Straylight.run()の感想

1 黛冬優子の「内心」 ストレイライトS-Rカードのコミュより 

・283プロのヒナ 黛冬優子

第1コミュ 猫かぶりと不良ごっこ 

 「冬優子」の苛立った声を聞かれ、とっさに「不良役の練習」と嘘をついた冬優子。あさひに引っ張られて、なぜか二人で不良を演じることになり、つい「冬優子」としてセリフを言ってしまう。幸いあさひに「ふゆ」の仮面を暴かれることはなかったが、あさひの洞察力と冬優子の苦手意識が伺える。

第2コミュ 猫かぶりとハンドケア 

 ネイルやメイクについての何気ない会話。愛依に勧められたギャル系のメイクのことを、冬優子は一人になった時鼻で笑うが、たまには悪くないとも考える。冬優子は互いに褒めそやしても結局は自分が一番だと思っている、と考えているが、同時に愛依をそうは見えないとも評する(バカっぽいとも)。冬優子の強めの自意識と、他者に対するある意味淡白な評価がうかがえる。

・283プロのヒナ 芹沢あさひ

第1コミュ 目に入ったら止まらない 

 アイドルと魔法が登場するアニメを見ていることをあさひに知られた冬優子。友達の受け売りとしてそれを紹介した冬優子は、自分が真剣にそれを観ていることを隠したい様子。興味津々で、帰ったら全部見尽くす、という大胆な発言をして去っていくあさひ。冬優子はそれに驚いたようにも、呆れたようにも見える。

第2コミュ 真似すべきこと、そうでないこと

 街のマネキンのカツラを見て、自分も色を染めたいと考えるあさひ。だが愛依は、脱色が激しく髪が痛むのでやめたほうがいいと諭し、あさひは納得する。振り回される愛依だが非常に楽しげ。

・283プロのヒナ 和泉愛依

第1コミュ カンタンに、たのしも~ 不明

 愛依とあさひがアプリでスタンプ(LINEなどで使うのか?)を作るコミュ。愛依はとにかく楽しげ。あさひも興味津々。とにかく楽しむ愛依に対して、あさひは自分のこだわりを貫こうとする。

第2コミュ マジリスペクト 

 愛依と冬優子のレッスン後の会話。レッスンやステージでの振る舞いについて、愛依は冬優子をとにかくリスペクトしているようだ。冬優子もまんざらでもないようだが、愛依が「才能」という言葉を口にすると少し不機嫌に。愛依はその様子に何か感づいたようだが・・・。愛依が最後に友達との約束のためにすぐに帰ったことは、冬優子が愛依の言葉を「全力を尽くしていない人間の言い訳」と受け取り不快感を覚えたことを示唆しているのかもしれない。

・「内心」が描かれているのは冬優子だけであった。例えば愛依のコミュ「マジリスペクト」では、愛依の内心は独り言として明確に口にされている。もちろんそれだけなら特段おかしい表現ではないし、愛依は性格的に思ったことを口にしがちであるから違和感もない。

・それゆえ、描くべき「内心」(あるいは対人関係上の仮面の方か)が存在しているのはストレイライトでは冬優子のみである。あさひは内心を隠すことはしないし、愛依もライブ以外では仮面を被る必要を感じていない。

・その一方で、仮面のない人間は滅多にいない。人間関係の円滑化のため、社会の一員として仕方なく、あるいは自分を守るため、仮面を作るのは当たり前のことだ。しかし、それを徹底するモチベーション、つまり仮面を本心にしてしまおうという理想をーー逆に言えば、本当の自分への強烈な否定をーー持っている人間はそう多くない。

・このように黛冬優子は、一般からは理想の強烈さによって乖離している。と同時に、ストレイライトにおいては理想を抱くという行為それ自体によってあさひや愛依と違う存在である。

・黛冬優子の仮面は、あくまでも彼女が理想を実現するために作られたものであり、そのために作用する。徹底しなければならない。しかしそれは「仮面が厚い」ことを意味するが、「仮面が頑丈である」ことを意味しない。むしろ、そこにかけられる理想が大きい分だけ仮面は重く、剥がれやすいようにさえ感じられる。

・この、仮面だけでなく、大きな理想も抱え、それゆえに不安定な少女・黛冬優子と仮面なき結果主義的な少女・芹沢あさひの価値観の対立が今回のコミュ、Straylight.run()の主題となる。

