負しているのが、『和泉愛依の中動態』である。

 この文章は我ながらかなりよく書けた文章だと思っているが、この記事には書かれていない、注意すべき事項が複数ある。
 まず、この文章のアイデア自体は10月に行われたバンナムフェス前後から温めていたものだったということ。というのも、「能動と受動」というアイデアは私の中で確固として存在し続けていたので、和泉愛依をその中間に置く、という発想は直観的に「ありそう」なことだった。
 結局これは思いつきのレベルを上回ることができず、新しい記事は先送りされてしまうことになる。そんな中でストレイライトの2周目P-SSRの先陣を切る形で【メイ・ビー】和泉愛依が実装。そのストーリーがかなり切り込んだものであったことから、再び「中動:和泉愛依」という発想を文章にすることを考えはじめた。
 その執筆に苦戦している中、アルストロメリアのイベント『薄桃色にこんがらがって』が始まった。この影響はとんでもなかった。緻密で練りこまれた、決して厳しくはないが優しくもない世界がそこにはあった。それはシャニマスがこれまでずっと描いてきた世界そのものだった。
 そしてそのことに気づいた時、これまで和泉愛依、ストレイライトという個人やユニットのレベルに終わっていた問題が、一気にシャニマスの世界のあり方という問題にまで引き上げられた。それは、この記事の方向性が決まったことを意味していた。

 こうして和泉愛依は、責任の所在が曖昧な問題の中でもがいている。もしかすると、アイドルとは人生とはそういうもので、誰もが似たような苦しみを味わっている、ということの一例に過ぎないのかもしれない。だが、そのことがプロデュースの中で強く打ち出されているという意味で、和泉愛依は特殊である。
ストレイライト内には受動と能動の強烈な対立軸が存在する。この芹沢と黛に追いつき、追い越すことは容易ではない。だが、アイドルとしての和泉愛依には、「自分が、自分を見据えながら、自分のために」戦ってきた経験がある。それを生かせば、彼女は中動的なアイドルとして、その対立軸を飛び越えた世界で戦えるかもしれない。そしてそのことは、芹沢や黛のあり方に何かしらの影響を与えるかもしれない。

 この記事に関しては、これ以上簡単に解説することはできないだろうから、是非とも実際に読んでもらいたい。それでも要所だけをかいつまんで話すならば、次のようになる。

 和泉愛依の問題はシャニマスの世界らしい実に複雑な問題であり、そして和泉愛依はその中で自分のために足掻くことで、芹沢あさひや黛冬優子と戦うことができる。

・第4の記事

 ちょっとズルい気もしたのだが、第3の記事の直後に『「和泉愛依の中動態」の附則』として書いたこの文章では、第3の記事についての反省が述べられている。特に、「芹沢と黛」を「能動と受動」と把握するのは少し無理筋ではないか、というのは繰り返し自問自答している部分である。

 ただ、これに関しては一応の言い訳は考えている。「能動・受動・中動という捉え方は、解釈ではなく一つのモデルにすぎない」というものだ。10人いれば10人を納得させるのが解釈だとすれば、10人いれば10通りあるのがモデルである。

 私は和泉愛依を中動態の申し子と見なし、シャニマスの世界の法則を「中動態」と見なす。私はこの「ずっと説明しにくかったシャニマス世界のあり方を表す言葉を獲得した」のが何よりも嬉しいのだ。他の人は、それを別の言葉で呼ぶのかもしれないし、もしかしたら1年後には私は別の名前でそれを呼んでいるかもしれないけれど。

 中長期的な構成の妙

 振り返ってみると、この1年でのストレイライトの出番は、少ないわけでもないが、特に多かったわけではない。感謝祭シナリオは各ユニットに設けられているし、イベントもできるだけ各ユニットに公平に与えられていたように思う。

 そうした機会を最大限に活かしつつ、1年間でのアイドルの成長を描く。単体のイベントシナリオの質に注目しがちだが、中長期的に見た時の一貫性・安定感もまた、私がシャニマスに信頼を寄せる理由の一つだ。

 興味深いのは、この1年を経てストレイライトの立場が大きく変わっていることだろう。
 『Catch the shiny tail』でプロデューサーが真乃に「みんな普通の女の子だ」と言ったのは1年前のこととはいえ記憶に新しい。
 その世界に「偶像となる」ことで戦いを挑む存在。それこそがストレイライトであり、異質な両者は『サマー・ミーツ・ワンダーランド』や『きよしこの夜、プレゼン・フォー・ユー!』でゆっくりと互いを受け入れていった。
 そして今度は、「ノクチル」という新しい少女が現れようとしている。彼女たちについての情報は少なく、あまり饒舌に語ることはできない。しかし、その幼馴染という特性や「透明に別れを告げる」というコンセプトは、既存のアイドルとは一線を画している。

 シャニマスの世界にやって来るノクチル。それをストレイライトは待ち構えながら、登場1年の区切りを迎えようとしている。この相克もまた、これから先のシャニマスに新しい色を加えてくれると思うと、楽しみでならない。

 開幕戦

 先の生放送で4月1日からストレイライトのイベントが始まると聞いた時の私の気持ちといったら、それはもうとんでもなかった。

 それは、言葉にするのは難しいのだけれど、実に心地よい感情だった。「中動態」の申し子が、またしても中動態の世界に挑む。1年を経た和泉愛依は強く、しなやかで、優しいから、何の不安もない。勝利や栄光が約束されているわけではない。むしろ、挫折が待っているかもしれない。しかし、和泉愛依とストレイライトは決して諦めず、決して負けない。

 私にできることは何もないが、信じている。和泉愛依を。シャニマスの世界を。そしてそれらを作り上げてきたクリエーターを。

 多くの楽しみが奪われつつある世界の中で、シャニマスの3年目が開幕戦を迎えようとしている。私は、ただただ、画面の向こう側でアイドルたちの幸運を祈り、その活躍に胸を躍らせ、そして時には色々な思いを書き連ねていきたいと思う。

この記事が参加している募集

#私のイチオシ

51,222件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?