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「こんな事、とてもできない」は、「できるようになりたい」鏡うつしのこころ


 デザイン学生時代、同級生に、「天才と凡人」について話題にする人がいた。
いわく、彼女という人は「凡人」で、あの作家、このミュージシャン、その漫画家は「天才」であり、「天才」の作るものだけが賞賛にあたいするのであって、凡人が作るものは感化される価値もないという論調を、展開するのであった。

 大半の人々は、わたしを含め、天才か凡人かなど、あきらかに判断できる基準もなければ機会も少ない。伝記に連なる偉人たちの幼少期の逸話や努力に比べれば、わたし達は凡人かもしれないが、偉人とはすなわち全員が天才だったのか、知るすべはない。

 そもそも美学生などは、日々、自分の「個性」とか「才能」のありやなしやを五里霧中に追いかけているのであって、技巧の完成を見た先人を、たびたび引き合いに出されるのは、耳に痛いものだ。あまりに「天才は右へ」「凡人は左」へと振り分ける癖が煩わしくなり、彼女と付き合うことも辟易してしまった。

 わたしが冷たいので、彼女からはついに「愛が足りない」と言われてしまった。
 「我々は人格そのものが天才と言われる大人物ではないかもしれないが、天才的な側面はきっとあるから気にするな」と、肩を叩いて励まし合えば、彼女の強迫観念も和らいだだろうか。

「本の読み方」がわからなかった

 小学生の頃は、子供向け名著の「定番」と言われるものほど毛嫌いする偏食家だった。マンガで書かれた偉人伝とか、はだしのゲンとか、姉が集めるよしもとばななとか、母が勧めるビンテージな少女漫画とか、ドラゴンクエストのノベライズとか、二次創作の四コマ漫画アンソロジーばかりを、読んでいた。ここでは、月刊、週刊マンガについてはあえて触れない。

 文学作品は、「つまりこの作品は何なのか、わたしにとって何なのか」がどうにもわからなく苦手で、単純な好みに従って読める作品となると数も限られた。

 手塚治虫に至っては、小中学校の図書館にブラックジャックは置いてあってあらかた読んだが、自分で買うとなると、お小遣いが足りなく、一方で大家の作品には触れるべきというジレンマから、『空気の底』や『プライムローズ』の短編集、中編作品をよんでいた。経済的にも、性質としても、長編に耽溺できない自分が長く深いコンプレックスだった。

手塚治虫の短編や中編は、思想実験というか詩のような流れが際立っていて、読後もシーンやセリフが頭にこびりつく。

アニメから、アニメ原作へ

 わたしの高等専門学校時代の後半は、体を壊して、授業に参加することも難しくなっていった。両親の仲は冷え切っていて、家にいる時間をできるだけ減らしたく、思うように勉学に加われない後ろめたさもあり、学校の図書館が閉まるまで入り浸っていた。だからといって、館内の本を手当たり次第に読む体力もなかった。

 我々は美術学生であって、美術書の蔵書が豊かであったので、高級な大判の本を眺めることはした。しかし、『アイデア』や『美術手帖』で、現代芸術やデザインの最新流行を追いかける気には、なかなかなれなかった。今日読むべき本を選び、座ってページを繰るだけのことにも、疲れていたからだ。

 だから現代美術といっても、赤瀬川原平や、森村泰昌という、現時点で一定の評価が固定している作家の文章に憩っていた。
 底辺な状況にあって、デザイン学生たる最低限のアンテナは機能しているようで、作家名もわからずに眺めていた作品に、のちの美術理解を助けられたこともなくはなかった。

 クリエイターにありがちな思想で、自分たちの生きる30年ほど前の潮流に魅力を感じるもので、わたしのまわりでも、澁澤龍彦や寺山修司によるアングラや、カウンターカルチャーの復古が、ごく一時期ながら、賑わった。
 いざ周りが騒ぎ出すと、とたんに倦怠を感じるのが当時のわたしの難しさで、友人の間でムーブメントがドライブするほどしらけてしまったりもした。

 反面、学友たちからは、洋楽はじめインディーズ音楽や現代音楽、ミニシアター系映画に開眼させられたりなど、多様なものの刺激を無尽蔵に受けるという意味では、高専での時間がなければ、今のわたしもないだろう。

 さきの天才凡人の友人からは、多大な影響も受けていて、彼女といえばアニメというほどの牙城を築いていた。彼女から感染したアニメ・漫画・アニメ音楽への親しみは、今に続く財産になっている。