2 序 カメラの位置と受動能動の対立軸

・まず大前提として、今回のシナリオは、ユニットの結成秘話であるという点ではイルミネーションスターズのそれと類似する。が、大きく違う点が一つある。それは構成上の工夫であり、そのことが今回のシナリオは快刀乱麻の傑作たらしめている。

・その工夫とは、ユニットのメンバーの合流タイミングである。イルミネの結成譚では、プロローグで三人が呼ばれ、三人同時にユニットの結成を伝えられる。そしてこの場面は、ファン感謝祭編のオープニングにおいても反復される。イルミネの始点は、参照されるべき場所、彼女たちの物語の構成上、常に記憶される場所である。

・それに対して、ストレイライトは、まず初めに冬優子一人がユニットの結成を知らされる、という形で始まる。あさひも愛依も知っていただろう、という指摘は尤もだ。確かに彼女たちは知っていただろう。だが、「予告に登場したのは」冬優子だけであった。あたかも物語は、冬優子がユニットの結成を知らされるところから始まる「ように見える」。私たちがその物語を正しく見る最初の一歩はこの予告であり、予告の時点で物語の見方を規定される。それ以降、この物語におけるカメラは、常に黛冬優子の後ろで回されている。

・だが実は、4月以来物語はずっと動いていたのだ。ここでもう一度ストレイライトS-Rのコミュを振り返りたい。前述の通り、黛冬優子の扱いは特別であった。三人の中で唯一彼女だけが、私たちによって「内心」を知られる存在・知られるべき内心を持つ存在であった。この時点で既に、私たちが黛冬優子の側に立つことは規定されていた。

・そしてプロローグにおいて、冬優子はあさひと出会う。

・面白いことに、両者は互いにアイドルとして輝くべく、主体的に考え、行動を起こす。にもかかわらず、その出力結果が正反対となるならば、それは思考の始点が違うということに他ならないではないか。

・冬優子は、アイドルという存在の脆弱性に着目するところから始まる。普段から自分のネガティブを隠そうと意識しているのだから、アイドルとしてもそうするのは妥当である。だから、アイドル、特に自分たちのような新米は、貴重な仕事の機会を与える人間を尊重しなければならない。愛されるアイドルが完成する。愛されてこそのアイドルなのだから。

・あさひは、アイドルという存在の魅力に着目するところから始まる。彼女は確かに変わっているが、彼女はそれをおかしいとも変えるべきとも思っていない。自分の弱さ、などという不安を持たないあさひは、アイドルとしてもまた不安を持たない。「アイドルだから大丈夫」。芹沢あさひはそれによって結果を出す。最大限の結果を出せたなら、最大限人々を惹きつけられたはずであり、それ以上は求めようがない。こうして魅せるアイドルが完成する。アイドルだから魅せるのだ。

・その対比は、最初の場面においては冬優子に対して残酷な結果として現れる。だが、それが全体的に肯定され続けることはない。その危うさは、シナリオの最後で冬優子を解き放つ最後のトリガーとして機能する。

・アイドルをめぐる因果、というよりは能動と受動。物語の序盤で生み出された対立軸がこのコミュを貫き、またストレイライトを動かしていく。とはいえ、両者が対立軸の両端に立っているだけでは進まない。和泉愛依が登場する。ユニットは成立し、新たな視座が生まれる。しかし注意すべきは、成立であって完成ではないこと。そして新しい視座が導入されてもなお、観客の視点は黛冬優子の後ろから動かないことである。

3 破 和泉愛依の登場と簒奪可能なるセンター

・三人目として現れた和泉愛依は、ユニットの構成員でありながら冬優子とあさひの対立軸から外れた位置に立つ。それは「対立軸の中心に立つ」のとは全く異なる。愛依はそれほど器用ではない。もちろん、物語の都合でそういう役割を持たせることもできたはず。だがそうはしなかった。

・少し話は逸れるが、良くも悪くも、キャラクターに忠実に動かそうと試みているのがシャニマスだというのは1年をかけてよくわかってきた。キャラクターを愛するコンテンツなのだからキャラクターを尊重するのは当たり前なのだが、物語ありきでキャラクターを動かさないのは簡単なことではない。いくつかの原則があるように思われる。

