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母国・ベトナム発展のためにエンジニアの道を選び、来日したTさんの願い

選んだ道

「大学に入るとき、2つの道がありました。弁護士になるか、エンジニアになるか。どちらも社会にとって役に立つ仕事であることは間違いありません。ただ、貧しい母国が発展する上では、技術力を磨いた方がより貢献できるのではと考え、工学系を選びました」

こう話すのは、ドヴァのTさん。ベトナム出身のエンジニアだ。ドヴァには2016年7月に入社し、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)ソリューション「アシロボ®」のプロジェクトに深く関わった。アシロボは、ユーザーインタフェースと操作性が特徴のRPAシステムとして特許も取得している。Tさんはその生みの親の一人といっても過言ではない。

ローンチ後も引き続きサービス開発に携わり、顧客の要望を元にした機能改善やバージョンアップなどに忙しい日々を送っている。

アシロボチームの他メンバーとの関係も良好で、仕事の相談に乗ったり、時には冗談を言い合ったりする。会社もエンジニアが存分に活躍できるよう、常に気にかけてくれている。「この会社に入ってよかった」とTさんは純粋に喜ぶ。

Tさんはなぜ日本にやって来て、ドヴァで働くことになったのだろうか。彼のキャリアを振り返る。

幼少期から勉学に打ち込む

Tさんは1977年、ベトナムの首都・ハノイで生まれた。ベトナム戦争が終結して間もない当時、社会情勢は混乱し、経済は停滞していた。人々の暮らしは決して豊かではなかった。

そうした中で、両親の願いや信念もあって、Tさんは幼少のころから他のものにはほとんど目もくれず勉学に打ち込んだ。特に数学が好きだったという。大学進学に際し、冒頭の理由からエンジニアリングの世界を選び、国内トップのハノイ工科大学に入学した。

大学では電気通信を専攻。日夜研究に励んだ。次第に「もっと学問の道を極めよう」と海外への留学を考えるように。留学先として欧米と日本を天秤にかけていたが、縁あって琉球大学の修士課程に進む。2000年10月のことだ。Tさんにとってこれが初来日となった。いや、それどころか、ベトナムの外に出たのも初めてだった。

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「日本は技術力の高い、ものづくりの国というイメージがありました。そこでスキルを磨きたいと思いました」

琉球大学では、音声合成システムの研究に従事した。音声合成システムとは、例えば、キーボード入力したテキストを音声で読み上げてくれるといったプログラムのことである。

2年間の修士課程を終え、いったんベトナムに帰国し、母校・ハノイ工科大学で講師を務めた。その間も研究はコツコツと進めていて、2005年に再び沖縄へ。琉球大学の博士課程に入る傍ら、名古屋市にあるIT企業で就労経験もする。

2010年に博士号を取得。ここでベトナムに帰るという選択肢もあったが、もう少し日本にいようと、東京のIT企業に就職。これまで培った経験を基に、音声サービスの研究開発に携わった。

「新しいチームを一緒に作ろう!」

Tさんが関わったサービスとは、具体的には「サウンドコード」と呼ばれるもの。これは人間の耳では聞こえない音にURLなどの情報を埋め込んで、例えば、音楽などとともに送る技術です。

「QRコードの場合、ユーザーが一人一人カメラで撮影しなければなりませんが、サウンドコードであれば、複数ユーザーが一斉に情報にアクセスできるようになります」

ある日、この会社の同僚から紹介されたのがドヴァの土橋社長だった。すぐに沖縄の学会に一緒に参加するなど、何度も会って話をするうちに親睦が深まっていった。

そんな折、勤務先の会社の方向性が変わり、このまま残り続けるかどうかを迷っていたとき、土橋社長から先の構想を聞かされる。「これまでにない、ぶっ飛んだ新しいクリエイティブなチームを作る。イメージは一個小隊6人程度の特殊部隊。そこに専門性の高い人をそれぞれ配置するつもりだ!」。構想の中身に加え、その熱意や社長のキャラクターなどに魅力を感じ、面白いことができそうだと確信して、Tさんはドヴァへの転職を決めた。

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人々の生活に寄り添うサービスを

2016年7月に入社したTさんは、ある大学のシステム開発プロジェクトに参画すると同時に、社内の新たなチーム作り、サービス作りという“特命”に向けた準備を進めていった。

他のメンバーとともに、サービスの中身のディスカッションを進める中で、当時、急速に広まっていたRPAに着目。まずは第一弾として、RPAに関する自社開発サービスを生み出そうという考えで一致した。

自社で新しいサービスを立ち上げることは、Tさんやチームメンバーにとって最高に楽しいものだった。

「受託開発だと、どうしても決まった枠組みの中でしかできないことが多いです。ただ、自分たちのオリジナルサービスであれば、全てが自由。どんどんアイデアを出しては、それらを組み合わせて、サービスをブラッシュアップしていきました。本当にやりがいがあった」

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約2年半後の2019年2月、Tさんらが精魂込めて作り上げたサービスは「アシロボ®」として、世の中にリリースされた。

リリースしてからもアシロボのサービス向上に携わる中で、ユーザーからの反応を聞くのが喜びだ。特にTさんが感動したのは、「もうこのサービスがなければ仕事ができない」という現場で働くユーザたちの声。自分が人のために役立っていることを実感できた瞬間である。

「今後も新しい自社開発サービスを作っていきたい」と、Tさんは意気込む。例えば、農業従事者や医療関係者などの助けとなるサービスを提供し、より一般の人々の生活に身近な存在になりたい、そのような形で社会貢献に関わっていくことを望んでいる。

その先にあるのは、母国・ベトナムへの恩返しだ。

「ベトナムと日本のハブになり、どんどんベトナムの若い人たちが日本で活躍できるようなことができたらいいです。そのために自分が学んだこと、身に付けたスキルの共有は惜しみません」

ベトナムと日本の両国で培ったTさんのエンジニアリングは、きっとこれからも多くの人々の助けとなることだろう。

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