ストレイライトへの視線

 はじめに、この文章がストレイライト3人をプロデュースした第一印象、所感に大きく依存していることを断っておく。つまり、この文章内での誤解や違和に関する責任は大抵において筆者のゲームプレイ不足、または個人的な信念に由来するものである。

 ストレイライトは、視線に曝されることを強く意識して構成されるユニットである。
 プロデュースで
 芹沢あさひは、強い好奇心とそれに導かれる集中力及び実現能力の高さでアイドルの道を邁進し、その先で自分を見つめる暖かい視線に気がつく。
 黛冬優子は、人格を演じる自分を心から肯定し、自分へ向けられるあらゆる視線を騙しきるという壮大で優しい嘘に挑む。
 和泉愛依は、舞台上で緊張する自分を視線から守るため、イメージを塗り替えることに挑戦する。

 アイドルはファンの視線に曝される存在である。高みに登るほど、ファンの目線は増える。それを拒むことはいかなるアイドルにもできない。
 その全てが優しい視線とは限らず、また優しい動機が結果的に視線を歪ませることもある。アイドルにとって、視線に曝されることは自身の存在価値と不可分であるのに。
 アイドルの前提条件であると同時にアイドルが抱えるリスク。「誰かの視線に晒される」とはそういうことである。

 このリスクをアイドルが乗り越えるために必要なのは、己を律することと戦略を練ることである。
 己を律するとは、つまり自分が出してもいい側面だけを提示するということである。無闇矢鱈に本能のままに行動することはアイドルに求められない。一見そう見えるアイドルがいるとすれば、それは「本能的に行動している」面だけを提示しているということであり、言い換えれば「理性的に行動する姿を見せないよう己を律している」ということである。
 そして、己を律することは己だけでは不可能である。人間はミスをするからである。また、人間は己を律するストレスに耐えきれないからである。さらに、そもそも己を律して提示した側面が、敵愾心込められた視線に晒されては元も子もない。だからこそ、アイドルの周囲にはアイドルをサポートする人間が必要なのである。
 そうしたチームが、しっかりと戦略を練り上げてアイドルのイメージを打ち出さなければならない。だから、人間性や短所長所の把握なしに「ありのままでいい」などと無邪気にのたまうこと、ましてやそんな人間がプロデューサーを名乗ることに関して、私は軽蔑の視線を投げかけたい。

 その点において、和泉愛依のプロデュースは、非常に評価できるものだった。
 なぜなら、和泉とPは、最終的な目的がアイドルとして輝くことであり、そのために己を律し、戦略を練ることを厭わなかったからである。普段通りの自分を舞台上で発揮することではなく、違う自分を提示することを選んだそれは、アイドルをリスクから守るという点において素晴らしい判断だったと思う。そして、その提案に賛成し、挑戦する意思を示した和泉もまた、手段を目的化しなかったという意味で素晴らしい人間であると感じた。手段の目的化を防ぐというのは、口で言うのは簡単だが、実行するのが本当に難しい。

 ところで、ストレイライトは「迷光」であり、「偶像となる」3人のユニットとして打ち出されている。
 注目すべきは、今後、ストレイライトがゲーム内でどのような打ち出し方をされるかである。
 プレイヤーに対して紹介するのと同じように、つまり『ファンが見ているのはあくまでも3人の一側面にすぎない』というように打ち出すのだろうか。その場合、メタ的に2つの興味深い点が生まれる。
 1点目は、芹沢あさひが、どのようにして違う側面を示すのか、ということである。芹沢あさひの性格は強力だがシンプルであり、裏表がない。現状、彼女が違う側面を示すというよりは、(プレイヤーがそうしたように)周囲が勝手に、ありがちな飽きっぽい危うい天才のイメージを抱くことを利用する、というくらいしか私には思いつかない。
 2点目は、その場合ファンが3人の「違う」側面(例えば、和泉のクールでない一面)を追求するのは確実であり、そこへの対応はどのようになされるのか、ということである。黛と和泉を比べても、イメージを掘り下げられることは等しくまずいのだが、その意味は全く違う。黛は、強固なイメージを打ち出すこと自体が目的なのだが、和泉にとってはイメージは手段でしかないのだから。
 つまり、そうした状況で行われるべきケアはユニット内の3人で全く異なるものとなるのだが、ではプロデューサーはどうアプローチするのか、というのが2点目の興味深い点である。

 この辺りに関しては、ユニットの物語やサポートカードなどでの関係性の描写を待つしかない。個人的に、この物語の描かれ方を私は非常に楽しみにしている。

 私は、アイドルというのは非人道的な職業だと思っている。その最大の要因は「常に他人の視線に曝されている」という不可避なリスクだ。そして、時にそのリスクを軽んじて進むアイマスの物語に、あまりに勝手で都合が良すぎると思ったことも少なくない。
 だが、ストレイライトは、人の目線に曝されるというアイドルの残酷な宿命と真摯かつ巧みに向き合えるユニットなのかもしれないと期待を抱いている。それは、シャニマスの丁寧なストーリーあってこそのものであり、また視線を必要とする者:芹沢あさひ、視線を騙す者:黛冬優子、視線から守られる者:和泉愛依という3人のキャラクターが一人の人間として丁寧に描かれているからである。
 誰もが視線に曝されうる時代において、アイドルが示すべき何かを示してくれる(かもしれないと勝手に私が期待している)ユニット、ストレイライトに向けて、私もしっかりと視線を投げかけ続けたいと思っている。

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