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【お母さんとは】 映画 「モロッコ、彼女たちの朝」

 母に捧ぐ

女性に対する偏見や差別はまだまだ多く存在する。

私は、たまたま日本に生まれたというだけで、それらに晒されずに済んでいる。

イスラム社会で「女性」であるだけで既に多くの制約があるのに、さらに「若い未婚の妊婦」となると、社会的制裁はあちこちから刺さってくる。周りの目を通じて。

恐らく、堕胎の術も無かったのだろう。

だとしたら、知らない街で産み、里子に出すしかない。

頼るあてのない街で、サミアは職を探す。だが誰も彼女を相手にしない。女性の方がむしろ彼女に辛く当たる

自分はあれもこれも我慢してきたのに、この子は我慢せずにふしだらな真似をしたのだ、邪険にされて当然だ、というところか。

中盤、公共のオーブン(そんな仕組みがあることにもびっくり!生地を持っていくと、パンを焼いてくれるのだ!!)で焼き上がりを待つサミアに対する、同じくパン生地を持ってきた妙齢の女性たちの遠慮のない中傷に愕然とする。差別を受けている側同士が一致団結するとは限らない。むしろ、その中で更なるヒエラルキーが出来上がり、タブーを犯した女性を周りの女性たちは遠慮なくサンドバッグにしていく。

パン屋を切り盛りするシングルマザーのアブラもその1人だったのだけれど、ひょんなことから彼女にソファをあてがうことになる。

少しずつ、本当に少しずつ、2人の間の心の壁がほぐれていく。

まだ温かい身体に、触れさせても貰えなかった

アブラが笑顔を失った理由に、絶句した。

かの国では、女性はそこまで差別されているのか。愛する人を悼むことすら許されていないのか。

だからこそ、アブラは娘の教育に熱心に取り組む。娘には、教育を踏切台にして世界へ出て行って欲しいのだろう。愛ゆえだけれど、仕事に追われている母が発する母娘の会話が宿題だけなのが、切ない。

そしてサミアは決断しなければならなくなる。

左脳で考える「未婚の母の子ども」というレッテルを貼られるくらいなら、手放した方が子どもの為、という結論と、目の前にいる、我が子と

繊細に、繊細に紡がれていく一瞬一瞬が美しい。フェルメールの絵画のようとHPにも書いてあるけれど、まさにそんな感じ。

異国の音楽の調べと、白い壁、青い建具の迷路のような街並み。モザイク。旅行で訪れたら感動する光景が、サミアを捕らえる檻のようだった。

その中で、お母さんとしてサミアは決める。多分、本能で。

原題は「Adam」

いいタイトル。

世の中の全てのお母さんへの敬意を込めて。

明日も良い日に。





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