 アニメは宮崎駿かゴールデンタイムの定番アニメかしか幅のなかったわたしの文明開花である。当時のわたしはマニエリストを気取っていたので、アニメ化された「巌窟王」の引力から逃げることができなかった。

 週ごとのリリースを待つのがもどかしく、北海道では試聴機会も限られていたように思う。シリーズを追いかけることに、ここでも疲れたわたしは、幼少期のドラクエ体験で味をしめていた「本編が収められている世界と、自分とを隔てる壁をぶちこわし、体験を拡張させるための暴挙」である、「アポクリファ(外典)」の探索に乗り出した。はやい話が、原作を読んだ。

 ドラクエにはゲーム本編があって、その他のノベライズや二次創作があるのに対し、「巌窟王」のケースでは、アニメ作品がある種の二次創作であって、啓発の結果として原作に回帰するという行動だけを見るならば、至極、優等生的ではある。

 アニメ『巌窟王』の公開当時、2004年は、今のようにネトフリもアマプラもなく、大作を堪能するにはDVD購入か、レンタルしかなかった。幼少期から連綿と続く経済事情によって、アニメ視聴は思うように捗らず、いつしか興味から消え、観了できたのは、サブスクリプションによって、コロナ禍に入ってからである。

 原作の巌窟王、岩波文庫での『モンテ・クリスト伯』は、学業からの逃避も助けてか、全七巻を読み切った。

 読み始めた当初こそ、アニメの続きが知りたい、ストーリーの奥行きが知りたい一心だった。けれども全編にわたって一切ブレることのない、モンテ・クリスト伯の執念深さ、心の凶気を入念に覆い隠すことで生まれる倒錯したエレガンス、なすすべもない都会の貴族の平和ボケ、デュマの文体に散りばめられた絢爛さに、テキストの羅列でこんなことができるのかと、ストーリーテリングの魂に触れ、感じ取った熱は、20年経った今も消えることがない。

サイヤ人理論(危機的状況からの生還による飛躍的な強化)で手に入れた読書体力

 1800年代半ばに出版された大長編を読破したからといって、わたしがその後、「怒りの葡萄」を小脇に抱える文学少女へと転身したかというと、そうではない。

 その気になれば古典だって長編だって読み切ってやんよ、という厳かな自信はついたものの、「いつも本ばかり読んでいる」と自認できるようになったのは、皮肉なことに、現在の「初期化」に至る、猛烈な労働の中で得た、数少ない、かけがえのない、報酬と言っていい。

 仕事でわからないことを減らしたくて、上司の見ている景色が知りたくて、自分の仕事をよりよく、深くしたくて、目についた本、勧められる本を、手当たり次第に、読んでいった。読む前に「これは自分にとって何の意味があるのか・・・」と立ち止まったりせずに。

 わからなかったことが、文字さえ追っていれば明らかになっていく、一冊読み切るたびに、相手の話が明瞭になり、自分も「話せる」ようになっていく。次に読むべき本の選び方も上手くなっていく。

 それ以外のタスクも多すぎたので、結局のところパンクしてしまったが、「仕事のため」という、よく考えたら別にしたくもない、本当は興味があるかわからない、でも取り組まなければいけない、本を長期間、雑食し、強制して読みまくったおかげで、読書する体力、文学を咀嚼する顎の力は、半年前と比べても雲泥の差だ。

 この基礎体力で、初期化中は近藤康太郎氏が『百冊で耕す』で示したような必読リストを参照しつつ、本をできるだけ読むことにしている。

 2023年3月発刊。メソッドだけの『読書術』がしっくりこない方に。

時空の移動距離は、つらいことからのパーソナルスペース

 20代のとき、仕事でつらいことがあった日は、電車での帰路、職場から自宅までの距離を、地図アプリで測った。十数キロも離れたらもう、相手の顔は見えない。

 時間が経っても頭から離れない心の痛みについては、「その日」から歩いた距離、電車で移動した距離、帰省で飛行機に乗った距離、外国まで行って帰ってきた距離の、全部を足してみることもあった。ほら、「あなたの言葉も、聞こえなくなるほど、遠くに来ました」ってもんだ。

 本を読むほど、作者がその作品を書き上げた、その時代に、場所に、行って、帰ってきたことにして、全部の時間と空間を、レールのように繋げて、わたしの苦しみは、消失点の、ずっと後ろに置いてきたのだと、慰められる日が、くるだろうか。


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