見出し画像

【奇跡とは】 劇団イキウメ 「人魂を届けに」 2回目

言葉が現実を変えるのか、現実が言葉を変えるのか

言葉を切り売りしている身として、心がキリキリした。

自分を誤魔化す為にも、コトバは使われる。「本当の自分はこうじゃない」と自分に言い訳をする。或いは逆に、「どうせ伝わらない」と最初から諦めて、きちんとコトバをかけていくことそのものを放棄した挙句に、自分を傷つけることもある。

15年前、いのうえひでのりさんの「最後の漫画展」の中の作品の1つに、魂みたいな「白いふわふわした物体」に、針が一本刺さっているものがあった。その前で、呆然としてしまったから、よく覚えている。

(ふわっと15年前、と書いてから調べてみたら本当にちょうど15年前だったw)

嘘の供述をした人の魂は、傷ついていく。そして、その傷が深く多くなると、身体の方が音を上げる。

悪人だって、救われていい

悪事と悪人の切り分けは難しい。悪事は消えない。でも、人は変わることができる。そう信じたい。それは自分についても言えること。って、私が自分について自慢できる数少ないことに、「犯罪は犯していない」ことがあるのだけれど。

「権力を恐るべきものたらしめているのは個人の恐怖心である」とは、内田樹さんの言葉。権力そのものの本質は、臆病さかも知れない。そしてその恐怖から、「理解できないもの」「得体の知れないもの」を弾圧にかかる。自分の目の届かないところに追いやり、葬り去ろうとする。

挙句、権力に対して「恨みを抱くものは敵になる」として、ありもしない仮想敵を作り出す。

奇跡をみな望むけれど、病気や裏切りなど、「なんで俺だけが」というものだって、奇跡だ

例えば銃乱射事件に巻き込まれて撃たれることは、悲劇的な奇跡だ。奇跡は全てがポジティブとは限らない。人にも、魂にも、奇跡にも、陰陽がある。

建物と建物の間の、路地というには狭い隙間。その隙間を見られるのは、1人だけ。そんな隙間は、世界のそこかしこに存在している。自分の中にも。

そんな隙間だらけの私の魂の形は、かなり歪だ。

1回目よりも、時間があっという間に過ぎていった。2回目の方が、少ししんどかった。えぐられるような感覚が強かった。一回目で刺さったままだった小骨のような針を掴まれて、ググッと奥に押し込まれたような感じ。

でも、見られてよかった。

1回目感想と、これまでのイキウメ感想は、こちら。

明日も良い日に。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

舞台感想

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。