・第一に、必要なければ無理に突飛な展開を持ち出さない。第二に、突飛な展開は突飛な環境を別に作り上げて提示する(異世界、夢の中など)。そして、第一の基準に則れば「ありがち」で「想定可能な」物語が出来上がるところを、それを丁寧・説得的に描き出すことでフォローする。今回のシナリオもまた、突飛ではなく説得的である。あとは受容する者の好みの問題である。

・器用ではなく、また聡明というほどでもなければ機転がきくわけでもない。それどころか、ステージの上では誰よりも不器用になってしまう愛依。一方その感性は素直で純粋、コミュニケーション能力にも秀でており、日常生活では気配りが効く。楽観的で明るい姿は、時に享楽主義的で誠実ではないという誤解を与えてしまうこともある。彼女の短所と長所が最大限に生かされているのが今回のシナリオのもう一つの特徴と言えるだろう。キャラクターを物語に合わせることはしないが、キャラクターの全てを利用して説得的な物語を生み出すのだから感服するほかない。

・和泉愛依は今回のシナリオ中、最も浮いている。自分がアイドルであるという意識についても、第3話の時点ではまだ薄く、彼女は「ふたりのために」動こうとする。第3話では、その「よくわからないがとにかく動くべき」という判断がストレイライトの窮地を救うきっかけとなるのだが、冬優子はそこで「アイドル」としての自覚に釘を刺すのを忘れない。

・ライブ後の和泉愛依とプロデューサーの会話は、この時点での愛依の立ち位置をよく表している。彼女はユニットの状況を「ある程度」的確に捉える。冬優子に対する「心配性」という表現は、冬優子の仮面を見抜くほど聡明ではないが、冬優子の動揺を見落とすほど不器用でもないということの証左だ。

・このように、愛依の位置は冬優子ーあさひの対立軸から外れているし、対立軸に組み込まれるだけの存在ではない。だからシナリオのテーマからも愛依は浮いている。これを愛依のキャラクターとしての性質の問題と言ってしまうこともできる。だが、この「問題」をマイナスで終わらせないための策を読み取ることも可能であろう。しかし先ずは、センターの問題についてである。

・センターはあさひである。冬優子ではない。プロデューサーが冬優子に先に伝えておいたことで、「ふゆ」は守られた。プロデューサーと冬優子の両人にとって、あさひがセンターを譲ろうとしたのは計算違いだったであろうが、そこも適切に対処され、問題は起こらなかった。

・尤も、虚栄心はなくとも野心はあるのが冬優子である。彼女はセンターの簒奪を目指す。プライドが高い冬優子が認めざるを得ないほど、あさひはセンターにふさわしい。だが、センターは簒奪可能なのである。冬優子とあさひが対立しているが故に。イルミネーションスターズでは起こりようがないことだ。こちらでは、ふたりの隣がセンターなのだから。良い悪いではなく、ただそういうものなのである。

・だから重要だったのは、センターが誰かということ以上にセンターとはどのようなものか、ということである。あさひが所有し、冬優子が奪わんとするセンター。センターであるあさひ、センターと向かい合い、戦おうとする冬優子。ここに愛依がどのような形で加わるのか、それは別の物語を待たなければならない。しかし、今の時点でそれに加われないということは大きな問題ではないし、加われないという事実自体がまた説得的でもある。

4 急 バカバカしい世界なんだから

・第5話の頃には、さすがに愛依も気づいたようだ。冬優子とあさひの関係が、若干の方向性の違いなどではなく、根本的なアイドル観・人生観における対立構造にあることに。しかも、自分への何気ないアドバイスから始まった会話が、その対立を面白いほど(笑い事ではないのだが)鮮明に暴き出すのだから、その場に居合わせる人間としてはたまらない。

・ここまでの対立の中で、あさひは冬優子に正面から疑問を投げかけている。あさひの誠実さ、ひたむきさが発揮されるのは、あさひがそれに関心を示しているということに他ならない。冬優子がどう捉えているかは想像するしかないが、少なくともあさひにとって、冬優子は無視できない、興味深い存在、尊重されるべき存在である。あさひが冬優子を追い詰める「ように見える」時、あさひは冬優子がよりよくあるべきだという善意を発揮しているのだ。

