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東京について 〜クリスマス、港区の高級フレンチ〜

2019年12月24日。今から2年くらい前のこと。

当時僕は東京に住んでいて、その日は東京で彼女と迎える初めてのクリスマスだった。大学生でお金のない僕だったが、普段のバイトのほかに一か月だけ夜勤の派遣バイトをやって、それで貯めたお金で六本木の高級フレンチを二席予約していた。

彼女は普段からそういうキラキラしたデートにあまり興味がない人で、一緒にごはんを食べるときは居酒屋とか焼肉とかそういうカジュアルな店が多かったし、別にデートがラーメンでも吉野家でも「それはそれで楽しくない?」と言ってくれるような人だった。

東京生まれ東京育ちの人ほど意外と庶民的というか、地方出身の僕が想像していたような「東京っぽさ」とはかけ離れていると感じることが多い。流行りの店を知らなかったり、人混みを嫌ったり。でもそうやって飾らないのが本当の「東京人」なのかもな、と彼女を見ていて思うし、実際僕は彼女のそういうところが好きだった。

とはいえ、たまにはお洒落で敷居の高いお店でディナーなんて背伸びしたデートも、「それはそれで楽しくない?」ということで僕らは同意したのだった。

駅から少し歩いたところにあるその店は、外観からして半端ではない高級感を纏っていた。受付で名前を言って席へ。薄暗く、天井に吊るされた黄色い明かりが白い壁に反射して店内は金色に見える。すでに数組のカップルが食事を楽しんでいた。ウェイターさん(フレンチレストランでは「ギャルソン」と言うらしい。いずれにせよ、当時の僕より20くらいは年上のおじさんだから、これらの呼び名は適切ではない)が、シックでそれが余計に気品を感じさせる椅子を引いてくれて、座る。席について少ししてから店内にBGMが流れていることに気づいた。クラシックだろうか。ならば知るわけがあるまい。僕がクラシックで名前がわかるのは『革命』と『亜麻色の髪の乙女』だけだし、かかっている曲はそのどちらでもない。

隣の席ではスーツ姿のカップルが器用にフォークを使ってサラダを食べていた。僕らより一回りも二回りも年上に見える。30歳半ばくらいだろうか。彼らが立てる皿とフォークの「カチッ」という音が何処か心地いい。何となくその場の雰囲気が「フランスっぽいな」と思って、その瞬間にここがフランス料理屋であることを思い出した。

僕は前もってコースを予約していた。確か一人2万くらいだったと記憶している。二人で4万円くらいか、と想定していたが、ワインのことを考えておらず、実際はもっとした。今振り返れば、なんとも初心者にありがちなミスだった。

当然だが、料理は相当に美味しかった。食事中、こんな店にいる自分を客観視しては可笑かったが、他のお客さんも大なり小なり背伸びをしてここに来ているのだろうと考えたら、客も店員も、ここにいる全員が芝居か、あるいはコントをしているみたいで、さらに可笑しかった。本気でこのシチュエーションに溶け込めるほど僕らは大人ではなく、その可笑しさを僕と彼女は何となくのアイ・コンタクトでそれとなく共有して、おかげでかえって楽しむことができた。でも将来、こんなところでプロポーズはできないと思った。そういうのは、もっと”ちゃんとしたところ”でやるべきで、こんなところでプロポーズするのは、あまりに嘘くさいだろう。

思えば、地元の大阪から東京に出てきて、最初の違和感は標準語の「芝居っぽさ」だった。ずっとドラマや映画の中だけで聞いていた言葉を、当たり前のように東京の人たちは使っていたのが、なにか芝居掛かってる感じがして、違和感があったと言うか、可笑しく感じられた。もちろん彼らからすれば関西弁という不思議な言語を使う僕たちの方が幾分もおかしく思えるのだろうが、僕に言わせれば、標準語というあまりに「ドラマチック」で「劇的」な言語の方が、断然不思議だと思う。この違和感は、上京してからしばらく続いた。

会計して店を出る。大きなレシートは綺麗に折って財布にしまう。駅へ向かう道すがら、大通りへ出ると、イルミネーションの光に照らされた人が流れていくのが見えた。クリスマスだけあって、カップル、カップル、カップル。道路には、赤いスポーツカーや四角いドイツ車など、あからさまな高級車が止めてあった。

流石は東京、僕には到底敵わない。




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