・対立軸を通して互いは尊重しあっている。それはここまでの物語の端々からうかがえるはずだが、この後の展開を考えれば、ここで共通理解を得ておくべきだろう。あさひは最大限冬優子の言葉を理解しようとしているし、冬優子はあさひが出す結果を前に、アイドルとしての心構えという牽制こそ加えるが、決定的な否定はしない。冬優子が否定するのは、自分の主義を守る時だけである。

・それを目前にした愛依がとった選択は(何度も繰り返すが、愛依がとる選択とは、客観的にもそうするのが妥当な選択であり、それ以外には想定しづらいものである)、一歩引いて互いの考え方を讃える、ということであった。もし愛依が、アイドルとして自分の考えを訴えるだけの能力を有していたなら、第5話こそがハイライトになったかもしれない。だがそうはならなかった。愛依は両者が深く考えていること自体をまず賞賛する。次に、自分がどちらを取るべきかわからない、とも言い、その両者のいいとこ取りを最大限頑張る、と言って加熱した事態を収束させる。意識的かは分からないが、しかしそうなったことは妥当であった。そうするのが、今の和泉愛依のふさわしい行動だからである。

・突然の水着!

・いよいよ問題が起きる。明らかな不正をあさひは許せなかった。だから結果で黙らせようとした。だが、それは失敗した。もし、公平公正に点数がつけられていたなら、彼女の勝利は疑いようがなかったのだが、システムは公平ではなかったし、観客もまた、同じダンスを披露したアイドルに対して公正な判断の目を向けなかった。一部の観客は評価を改めたような描写もあったが、それは全部が改めた訳ではないということに過ぎない。公平でも公正でもないバカバカしい判断の結果が、45点。

・そして冬優子は、その全てが許せず、泣いた。何が許せなかったのか、想像する他ない。不正な判断基準か。それを乗り越えられない自分たちの未熟か。バカ正直に戦おうとした結果、公正なはずの観客にまで裏切られてしまったあさひの無垢さか。きっと、バカ正直が通用しない、バカバカしい世界の全てに泣いたのだろう。

・冬優子は仇を討とうとする。あさひの仇を、あさひとは真逆のやり方で。全く冬優子は、バカバカしい世界で、バカバカしく歌って見せた。公平な基準なら負けるのは分かっている。だから、「公正さ」を味方にするしかない。公正さを利用する、という表現の矛盾。しかし「ふゆ」ならそれができる。人々に「魅てもらう」ことはできる、最強の受動のアイドルが、黛冬優子なのだから。そして負ける。決して覆り得ない、公正ではない基準によって。だが、意地は守った。

・エピローグで、あさひは自分の価値観が間違っていたと言った。しかし本当にそうだとすれば、そんなに残酷な話はない。バカバカしい世界で、バカ正直はやっていけないとでも?あさひは自分の特殊性に無自覚である。だから、必要とあらばその特殊性を捨て去ることだって平気でやってみせるだろう。

・そんなところまで含めて、やはりあさひは冬優子と対立する運命にある。だが、あさひのバカ正直を守るのだって、冬優子なのだ。あさひに誰よりも敬意を払っているのは冬優子なのだから。

・こうして、シナリオは一貫してあさひと冬優子の対立軸にこだわる。能動と受動。運命的な対立軸が、ストレイライトの最大の強みである。この対立軸は、冬優子とあさひの互いへの尊重によって輝き、強化される。その対立軸を、軸線上から外れた位置で見守り、支え、時には進めるのが今の愛依であり、そしてこれから彼女もまた、運命的対立軸と向き合っていくのだろう。

雑多な文章の総括としては以下の通り

・シナリオ構成の妙

 ・1人から2人、2人から3人、3人からユニットへ、変化していく面白さ

 ・上記の楽しみを実現するため、あらかじめ視点を冬優子の側に誘導するS-Rコミュや予告の適切な活用

 ・冬優子とあさひの対立を貫徹することで、丁寧かつ濃密なユニットの結成譚となっていること

 ・3人目としての愛依を、対立軸には組み込まず、あえてそこから距離を置かせた大胆な差配

・アイドルについての雑感

 ・能動的に、人々を魅せるアイドル、芹沢あさひ

 ・受動的に、人々に魅られるアイドル、黛冬優子

 ・その対立軸を追いかけ、自分のアイドル像を模索していく和泉愛依

 ストレイライトの今後が非常に楽しみだ。


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